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友達でいるために

先日、友達に会いました。中学の2年生のとき以来ですから、8年ぶりに再開した友達でした。で、2時間ほど私の生き方と性格について散々ダメ出しとお説教を頂いて2000円払って帰ってきました。ご飯は美味しくありませんでした。
8ヶ月ほど前には、大学の先輩と二人で飲みに行きました。親孝行について1時間半ほど説かれて3000円払って帰ってきました。ちっとも酔えませんでした。
帰ってから、どちらの人もLINEの友達一覧から非表示にしました。


まだ若いから。将来のことを考えて。社会に出た時に。いつか役立つ。それらを口から紡いだ人々が途端に色褪せて見えてくるのは不思議としか言いようがないのですが、私だけでしょうか。
指導・助言・説教・アドバイス・忠告。全部全部要らないと思うのは、若さゆえの意地なのでしょうか。でもね。


成功も失敗も、糧にしてみせる。恥も栄誉も、歳を取った時の笑い話にしてみせる。だから、自分の手で、自由に、今を創っていきたいのです。もちろん、今は未来を生むってこの歳になれば知っているから、今と未来を創っていきたいのです、この手で。
確かに私の手は小さすぎて、何かを取り落としてしまうかもしれません。でも、それでいい。そう今の私には思えるのです。
だって、今の私が思い出すのはいつだって、やらかした失敗に諦めてしまった恋だから。上手くいったプレゼンや好かれただけの時間は、私に追憶をもたらしてくれないのです。


人生を振り返るときに必要なのは甘い追憶で、成功ばかりではきっとしょっぱすぎると思うのです。
だから、なんて言ったら壮大すぎるでしょうか。
それでも、アドバイスや助言に名を借りた、言っている本人だけが気持ちの良いことを押し付けないで欲しいのです。そう言いたくて言えなくて、言うのも面倒で、連絡を断ってしまう人って思いがけず多くて、ただ私はあなたと笑い合っていたいのにと残念に思うのです。



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