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言語との情事――ナボコフ『ロリータ』

作家ウラジーミル・ナボコフは、自身の小説『ロリータ』を、「私と『英語という言語』との情事の記録」であったと振り返りました。 ここでは、そのナボコフの一節をこねくりまわすことで、はじめて『ロリータ』を読んだ(そして読み切れなかった)感想の代わりとしたいと思います。 「情事」というワードが意味するものが、主導権を握り握られ、支配することが服従することであり、服従が支配であるようなシーソーゲームであるなら、「言語との情事」という表現は『ロリータ』にぴったりです。 語り手ハンバート

    • 一般名詞としての哲学ーー廣松渉『新哲学入門』

      廣松渉『新哲学入門』(岩波新書、1988)の感想です。 一般名詞としての哲学 新鮮だったのが、『新哲学入門』は固有名詞がほとんど出てこない哲学書、いわば「一般名詞としての哲学」の本だったことです。 普段読み慣れている思想の本は、カントのあれがこうとか、ハイデガーのこの概念がこう、とか、とにかく固有名がたくさん出てきます。國分功一朗の『中動態の世界』にしても、東浩紀の『訂正可能性の哲学』にしても、帯にはアーレントやらルソーやら、言及される哲学者の名前が列挙されるのが常です。

      • 欲望の結び目をほどく――ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』

        今回の読書範囲は、ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』の後半でした。 この本を読むまで、精神分析は何を目指して行われるのか、について考えたことがありませんでした。分析のプロセスについて、自分なりにまとめてみます。 ラカンは、分析の過程を「欲望の結び目をほどくこと」と表しています。 欲望の結び目とは、本来色々なものに向かって動き続けるはずの欲望が「固まっている」状態を指します。これをほどいて、欲望本来の流動性を取り戻すのが分析の目標です。 といっても、実際に欲望がドロド

        • ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』を読んで

          精神分析は分析主体と分析家との言葉のやり取りを通して行われます。「分析主体」とは精神分析を受ける患者を指し、「分析家」は治療者を指します。 分析主体が自分の考えていることや苦しんでいることについて話し、分析家はその言葉のなかから、分析主体が直面している問題を読み取ります。 それでは、「何を言わんとしたか」と「実際に言ったこと」の違いとは何でしょうか。 まず「言わんとしたこと」です。当然ですが、患者は言葉に自分なりの意味を持たせて話します。これについてラカンは、「意味は想像的

        言語との情事――ナボコフ『ロリータ』

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          資本のしくみ――佐々木隆治『マルクス 資本論』後半

          佐々木隆治『マルクス 資本論』の後半部分を読みました。 改めて「資本ってなんだ?」というところをまとめておこうと思います。 「自己増殖する価値」という不思議 資本とはなにか。私はなんとなく「貨幣(お金)の集まり」だと思っていました。マルクスは「自己増殖する価値」と規定しています。 価値が自己増殖する、とはどういうことでしょうか。 商品と貨幣をただ交換しても、それは資本を生み出すことにはなりません。仮に純粋な商品交換が成立するなら、一万円で本を買ったとして、それを一万円で売

          資本のしくみ――佐々木隆治『マルクス 資本論』後半

          価値のはなしーー佐々木隆治『マルクス 資本論』前半を読んで

          今回の課題本は、佐々木隆治『マルクス 資本論』(角川選書)の前半部分でした。 マルクスの『資本論』について、章立てに則りながら要点をかいつまんでいくスタイルの本です。 思いついたことを思いついた順に、箇条書きで並べていきます。 ・資本論は、資本主義の仕組みを、根っこの部分から順番に解き明かしていくという筋立てです。初めの部分を要約してみたいと思います。 ・資本論は「商品とは何か」という問題から始まります。なぜなら、資本主義社会とは「あらゆる物が商品になった社会」だからです

          価値のはなしーー佐々木隆治『マルクス 資本論』前半を読んで

          資本主義的な生―—ウェーバー『プロ倫』2章後半

          ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んできた読書会、今回は最終部である2章の後半が対象範囲でした。 ルター派以降の「禁欲的プロテスタンティズムの担い手」としてウェーバーが挙げた4つのグループのうち、カルヴィニズムを解説したのが前回。今回は残りの3つ(敬虔派、メソジスト派、洗礼派運動から発生した諸信団)の特徴を説明したのち、4つのグループの特徴が合わさって、現代資本主義を形づくっていく過程が描かれています。 改めてざっくりした流れ まず、本の前半も

          資本主義的な生―—ウェーバー『プロ倫』2章後半

          読書会メモ――マックス・ウェーバー『プロ倫』第2章前半

          今回の対象範囲は、マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』第2章前半部でした。以下、話題になったポイントです。 ・キリスト教の「隣人愛」はカトリックとプロテスタント(中でもカルヴァン派)で異なる対象に向けられることになった。カルヴァン派は極限、神しか信用できない。それは自己愛に等しいのでは。 ・カルヴィニズムがもたらした「内面的孤独化」は、精神分析で言う「神経症」の構造に近い。常に自分自身を審査し、肯定と否定の間を往復しつづける ・カトリックとカル

