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読書会メモ——マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』前半
1905年に出版された『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーによる著作です。
中世キリスト教社会においては「許容」されるに過ぎなかった資本主義が、あるときから美徳として積極的に「奨励」されるようになった。その起源はどうやら16世紀、ルターによる宗教改革=プロテスタントの誕生にあるらしい……という導入でした。
今回は前半部(第1章)を対象範囲として読書会を行いました。
そこで出た話題を以下メモしておきます。
第1章では結論(近代資本主義はプロテスタントが準備した)が先に提示された。第2章では、その過程が明らかにされる様子。
第1章のキーワードは「伝統主義」
伝統主義とは、習慣としてきた簡素な生活を続け、それに必要なものを手に入れることだけを願う態度。たとえば出来高制の仕事で経営者が賃上げしても、労働者は手取りアップを目指さず、仕事量を減らして賃金額をキープしようとする。
近代資本主義が誕生する前は、伝統主義が社会を覆っていた。伝統主義とカトリック的な価値観のなかで、職業を通して生活の糧を得る広義の資本主義は許容されていた。営利は、あんまりよろしくないが生きていくためには必要なもの。
そこから、より合理的に、徹底的に利益を追求しようとする近代資本主義が生まれてくるまでには、2つのきっかけを待たなければならなかった。
ルターによる聖書のドイツ語訳(プロテスタント第一世代?)。Beruf(職業)という言葉に、倫理的なニュアンスが加わった
カルヴィニズムおよびピューリタン(プロテスタント第二世代?)の台頭。こちらは第2章で詳述っぽい
伝統主義って「足るを知る」ってことだから、現代のリベラルの主張に近い印象。
そうすると、伝統って言葉とリベラル(革新)が矛盾するな
ウェーバーはヨーロッパではあまり読まれず、日本ではよく読まれているそう。
ヨーロッパで読まれないのは、やはり戦前のナショナリスティックなドイツ思想ということで、ナチスドイツと一緒くたにされたから
しかし、『プロ倫』の内容はフランス現代思想っぽい。宗教と世俗という二項対立を脱構築する、デリダのような。あるいは、普遍的な概念の歴史を遡って相対化するニーチェ=フーコーのような。
日本で読まれたのはよくわかる。日本人に思いあたることがたくさんある
田舎で手工業を営んでいた人々が、都会に出て労働者として集約されるとか、義務感を持って仕事をするとか
日本人にとってBeruf(職業、天職)における「天」の感覚は直接的には薄いが、独特の倫理観は持っている。宗教の形をしていない宗教のようなものか。
会社においては売買関係がそのまま上下関係に直結する。「お客様」に対して言葉遣いががらっと変わる
本書において「倫理」と「精神」とは何なのだろう
倫理とはエートスともいう。解説によれば、何か文字となって残っている綱領などではない、時間の流れのなかで人々の血肉となった社会の雰囲気のこと
精神は心理とは少し違うのかも。人の心理の集合? 解説ではエートスと同じようなものとして扱っている。しかし、わざわざ『プロテスタンティズムの「倫理」と資本主義の「精神」』と使い分けているのだから、そこに込められた意図がありそう。次回でもう一度振り返ってみよう
次回は後半部(第2章)です!
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