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主人の両親を相次いで見送ったお話・その1

ガンダムSEED FREEDOMの感想文から半年程経ち、そろそろ秋になろうかとしています。こんにちは。セキモトカナタです。

さて、今回は昨年の夏と今年の早春に主人の両親が相次いで亡くなり、バタバタしながら見送った忘備録。1度まとめてみたものの、中々の文章量となったため、いくつかにまとめてみました。今回はその1回目。主人の父を見送ったお話を中心に、主人の母を見送ってその総括、そして、義父が亡くなって1ヶ月後に起こった出来事と相続関係を中心にお送りします。

それでは、『主人の両親を相次いで見送ったお話・その1』をお送りします。
(´-`).。oO(その2以降は、出来上がり次第しれっと上げときます……

別れはある日突然に

今年の梅雨は梅雨入りが遅く、雨もひとたび降れば、バケツをひっくり返した様な雨。
しかしその雨雲が過ぎ、雲の隙間から眩しい陽射しが差し込めば真っ青な空が広がる。

その『夏』の訪れと共に主人の父(=私から見たら義父)の一周忌、そして、その父だけではなく主人の母(=私から見たら義母)の初盆が行われた。
その一周忌のあとの食事会は、様々な思い出話と我々に降って湧いた相続トラブル話を中心に盛り上がり、会を開いた私たちはほっと胸を撫で下ろした。

思えば1年前、義父が家で倒れそのまま息を引き取ったのには(亡くなった悲しさより)驚きの方が大きかったのだが、その1年間の間に義母も息を引き取るなど誰が想像しただろうか。
(´-`).。oO(まぁ、義父に関していうと亡くなる2年前の冬に入院し、その直前にも入退院を繰り返していたのでいつどうなってもおかしくない、のはわかっていたけども、義母は本当に突然だったのよ……

その兆候はあったけども、本当に医者もびっくりするほど元気だったのよ

昨年の夏、義父が急逝した。

2年前の暮れに体調を崩し、救急車で担ぎ込まれた病院の先生から

(年齢も年齢なので)処置によっては助からないかもしれないので、覚悟しておいてください

と、事実上の余命宣告をされたのだが、奇跡的にそこの病院で考えていた処置が出来、また、回復も年齢を考えると有り得ない位に早く、1ヶ月の入院予定が年内で退院した。

その後、年が明け初夏と梅雨が終わる頃に肺炎で入院をしたのだが、入院先の先生や看護師が驚く程に元気に喋り、病院で出されるご飯に不満を漏らしつつも無事に回復し退院してきた。

が、暑い日が続いた7月末の夜。
主人の電話が鳴り響き、電話先の義母が慌てていたので一旦電話を切り、主人の両親がお世話になっている訪問看護ステーションに電話をし、我々も主人の実家に向かった。

もう少しで主人の実家に着くその時、突然私のスマホが鳴り響いた。電話の相手は実家に来てくれた訪問看護師のウエモト(仮)さんだった。

ウエモトさん『セキモトさん、落ち着いて聞いてください。お父さん、心肺停止です』
私『心肺停止?!』


看護師のウエモトさんのその言葉に、車の中だというのに思わず叫んでしまった。

一先ず主人を先に主人の実家へ向かわせ、その後、救急車で病院に向かったものの、搬送先の病院で義父の死亡確認がされ、真夏の真夜中、気が動転していた主人は、タクシーを拾うことなく病院から泣きながら歩いて帰ってきた。

先手を打ってくれていたことには感謝はするが

セキモト家の大黒柱であり、どんなことでも先手を打つ事が多かった義父は、

今後の手続きに関して
びっしりとノートに書き残しており、
主人には『もしも』の時に使える現金と
セキモト家の通帳の場所を教えていた


……のだが、義父の急死を受け混乱している我々が、(現金と通帳は見つけたが)そのノートを見つけられる訳がなく。急遽ネットで調べた他の場所で通夜と告別式をする事となり、その式場に義父を運んでもらい通夜と告別式の手続きを済ませた後、主人の実家に戻って義父の遺影を探していた……ら、

食器棚の引き出しから遺影と共に、積立をしていた式場の証券と、主人が知ってる現金とは別の現金(要はへそくり)が見つかった(!!)

それらを見つけた後、空の上に居る(はずの)義父に、我々2人でツッコミを入れたのは言うまでもない。

また、義父は宗派にこだわりがあり、セキモト家の菩提寺に通夜と告別式、戒名の依頼をしたのだが、

提示されたその金額に
目の前が真っ暗になった(°∀°)ヒィィィィ


とはいえ、菩提寺でお葬式をするということは義父の生前からの約束でもあったので、そうする事にした。が、次に私たちを悩ませたのは、通夜の弔問客が多すぎて、告別式の参加人数が読めなかったことだ。

というのは、セキモト家の田舎は四国のとある大きな島。そこから私たちのいる大阪に来るとすれば、船と電車を乗り継いでも半日掛る。
とりあえず、そちらからの親戚は高齢ということもあり、後日香典が送られてきた。
が、大阪府内に住んでいる義父の親戚、義母の姉家族……つまり、セキモト家の親類が大勢やってきた為、主人を通じて紹介されても、

