見出し画像

渡部さんのように死にたい

刑務所の中の人

コロナショックの影響で、それ以外のニュースはすぐに忘れられる傾向が顕著です。そんな状況ですが、私は、岐阜市で一人のホームレスが死亡し、4月25日、数人の少年が逮捕された事件に関して、ずーっと考えています。
唐突ですが、皆さんのうち、多くの方が、刑務所の中には恐ろしい人がたくさんいると想像していると思います。
しかし、実際はそんなことはありません。粗暴犯はごくわずかです。特に多いのは窃盗と覚醒剤です。窃盗に至っては、普通の方が考えるような泥棒ではなく、万引きや無銭飲食(詐欺)、置き引き(占有離脱物横領)などの累犯がほとんどです。
最初は微罪処分ということで、警察の注意で済みます。その後、検察で不起訴。裁判になって執行猶予、期間内の再犯で実刑プラス執行猶予ということで、万引きで5年の懲役という人もザラです。
そんなことで、前科20犯などは普通です。そして、そんな人は社会においてホームレス化しています。
その人たちがホームレスになった原因もいろいろですが、最初からホームレスのひとはいません。ほとんどが、最初は一般的な社会生活を送っていたのが、ほんの少しのはみ出しから元の人生に戻れなくなった人たちです。
無銭飲食の人などは、刑務所で得た報奨金を持って社会に出ると、なくなるまで飲食店で飲んで騒いで、全部なくなってから、最後には「金はない、警察を呼べ」と開き直って再び刑務所に入所してきます。

少年院の中の人

少年院で会った少年の中に、いじめで同級生を殺した事件の関係者がいました。
非常にいい子でした。少年院の規則をきちっと守り、職員に反抗することもなく、課題もこなして当時の大検試験に向けての勉強も自主的に進めており、成績も抜群でした。
役割分担でも寮のリーダーを完璧にこなしていたのですが、職員のほとんどが困惑していました。
本人はいじめ事件の直接実行者ではありません。しかし、家庭裁判所は彼が主犯格と見て、通常、刑法であれば刑務所に入ることはないのに、少年審判において少年院送致したのです。
しかし、あまりに(反省態度も含めて)優等生なので、職員は指導することができないのです。

ホームレスという人生

刑務所も少年院も見てきた私には、岐阜の事件を簡単に「かわいそう」とか「ゆるせない」と割り切ることができません。
ホームレスで生きるということは、社会から隠れて生きることです。住所を持たないので生活保護という保障に頼れません。しかし、それを選択せずに社会からはみ出して生きる選択をしたのです。
ですから、人の目を避けて生きる反面、ひとから指図されることはありません。煩わしいことは何もありません。
家族とも親族とも関係を立って生きてきました。お互い消息はわかりません。携帯電話もなければパソコンやテレビもありません。ラジオくらいはあったかもしれません。
空き缶を拾ってそれで得た収入でその日暮らしです。朝になると猫が食事をくれとやってきます。猫と分け合って食事します。
日中は空き缶を拾いますが、それ以外の時間は冷暖房完備の図書館で読書です。汚いものを見る目で嫌がれているのはわかっていますし、風呂は時々しか入っていないので匂います。
国民健康保険もはらっていません。だから病院も行きません。81歳なので、もう直ぐ死ぬでしょう。
マスコミも人々もそういう人を日頃はいないものとして扱います。
扱うとしても、一時的に「かわいそう」「政府はなにもしない」などと、自分の人生と距離をとります。決して近づきませんし、知ろうともしません。

死に方を選べるなら

私は想像するのです。
ある日、猫が虐められていました。
自分のことならともかく、私を頼って生きているものたちを私は守りたい。
でも、一度は助けたものの、彼らの攻撃は私に対して行われるようになります。
私にとっても彼らは単なる攻撃者です。彼らの気持ちはわかりません。
彼らにとっては、野良猫もホームレスも自分たちとは別のもので、憂さ晴らしのおもちゃみたいなものかもしれません。
あるいは、社会の迷惑である野良猫やホームレスに制裁を加えることが正義だと思っているのかもしれません。
多分、彼らの中も何かがあって、弱いものへの攻撃や執拗な暴力への衝動が抑えきれないのです。そして、私と同じように何らかの重圧に耐えられず逃げ場を探しているのかもしれません。
私は死にます。
私が死ぬことによって、私は社会から弾き出された者、橋の下のホームレスではなくなります。
少なくとも彼らの人生において、決して忘れられない者として、彼らの中に生き続けるのです。

救いのない事件の先に

二つの人生が偶然にも交差します。
その果てに悲劇が起こるとしても、それは、世界の様々な出来事においては単なる事実です。
現に、皆さんのほとんどが「ホームレス殺人事件」についてほぼ忘れてしまっています。
良い、悪いではなく、それが現実です。
ただ、その現実を自分自身に置き換えることができるのであれば、その事柄は自分の中に固定され、影響されることになります。
そういった意味において、渡部さんも少年たちも、私の中でリアルに生きているのです。

スキ!♥️押してもらえたら感謝!感謝!支援していただけると超嬉しいです☺️