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私はあなたを変えられないが、世界は変えられる。

私は結構ドライだといわれることがある。その理由の一つは、おそらく私のモットーが「私に他人は変えられない。その人が変わろうとしない限りは」だからではないか。

協力隊に行っていた2年間でも、これはとても強く思い知らされた。こちらがいかに「現地を少しでも良くしたい!」という謎の正義感を振りかざそうと、その国で、街で、現場で生まれ育ち生きて働いている人たちが「変わらない」限りは、実際何も起こらない。

どんなに正論を突き付けたところで、だいたいの人間の行動は変わらないのだ。その人が自分から変わろうと決意しない限りは。

これは、仕事に対する姿勢だろうが考え方だろうが人生についての価値観だろうが恋愛に対する行動だろうが、共通していえる。

それは諦めの言葉ではない。

私はネガティブかもしれない。基本的に他人に期待しないようにしている。一方で、これは希望の言葉でもある。

(どこかで聞いて耳に残っているなぁと思ったらシャーマンキングの言葉だった)

他人は変えられないが、自分なら変えられるからだ。

そもそも、相手を変えたいと思っている時点で「自分が正しく、相手が可哀そうなことに間違っている」という意識が透けて見える。そんな奴が近づいてきてあーだこーだ言われたところで、誰が自分が間違ってました!変わります!ってなるかよ?って話だ。傲慢ってことだ。

相手を変えたいと思うなら、自分の行動を変えること。戦わなきゃいけない場面なら、その方法を変えること。受け止め方の問題なら、視点を変えてみること。理解の問題なら、伝え方を変えてみること。どうしようもないことなら、”逃げる”ってことだって自分を変えるってことだ。

そんな中で、もしかしたら何かの化学反応が起こって相手も変わってくるかもしれない。そしたら儲けもんだ。ただし、最初からそれを期待しているようだと見透かされる。いつだって、変えられるのは自分の手の中にあることだけだ。

種をまく。生きてるうちに芽が出なくても。

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話がそれたが、これは世界を変えるための話だ。結論から言うと、私は世界を変えたい。どんな子どもも、子どもらしく過ごせる社会になることが、私の行動指針だ。

いつも自問自答していることがある。

隣にいる人すら変えられない無力な私が、世界を変えることなんてできるわけないだろう?

ということだ。

世界は差別と搾取の構造で支配されていて、いたるところでヘイトが蔓延している。あらゆる要素は複雑に絡まっていて、何か鍵を掴むためにイギリスくんだりまで留学に来たものの、学べば学ぶほど謎は深まるばかりである(その状況は実に楽しく感じてはいる)。

世界なんて変わらないし、変えられない。だったら好きなことして過ごそうじゃないか。しょせん人生は死ぬまでの暇つぶしなんだから。

そうやって斜に構えて生きていくことだってできる。別にその考え自体は否定しない。ただ、私はやっぱり覚悟をもって生きようと思うんだ。だって、私のちょっとした言葉や行動が、意図しない形で誰かの一生を変えるくらい影響を与えてしまうことがあるのだから。それは、プラスにもマイナスにもだ。だったら、自分の言動に覚悟と責任をもって生きたい。私はそう思う。

文化は人が作る。つまり、文化は変えられる。時間がかかっても、目に見える変化が現れるのが私が死んだあとでも。諦めなければ、足を止めなければ、種を撒き続けることが出来れば。

コロンブスだって生きているうちに地球を回すことが出来なかったんだ。だから、そんなに焦ることはない。人生は短い。だけど、人間はつながっている。

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