アウシュビッツ強制収容所に行って思う「つくられた差別」のこと
アウシュビッツ強制収容所ーナチス・ドイツ時代の負の遺産として知られる場所へ行ってきた。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所とは…
ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容された90%がユダヤ人(アシュケナジム)であった。(Wikipedia)
正直、第2次世界大戦について詳しいわけでもなく、ヨーロッパで何が起きたのかをよく把握しているわけでもなかった。訪問の理由としては、人類最大級の人権侵害、暴力であったといわれるナチス・ドイツのホロコースト。そしてその現場をこの目で見に行きたいと思ったためだ。
近年、アウシュビッツへの訪問客はとても増えているようで、私が参加した日本語ガイド付きツアーも非常に盛況なようだ。(ちなみに夏の方が混むらしいので、プランを立てる際には是非参考にどうぞ)
実際私たちが見学に行った際にも、多くの見学客でにぎわっていた。一見するとテーマパークのような印象を受けるほど。なぜこれほど多くの人が、決して見て楽しい場所とは言えないこの収容所を選んで、今訪れるのか。詳しい理由はわからないが、ヨーロッパ、ないし世界全体に蔓延する”排外主義”がそうさせるのかもしれない、と思った。
以下、正確な史実については言及出来ないので、主に見学を通して私が感じたことをまとめたいと思う。
それはユダヤ人迫害だけの話ではない
まず一番に感じたこと、それはここはユダヤ人だけが選別され、収容され、殺された場所ではない。ということ。
そこにはドイツ人の犯罪者や、同性愛者、障害者たちがそれぞれにラベリングされ、分類され、そして殺されていた。
収容所の中では労働力(しかも重労働、もしくは特殊労働スキル)だけが生き残る唯一の手段であり、過酷な住・労働環境によって身体が使い物にならなくなればガス室へ送られた。体力のない女性や子ども、高齢者では、収容所に到着するとともにガス室へ直行した者も少なくないそうだ。
ある部屋に、犠牲者の遺品が展示されている。大量の義足や装具だ。収容所に送られてきた市民の中で、障害者はすぐに殺された。労働力がないためだ。彼らが利用していた装具は貴重なため回収され、再利用などがされていたそうだ。その一部が今も保存されている。写真はとてもとれなかったが、小さな子ども用のものと思われる装具もあった。
そこで本当に数多くのユダヤ人が虐殺されたのは事実である。しかしアウシュビッツ=ユダヤ人のみ虐殺、という方程式はそこでは成り立たず、「労働力にならない者=死」という方が私には正しいように思えた。
このような考え方の下では、人種や性別、障害の有無や体格、すべてがあなたの価値を引き算してくる。働けなければ平等に無価値だ。非常にシンプル。ユダヤ人じゃないから、障害者じゃないから。そんなことは大した問題じゃないんだ。
それは私たちの話、かもしれない。
ナチス・ドイツの所業は非常に残虐なもので、二度と繰り返してはいけないものだ。だけど、私には特別に彼らが残虐で、愚かだったからあのような悲劇が起きたとは思えない。
かの時代も含めて、為政者とはとても知的で、賢く、そして狡猾だ。彼らは市民をどのように誘導するか、どのように支配するか、よく知っている。アウシュビッツのシステムを見て、改めてそう感じた。あそこのシステムは非常に整っていて、収容者同士で監視し合い、縛りあい、支配しあうように造られていた。人間というものの実験の場だったのではないかと感じてしまうほどに。
彼らは人間の扱い方を知っている。そうであるなら、私たちが生きる現代にも、同じような事象を繰り返すことだってとても容易いんだろう。ヒトラーを英雄として担ぎ上げたのは、他でもない市民だったんだから。そしてきっと当時のドイツ市民は、当然今の私たちと比べて別段に愚かだったわけではないはずだから。
差別はつくられ、利用され、そして過去は変えられる。
たまたま、ユダヤ人には疎まれるバックグラウンドがあっただけ、私にはそう感じる。だから選ばれた。仮想敵として。敵意のターゲットとして。意図的に差別的な構造が作られ、それが政治に利用された。それだけのように思う。
世界中見回しても、差別のない国はきっと存在しない。存在するなら是非住みたいが、人間ってものはそんなに単純じゃない。見える形、見えない形色々あれど、差別はどこにいったって付きまとう。権力者はそれを利用する。自分のやりたいことをやるために。
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今はナチス・ドイツのホロコーストといえばしっかりと事実として認識されている。現ドイツ政権も、積極的にホロコースト関連の施設に資金を提供し、「事実を理解するため」に精力的に活動している。その一方で、当時はホロコーストはなかったと主張する人たちもいたそうだ(どうやら今もいる)。
これって、すごく怖いことのように思う。100万人以上もの人が殺された、亡くなった事件が「なかった」と主張出来てしまうこと。そしてこれはいつでも起きうるし、日本を取り巻く諸問題についてもいえる。
事実は変わる。権力者がそう望めば。
現代に生きる私は、この事を肝に銘じておかなければならない、そう思った。
歴史から学ばない者は、歴史を繰り返す
アウシュビッツ強制収容所の一番初めの入り口にかけてある言葉をここで紹介する。非常に有名な言い回しだとは思うが改めて心に刺さる。
アウシュビッツへの行き方や概要についてはこちらもどうぞ
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