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”インクルージョン”なんていらねぇよ

障害や差別に勉強している私はほぼ毎日のように”インクルージョン”という言葉を見聞きする。

インクルージョンとは、障害者を隔離していた時代から、一緒に暮らす、学ぶ、働く時代へと移行していく中で生まれた言葉である。

以前はIntegrationと呼ばれていたが、現在はこちらの概念は批判されている。

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というわけで、インクルージョンという言葉に対して基本的にはポジティブな考え方であった。

今日、あることを考えるまでは。

結局この世界ではマジョリティが主語なのだ

Includeの目的語が障害者を含むマイノリティなのだとすると、Includeという行為をする主語、主体者はマジョリティ、非障害者、いわゆる世間にあたるのではないか。

働く権利、学ぶ権利、住みたい場所に住む権利。私たち人間には人権というオプションを行使する力がある。障害なんて全く関係なく、権利という視点から考えると我々には違いがない個人である。色んな特性の違いと、同等の権利をもった個人の集まり、それが社会だ。

インクルージョンと声高に叫ぶことは

しょうがないな、君たちのことも含んであげる

と、いわゆる健常者から障害者へ”許可”のようなものが出されているように、今日は聞こえた。

LGBTQを認めると少子化が進む。そんな言説を唱えて炎上する政治家が度々話題になるが、これを同じようなにおいがする。

お前が認めようが認めなかろうが、そこにいるんだ。

マジョリティに権利を与える権限なんてない。だったらInclude(含有)してあげる。なんてことも決められないはずだ。だって、すでに社会の中に生きているんだから。こちらが勝手に、無理やり締め出しているだけなんだから。彼ら彼女らの権利が、あえて主張しなくても訴えなくても、尊重され認められ、配慮が受けられるようになれば、【インクルーシブ】は批判される過去の考え方になる。

Inclusionなんて、はやくなくなればいい。


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