          読書会メモ――マックス・ウェーバー『プロ倫』第2章前半

          倫理、それは芸人魂——ウェーバー『プロ倫』第2章前半

          今回の範囲は、ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』第2章の前半部でした。 第1章では、資本主義の精神的な起源がルターの宗教改革、すなわちプロテスタントの誕生にある、とぶちあげたウェーバー。第2章では、ルター以降のプロテスタントの教義、特にカルヴァン派に注目しています。カルヴァン派の特徴である予定説(神に救われる人とそうでない人は、あらかじめ決まっている)は、一般信徒に大きな影響を与えました。なぜなら、あらかじめ救いが決まっているため、懺悔とか赦しによって

          倫理、それは芸人魂——ウェーバー『プロ倫』第2章前半

          読書会メモ——マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』前半

          1905年に出版された『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーによる著作です。 中世キリスト教社会においては「許容」されるに過ぎなかった資本主義が、あるときから美徳として積極的に「奨励」されるようになった。その起源はどうやら16世紀、ルターによる宗教改革=プロテスタントの誕生にあるらしい……という導入でした。 今回は前半部(第1章)を対象範囲として読書会を行いました。 そこで出た話題を以下メモしておきます。 第1章では結論(近代

          読書会メモ——マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』前半

          副産物としての資本主義——ウェーバー『プロ倫』前半部

          マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の前半部分(全2章中の第1章まで)が、今回の読書範囲でした。 「第1章 問題」は、3つの節に分かれています。今回は読みながら、さらに内容のまとまりごとの小見出しというか、内容の要約をつけてみました。以下の通りです。 1 信仰と社会層分化  1) 近代の経済発展はプロテスタントと何らか関係がある  2) なぜ、経済先進地域はカトリックよりも厳しいプロテスタントを選んだのだろう  3) カトリック=手工業、プロ

          副産物としての資本主義——ウェーバー『プロ倫』前半部

          読書会メモーー野口雅弘『マックス・ウェーバー』

          野口雅弘『マックス・ウェーバー』(中公新書)を課題本として読書会を行いました。ここでは、そこで話された内容のポイントを簡単に残しておきます。 ・ウェーバーは社会のなかに、官僚制や民主主義といった「機械」を見出していた。その意識されざる仕組みを解明することをライフワークとしていた。とはいえ、政治の情報公開に難色を示していたところなどを見ると、死後のナチスの隆盛を予見できなかったように、機械が「どのように稼働すべきか」という問題は深めきれなかったのではないか。 ・『プロテスタン

          読書会メモーー野口雅弘『マックス・ウェーバー』

          近代の脱構築――野口雅弘『マックス・ウェーバー』を読んで

           今回の課題本は、2020年に中公新書から発売された野口雅弘『マックス・ウェーバー』でした。ドイツの社会学者であるウェーバーの代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む前に、入門書から入って背景を知ろうということで選書されました。  野口の本には、「近代と格闘した思想家」という副題がつけられています。この記事では、「近代との格闘」という言葉が意味するものを、自分なりに整理したいと思います。 格闘とは脱構築すること  といっても、ウェーバーは社会を転覆させよ

          近代の脱構築――野口雅弘『マックス・ウェーバー』を読んで

          ロビンソン・クルーソー、ディティールのドラマ

          ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』が今回の本でした。 1719年に初版された小説なので、3年前で出版300周年だったんですね。 岩波少年文庫版を読んだせいかもしれませんが表現がわかりやすく、しかし無人島でのサバイバルを描いたその内容は生々しく感じられました。また、生々しさは内容だけでなく語り口もそうで、たとえば自分のための砦を築くくだりを一通り述べたと思ったら、時間を遡って野生の生き物をどうにか飼いならそうとする話をはじめる、というように、経験談を思い出したままに

          ロビンソン・クルーソー、ディティールのドラマ

          加藤典洋が論じた「ねじれ」

          今回の課題本は加藤典洋『敗戦後論』でした。 有名な本でしたが、初めて読みました。たしか前回の読書会で、「社会や政治、特に現代の日本の状況に通じる本」ということで決まったように思います。 加藤は、日本の戦後には「ねじれ」があると書いています。ねじれとは、矛盾から発生するちぐはぐな事態を指します。代表的なのが、平和のためには武力を持たないとする憲法を、米軍の武力による威圧の下に制定したという矛盾、そして戦争の最終的な責任者であった昭和天皇が免責され、部下のみが死刑となったという

          加藤典洋が論じた「ねじれ」

          『キケロ』と、ヨーロッパの近代って何なのか問題

          今回の課題本『キケロ』(ピエール・グリマル著)を読んで、初めて知ったことがたくさんありました。 箇条書きにするとこんな感じ。 ・キケロは、紀元前106年のローマに生まれた政治家で弁護士で哲学者。 ・当時のローマは、ギリシャの影響を受けて発展した大国。「古代のあの辺の地域」だからといってギリシャ・ローマとひとくくりにしてはいけない。 ・当時のローマは共和政の国。共和政とは、君主制(=執政官)×貴族政治(=元老院)×民主制(=民会)という権力の三つ巴から成る政体。これがカ

          『キケロ』と、ヨーロッパの近代って何なのか問題