誰 が 誰 だ か 
さ っ ぱ り わ か ら ん\(^o^)/ワカラン


それだけにとどまらず、その通夜と告別式に
・私の実家(=フクハラ家)
・義父と義母の介護を担当してくれたスタッフさん達とケアマネのノウミさん
・主人の兄(=私から見たら義兄)のグループホームのスタッフさん
・義兄のグループホームの理事長さん、グループホームの家族会の皆さん……

参加者、およそ60名(!!)
(´-`).。oO(通夜と告別式両方合わせて、です

またそこの式場自体、家族葬がメインの式場だったため、

とりあえず通夜と告別式各30名くらいかなぁ

と、用意していた返礼品が(通夜の段階で)全く足りず、私たちが貰うはずだった返礼品を回すこととなり、翌日の告別式は告別式で、どの位の人が残るか解らず、火葬中の食事会の食事が余ってしまい、残りは食事会の会場側のご好意で折り詰めのお弁当にしてもらった。
(´-`).。oO(そこで、義母を乗せて式場と施設と火葬場と行き来するのですが、今の車では(今後のことを考えても)かなり無理だという現実を突きつけられてしまうんですねぇ……詳しくは下記↓参照

感傷に浸る間もなく、手続きは続くも

かなりバタバタな式となってしまったが、義父の通夜と告別式を無事に終え、四十九日も主人の実家ですることが出来た。

が、その『家』も義母が今回お世話になった施設に空きが出たため、そのまま入居することとなり、大阪市に返却する必要が出てきた。

主人の実家は大阪市内にある市営住宅で、私が結婚の挨拶に訪れた時は、築浅の綺麗なお部屋だったのだが、年齢を重ねる毎に手入れが行き届かなくなってしまったため、

最低限の手入れはしているものの、服と物と紙がいっぱいの家となっていた\(^o^)/ナンテコッタイ

義父の死後、上記の惨状を見て遺品整理を我々でやるのは無理、と判断した私は、遺品整理を業者に頼んでやることにしたのだが、義父が亡くなったということは、今までなら義父がやっていた手続きも我々でしないといけない訳で、それらの手続きをする為に、主人と2人で大阪市内の区役所や主人の実家に何度も足を運び、家の処分と下記の手続きを終えたのは、2023年の12月のことだった。

【で、実際にやった手続きの数々】

義父死去直後
・新聞解約

2023年8月(義父の告別式後)
・義父の健康保険証と介護保険返却
・義父母の介護ベッド返却
・義母の施設入居申請の手続き
・生協解約
・義父の位牌作成と香典返しの申し込み
・遺族年金の手続き
・夫婦2人で入るお墓の申し込み

2023年9月
・義父四十九日
・義父四十九日のお供え返し
・義母親族の固定資産税、住民税の支払い拒否の手続き←
・遺産相続の話し合い
(´-`).。oO(参加者は義母、義兄の成年後見人、主人、私。法で定められてる割合で分けることが決まっていたため揉めることがなかったが、法律的なアドバイスが欲しかったので司法書士さんにも入ってもらった。上記2つの詳しい話は別の時にでも。

2023年10月
・主人の実家に残された食器棚、家具、電化製品の処分
(´-`).。oO(業者にお願いしてやって貰ったが、市営住宅規模の広さの部屋で大体30万円前後。新品のエアコンとテレビは買い取ってもらったり、自分たちで捨てれるものは捨てたのでこの程度で済んだが、フルでやってもらったら、50万から60万円位かかっちゃうので、ある程度自分たちで出来る範囲で処分してから業者に頼む方がいいかも
・ガス、水道、電気、ケーブルテレビ、家の電話、市営住宅の解約
・義母の施設で使用する洋服と靴の購入
(´-`).。oO(洋服や肌着も家に沢山あったんですが、あまりにも古すぎてお義母さんが可哀想だったので、思い切って新品を購入しました……

2023年11月
・義母の生命保険の契約者変更と受取人変更
・NHK解約
・喪中、寒中見舞いはがきの発注
(´-`).。oO(親戚が多い家や故人が大量に年賀状を出していた家は、スーパーの店頭でよく見る年賀状印刷で喪中はがきや寒中見舞いの印刷がオススメだよ……受付内容によっては送り先の宛名も印刷してくれるし、早期割引を使えばかなり安く印刷できるので、検討してみるといいよ

2023年12月
・義父のケータイ電話解約
(´-`).。oO(ケータイの解約はなるべく月末近くに!!各キャリアの販売店じゃないと解約出来ないので、販売店に予約して必要な書類を用意。そして、ケータイの請求が口座引き落としになっているなら、請求書を自分たちのところに送って貰うようにする

2024年2月
・義兄の生命保険の受取人変更
・義母の印鑑証明の再発行手続き
(´-`).。oO(遺産相続の際、印鑑証明がいるということだったのですが、その印鑑証明が見つからず、作り直しとなってしまい新しい印鑑を作成しその印鑑を義母に見せて市役所に提出、という所まで来たのだが……

義母も入所した施設で楽しく過ごし、上記の処理も落ち着いてきた今年の2月。銀行口座からの引き落としの関係で、中々進められなかった義父の遺産相続に取りかかるため、少しずつ準備を進めようとしていたある日の真夜中、主人の元に1本の電話がかかってきて、我々は再び慌てふためく事となる。

そう、義父に引き続き、
今度は義母が息を引き取ったのである。

(主人の両親を相次いで見送ったお話・その2へ続く!!)