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学ぶことは楽しい。そしてゆたかだ。

私はいまイギリスで大学院の学生をやっている。約10年ぶりの学生生活、かつ初めての留学、英語圏での生活である。なかなかにハードなこともあったが(そして今まさにロックダウン真っ最中で、振り返れば今もハードなんだろうと思うが)、総合的に評価すると「学ぶことの楽しさ」を改めて実感しまくる貴重な時間であったと思う。

ちなみに大学院の(少なくともイギリスの)学習スタイルというのは、学生の主体性に依存しているものだ。もちろん理系文系やコースの程度の差こそあるが。例えば私の場合には週に3つしか授業を受けていない。他の時間は何やってるかって?ひたすらに自習である。ここでの授業はあくまで教官やクラスメイトとのディスカッションであって、何か大事な正解を教わる場所ではない。基本的な事項は勝手に勉強してこいという放し飼いスタイルだ。

結果、授業の準備や課題の作成で、常に論文や参考図書とにらめっこを強いられる。マジで日に日に視力が低下していくのを実感したし、右手は腱鞘炎みたいになる。そんな風に努力したからと言って誰が褒めてくれるわけでもなく、学位をとったからといって莫大な年収が保障されているわけでもない(なんなら帰国後も割とカツカツの生活をするのがもう見込まれている)。そしてイギリスの大学院は学費もめちゃくちゃ高い。生活費も含めて、社会人時代の貯金は吹っ飛んだ形だ。そこまでして何のために勉強するの?そんなことをよく聞かれた。

社会人になってからまた進学する理由なんて人それぞれだし、大した理由はいらない。海外大学院に留学するっていったって、別にみんなを納得させられる理由をこしらえる必要はない。

学ぶことは楽しい。ただそれだけでいいじゃないですか。

もういやってほど日々頭抱えて論文やエッセイ、研究データに向き合っているが、正直いってめちゃくちゃ楽しい。私は比較的真面目な学生時代を送っていたので勉強が嫌と思ったことはなかったが、それでもこんなに自分から学ぶことを楽しんでいるのは初めての経験だ。学びかた、そしてその楽しさを、自分の興味のある分野を学びながら知れたことには大きな価値がある。

大人になってからの学びといえば、あの欽ちゃんが大学生をやっていたなと思って検索したらなんだか退学していた。

退学したことに対して批判的な色合いの記事が多いんだけど、こういうところからもお勉強=大卒という学歴を得るための手段と見なされているのであろうことが窺える。彼は学ぶことを楽しんだ、そして満足して(もしくはまだ学びたかったかもしれないが)、仕事との兼ね合いで退学を決めた、それだけだ。第一70代にもなって退学をすることで何を批判されなきゃいけないっていうんだ、批判しているその口は入学すらしていないくせに。

と少し口が悪くなってしまったが、学ぶことは何かより経済的に、社会的に認められるためのトロフィーを得るための手段ではない。それは学びを矮小化しすぎている。学びは、それ自体が喜びだ。ゆたかさの証だ。あなたに、新しい世界の見え方を教えてくれる。

しかしながら同時に、学ぶということはとても贅沢なことでもある。

学ぶことは世界を広くする、素晴らしいことだ。だけど、あなたがそれをする余裕がなかったとして、時間や気持ちが向かなかったとして、それは悪いことではない。学びは贅沢品だ、大人になれば尚更、労働こそが尊いものであるという社会規範がある。

ただ、無駄だといわれるものにこそ価値があると、私は思う。わからないが分かるようになるから、世界はもっと興味深いものになる。わからないということと向き合っていくことが出来る。

学びがもっと多くの人の当たり前になる社会を。ゆたかな世界を。あなたにも、わたしにも。

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