“古見さんはコミュ症です。”を見て、色々語る
新たに、アニメを見ました。『古見さんはコミュ症です。』
超絶美人のマドンナである、古見さんは、実は、人と話すのが苦手なコミュ症。
それを只野君に打ち明けたことから始まり、コミュ力の塊な、なじみさんと友達になって、いろいろと濃い青春生活を送る話。
私も、人と話すのは得意じゃない。だから、とても共感できる。
うまく言葉が出ない。人に話しかけられない。話かけても、そのあと何を言えばいいのか分からない。
なにか、固まった用件なら、言えるみたいだけれど、何もない状態で、完全フリーな状態で話すことはできない。
アニメの話? 好きなキャラの話? その名前を挙げた後、何を言えばいい? それの魅力? ごちゃごちゃして、何も出てこない。
古見さんが、一番最初に、黒板の筆談で、「本当は喋りたいんです」と打ち明けたときは、胸をうった。
その後の、
共感することばかり。
当たり前のように、すらすらと話せている人を見ると、「いいなぁ」「うらやましい」「自分もああなりたい」と思う。
漫画やアニメを見ていても、初対面の人ともなんの抵抗もなく、話せている主人公や、熱い友情に憧れる。東リベの、武道と千冬みたいな、硬い仲。
古見さんのことをちゃんと理解してくれて、分かってくれて、付き合ってくれる只野君に、少しときめきする。私にも、そういう人がいてくれたらなぁと思う。
勇気をだして、声を出して話したときに、「オッケー」みたいな何気ない返事をしてくれると、心強かったりする。
コミュ症の古見さんが、友達100人作るために頑張る話。
友達100人。そこまでいる必要は、ないかもしれない。
でも、友達が100人いる景色も見てみたい気がする。
ワンピースのルフィみたいに、世界のいろんなところに、友達や仲間、知り合いなんかがいるのは、楽しそう。
一緒に、色んなご飯を食べたり、お花見したり、各地の観光スポットにいったりetc.
憧れ・・・みんな個性豊かで、それぞれ思い思いの服装をしていて、カラフルで可愛いかったり。桜の下、桜じゃなくとも、藤の下、下じゃなくとも、お花が綺麗なところで、いっぱいシートとかを敷いて、世界各国、いろんな地域の料理を食べて、ワイワイ盛り上がって、歌ったりする。私も、その中の一人、もしかしたら、みんなの中心だったりする。
楽しそうでいいな。
でも、現実の私からすれば、遠い遠い夢だったりする。なにせ、友達一人、作ることすら、至難の技。
自分から行かなきゃ、始まらない。
待っていたって、誰も来ない。
失敗が怖い。
悪く思われたくない。
ガードが硬い。
完璧を求めすぎる。
プライドが高い、ナルシスト。
自分中心の傲慢。
挨拶の一つさえ、まともに言えない私だから、友達なんてできない。
これらを治せば、友達はできる。
だけど、治す術すら、持ち得ていない。何かをしてもらっても、お礼の言葉も言えなくて、何か迷惑をかけても謝罪の言葉も言えない。
人としても、最低な私。
もうすぐ社会人になるのに、このままじゃいけない。でも、ずっとこのままのような気がして、どうすれば良いのだろう。
先が怖い。世界の情勢も怖いけど、私の行く先も怖い。
それに加えて、鈍くて不器用で、力もないから、バイトを始めたくとも、仕事をこなせそうにもなくて、なかなか踏み出せない。お金が稼げない。それでは、生活ができない。親に頼り続けるわけにもいかない。
得意なのは、小説、イラスト。でも、それも正直、不安がある。私の書く小説は、ちゃんと面白い? 沢山読んでくれる? 本として出せる? 売れる? イラストも、描けないポーズや物も沢山あって、プロや神絵師が描く絵のように、細々としたものは描けない。平凡な、大雑把な絵がせいぜい。
この先が不安だ。怖い。友達も全然できないから、この先も一人で行かなきゃいけないと思うと、心細い。
話が進むにつれて、友達が増えていく古見さん。
いくつ、年が進んでも、友達が増えそうにない、私。
いったいどうすれば、ほんの少しでも、心が楽になるのだろうか。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?