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「歎異抄」を読んでみよう(1)

連載後の反響

私が、親鸞聖人の教えで救われたという話を「私にとっての宗教の話」として、まとめた訳ですが、意外にもっと知りたいという人からの反響があって、少しは役に立ったのかと思っています。

これらの話の内容は、あくまでも私一人に起こったことであって、一般化できることではありません。
また、私は自身の宗教に対する捉え方を他の人に広めるつもりもありませんし、それは、各宗派の方の行うべきことだと考えています。
ただ、残念に思っているのが、多くの寺院があり、人生の悩みを抱えている人も多いのに、そこを訪ねる方が少ないことです。
私は仏教に出会って救われました。
ぜひ、なんらかの形で仏教に触れて欲しいのです。
ネットならこんなところもあります。

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「歎異抄」がある幸せ

親鸞聖人の主著は「教行信書」です。
この著作は、「阿弥陀如来が念仏で救われると誓われた」ということの証明をするための書き物です。仏教者としての著書です。
親鸞聖人はその一生を念仏を人々に伝えるために生きました。その方法として作られたのが多くの「和讃」です。
500首以上の「和讃」を作って人々に「念仏」を広めようとお考えになったのです。
本当であれば、この二つがあれば十分に親鸞聖人が伝えたかったことにたどり着くはずなのです。
しかし、親鸞聖人が法然上人にお会いになって他力の教えに救われたように、やはり「善知識」と呼ばれる先生に会うことが必要です。
そういった意味で、親鸞聖人の弟子であった唯円房が書き留めた「歎異抄」において私たちは親鸞聖人にお会いすることができます。
また、「歎異抄」があるおかげで私は私の「善知識」に出会うことができたのです。

私はこう受け取りました

そういった意味では、私が「歎異抄」について語るのも意味がないことではないのではないかと思ったのです。
ご紹介することで、興味を持っていただき、もっと知りたいと考える方もいらっしゃるかもしれません。
また、これが縁で私自身が教えていただけることもたくさんあるはずです。
ただし、仏教学的な知識や教学的なことについては、もっと詳しい方がいらっしゃると思いますので、そちらでお聞きいただだければいいと思います。
私のおいてはこのように受け取っていますというお話です。
ですから、内容としては「歎異抄」に関する私の独り言です。

なお、「歎異抄」の現代語訳等については、安曇野市にある高山寺さんの公開しているものが、ものすごく楽しいので使わせていただきます。


ご意見等ございましたらご連絡ください。
よろしくお願いします。

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