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始まるのに終わる話。

 顔から滴り落ちていく水滴が排水溝に飲まれていく様を眺めながら、私は洗面台の前で呆然と立ち尽くしていた。
 知らぬうちに誕生日になり、また何も無いまま歳をとってしまっていた事を、何気なしに思い出した。干しっぱなしのタオルで顔を乱雑に拭き、適当に洗濯機の中に放り込み、洗剤と柔軟剤を量も計らず適当に入れる。こんな事をしているからすぐに洗剤達は無くなって行くのだろうと、どうでも良い事を考えて蓋を閉じ、洗濯開始のボタンを押した。
 背後で洗濯機がゴウンゴウンと、耳に触る音を鳴らしながら回っている。何かをしようと洗面所を出たが、何をしたかったのか思い出せず、しばらく廊下でウロウロした後、結局思い出せずにベッドへと戻った。
 地上波の映らないテレビを点けて、適当にアマプラで配信されている映画を流す。出演者やあらすじを読んでいると、評価が低い事に気づき、一瞬見るのをやめようと思った。しかしどうせ流し見るものだと、停止ボタンを押さずにホームに戻る。ラインの通知バッヂには16と表示されており、そのうちの半分は誕生日を祝うメッセージで、残りは母からだった。昔から母とは折り合いが悪く、家庭環境もさしていい方ではなかった為、物心ついた頃には誕生日が祝われる事などはなかった。それが今になって、上京して遠くに行った子を心配する気持ちが芽生えたのか、時々ラインを送ってくる。もう21になったとはいえ、私はまだまだ子供だ。母を許し、心からお祝いの言葉を受け取れるほど私は成長できていない。適当なスタンプを一個送り、その後にきた返信には既読をつけずにいる。
 昔から嫌なことから目を背けてばかりだった。自分が辛くなると、そこから全力で逃げ去る。そうでもしないと、簡単に心が折れてしまうからだ。母から受けていた暴力も、うまくいかなかった家庭環境も、その事実は覚えているのに、事細かなことは何一つ覚えていない。ふと、夢に出てきてそれで思い出すこともあるが、大抵は「何かしら嫌なことがあった」としか認識できていない。脳は大変便利なもので、辛かったことには蓋をしてくれるらしい。いそいそと、友人らからのメッセージに返信をし、ラインを閉じた。真っ暗になった携帯画面を眺めながら、ベットに横たわる。自動設定になっているエアコンからは、生ぬるい風が吹いていて、時折風向きが変わって顔に当たる。乾燥してパリパリになった唇があくびをした瞬間に切れ、そこから血が流れ出た。それを拭き取ることもなく、私はずっと真っ暗な携帯画面を見つめていた。ここ最近、こうやって何もせずに、色々考えてしまう。将来のこととか、仕事を辞めた後のこととかを。今こうやってベッドに横たわりながら考えても仕方のないことばかりが頭の中を駆け巡り、気分を落ち込ませてしまう。昔から人より上手く生きることができなかったが、それを最近ひしひしと感じるようになった。これから私は一人でどうやって生きて行くのだろうか。そもそも一人で生きていけるのだろうか。周りの環境が変化すればするほど、私が何一つ成長できずにいる事を実感させられる。仲の良い高校の友達から送られる、赤ん坊の可愛らしい写真は、私の心を癒すと共に傷つける。同い年でもこれほど人生に差が出るものなのだな、と相手と自分を比較してしまう。容姿がいいわけでも、性格がいいわけでもない。なおかつ金もない。こんな人間がこの先パートナーを見つけ、共に生きるなんてことができるのだろうか。このまま天涯孤独なのだろうか。もしかしたらいま人生を終えた方が、この先の私のためなのだろうか。

 「ピーピーピーピー」

 洗濯が完了しました。という機械の音声が微かに洗面所から鳴り響いた。遠くにあった意識が、じんわりと戻って、堂々巡りしていた脳内がいつもの状態へと戻っていった。洗濯物を干しながら、私は誕生日になにを考えているのだろうと、自分のくだらなさに自然と口から微かな笑いが出た。

 

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