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私が推しについて語ること

 私には、もう長いこと推している推しがいる。

 この二人に関して、こうやってまとめの記事を書くことに、私はすごく臆病になる。
 そもそも私は、臆病者だ。何かをやろう! と決めても、「私がやって大丈夫だろうか」「私がこれやってもいいのだろうか」とあれこれよぎって、不安になる。それでなかなか動きだせない。
 たとえば、手紙。推しの二人、プロ野球選手の広輔とのむっち。二人には、よく手紙を出している。その手紙たちに関しても、そもそも届いているかも不明だが、その手紙を手に取って読んでいるのかと想像すると、変なこと書いていないかなとか、怖いとか思わせてないか、苦しめてないかとか心配になる。
 推しにそういう思いを抱えさせるのは、ファンとして失格だから。
 あと、手紙にはもう一方の名前は出さないが (でも一回、他に好きな方いますともう一方の名前を書いたことあるが)  
 ガッツリと出してもいいのか、広輔なら広輔にむけて書くものだし、のむっちならのむっちにむけて書くものだから、本人じゃないチームメイトのことを書くだなんて「なんだこの手紙は」てなるだけじゃ……。
 ファンレターって、何書いたらいいかわからない。「がんばれ! がんばれ!」は、返ってプレッシャーになってキツイというから、じゃあどんなことを書けばいいか。
 12月に入って二人に手紙を書こうと思う。クリスマスシーズンだから、メリークリスマスとサンタのイラストを描くのも良いかと考えるが、
 過ぎる問題点が、広輔は家庭を持っていて、そこに手紙を送るのは、他所のお宅に侵入するような感じがあって、気をつかう。
 のむっちは、独身だと思うけどいまいち一歩を踏み出せない。

 話は変わるが、この のむっちという呼び方もたぶん私しかしてないから、迷うところはある。のむっち当人も呼ばれたことないだろうから、戸惑う顔が想像できて、尊いけどちょっとな……。
 他の人にのむっちのことをいうときに、のむっちて言っても分からないだろうなと思う。でも、私の中では「のむっち」という呼び方が定着してるから、ちがう呼び方で呼んでも違和感がある。
 広輔は広輔だ。応援歌でも広輔だし、チームメイトや首脳陣からもそう呼ばれている。だから田中って呼ぶよりも、広輔って呼ぶ方が馴染みある。

 私は推しのことをどれだけ知っているのか。もうここまでずっと好きでいるものだが、どれだけ知っているのかと問うと、そんなに知らない。
 皆が注目するような、過去の業績とか出身校とか、二人とも本があるからそれに記されている情報程度だ。その情報も、とっくの古いものであると思うから、ちゃんと知りたい。

 最近、推しを推すことを描いた漫画や小説に触れて、推しに対してすごい情熱を持った人たちを目にして、私も負けてられないと思った。
 でもいざやろうとすると、ころっと気が変わったりする。実に悩ましい。

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