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私たちとあなたたちの好き嫌い

文章っていうのは、好き嫌いだと思うんです。

本を読むときに、最初のページでやめることがあります。
飽きっぽくて堪え性がなくて、短気なのは認めます。が、面白い文章には最初から引き込まれるものだと思ってます。

おそらく私以外の人にもあると思うのですが、嫌いな文章というものが私にもあるようです。
どこが嫌いかは自分でも良く分かりません。言葉を選びだとか接続詞の使い方とか、文体とか一文の長さとか書き出しとか……なのでしょうか。とにかく、これはちょっと違うな、と思うことがあるのです。

吉田拓郎さんはラジオ番組で「音楽は好き嫌いだ」と言っていました。
声、歌詞、メロディー、どれか一つが受け入れられなければどんなに有名な歌や歌い手でも好きになれない。文章も同じだと思うんです。

小田嶋隆さんは、「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』」の中で、「文章は、楽しむために読むものだ。」と言い切られています。
そうです、私にとって文章は楽しむために読むもの。ならば、楽しめないものは私は積極的に切る姿勢で望みます。

エッセイは好きだけど小説は好きではない作家さんがいます。エッセイの軽妙な語り口は好みだけれど、物語には魅力を感じられないんです。
ストーリーには魅力を感じないんですが、文章が好きな作家さんもいます。静けさの漂う文章というのでしょうか。窓の内側から雪が降るのを眺めるような、そんな文章を書く人。
人を引き込む文章で一度読み始めると止められないのだけれど、どの本も結末が結婚で終わるので追いかけるのをやめた作家さんもいます。

ええ、完全に私の好き嫌いです。でもそういうのが文章の世界ではすごく大事で、それが表現というものだと思うんです。芸術ってそんなものだと思います。
だからこそ、文章を書いて面白かったと言われたり共感されたりするのは類まれな喜びになる。

……と自分に言い聞かせても文章はなかなか上手くならなくて。
明日のテキストはスキがたくさんつくといいなぁなんて考えながら、今日も私はnoteを開くのです。


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