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はじめての恵方巻

 今年の節分は、人生ではじめて恵方巻を食べた。

 私が育った地域では恵方巻の習慣はなかったし、全国的に流行り出した時にはすでに大人になっていたから節分に何かすることもなくなっていて、人生において特に恵方巻の必要性は感じずにきた。

 美味しそうだけど、まあ要は太巻きだよね。黙って全部食べなきゃいけないなんて、大変だし、せっかくのお寿司を味わえなそうだし…なんて、ドライな気持ちでいた。

 でも、そんな話を友だちとしていたら、一人、「私、恵方巻は毎年やってる」というベテラン(?)の子がいたので、便乗して一緒にやらせてもらうことになった。

 場所は友だちの家。恵方巻は近くのお寿司屋さんの海鮮たっぷりの美味しそうな物を予約して、友だちがけんちん汁(節分の風習?らしい)をつくってくれるというので、私はサラダと飲み物を用意することにして、あっという間に節分パーティー(旧正月も口実に)の段取りが整った。

 一生、恵方巻とは縁がないかと思っていたのに、決まる時はとんとん拍子に進むものだ。決まってしまうとわくわくしてくる。

 そして当日、友だちの家に向かう途中で私が恵方巻をピックアップしていくことになっていたのでお店によると、すでに一組、恵方巻待ちのお客さんが前にいた。恵方巻の人気を感じつつ待っていると、「お待たせしました!恵方巻二本ですね!」と、渡された袋がずしっと重くてびっくりする。予想外の重さだ。

 お店を出て、エレベーターでそっとのぞいてみると、誇張ではなく、私の手首くらいの太さがある。長さも20㎝くらいある。でかい。

 まさか、これをまるごと全部黙って食べるなんてことはないだろう。そもそも、全部食べられるかもわからない大きさだし。と、思っていたのだけれど、友だちの家についたら、友だちが普通に「え、全部無言で食べるでしょ?」というので、また仰天した。

「いや、だってこの大きさだよ!これを無言で全部食べるってなったら、おしゃべりできないよ!私、せっかくの節分パーティーでここまで来て、無言で寿司だけ食べて帰ることになるよ!」

 と、一生懸命、恵方巻を見せながら力説したら、さすがに友だちもその大きさに納得したらしく、「じゃあ一口分だけ切って、それは吉方を見ながら無言で食べよう。その後は普通にご飯にしよう」ということになった。

 危なかった。無言で寿司を食べるだけの時間にならなくてよかった。

 それではまず、食卓を準備しよう、ということで、私はサラダをつくり、友だちはけんちん汁をよそい、ビールを冷蔵庫から出してきた。先に豆を撒くのかと思ったら恵方巻が先だというので、それぞれ、自分の恵方巻を好きなだけ切った。海鮮なので、醤油とワサビも用意した。

 「醤油は食べている途中でつけてもいいのかな?」と聞くと、友だちは、「いいんじゃない。二度漬け禁止とかないと思うよ」といった。自由そうで安心した。

 友だちが吉方を一桁まで調べてくれて、スマホのコンパスで確認する。部屋のあの辺だね、ということで、二人ともそちらを向いてスタンバイした。無言の間は、願い事を思い浮かべるのだそうだ。

 お茶を飲んで喉を潤してから、

「それじゃ、おめでとうございます」

「おめでとうございます」

 と、揃って厳かに吉方に向かってお辞儀をして、もぐもぐ食べ始めた。

 お寿司屋さんの恵方巻は、さすがにお寿司屋さんだけあってネタが新鮮だった。一口食べて、「美味しいねー!」と絶賛したくなったけれど、もちろんいえないので、我慢して食べ続ける。美味しい。早く食べ終わって、美味しさへのよろこびをシェアしたい。でも、お寿司をちゃんと味わいたくもあるので、あまり急がないように食べ進める。

 その間中、願い事、願い事、と、必死で考えていたのだけれど、ふとした瞬間に我に返って、今起こっていることのすべてを客観的に見る視点になってしまった。

 オシャレなインテリアの友だちのワンルームマンション。二人がそろって同じ方向を向いて、つまりは友だちは私に背を向けて、もくもくと寿司を食べている。その沈黙の中を、友だちがBGMとして選んでくれた軽快なハワイアンミュージックが流れている。

 一度、俯瞰してしまったら、そのすべてがおもしろくてたまらなくなってきて、笑いたくて仕方なくなった。やばい。でも笑ってはいけない。

 必死でこらえたのだけれど、耐え切れず、「ごふっ」とむせてしまった。友だちも、つられて「ふふふふ」とこらえきれず含み笑いをしつつ、耐えていた。そこからはもう笑いが止まらず、それでも何とかがんばって、ぐいぐい寿司を口の中に押し込んで無言で最後まで食べ切った。味なんてあったものじゃない。

 私が食べ終わっても友だちはまだだったので、邪魔をしてはいけないと思い、肩を震わせ、とにかく必死で笑いをこらえた。笑いをこらえないといけないことなんてもう何年もなかったので、笑わないようにするのってこんなに苦しかったっけ、と思う。ドラマのNGでたまに役者が笑いがとまらなくなっていることがあるけど、そこからどうやって回復してるんだろう。その後にちゃんと演技できるなんてプロはすごいな…。

 なんてことまで思っているうちに、ようやく、友だちも無言ノルマ分を食べ終わり、しばらく、ここぞとばかりに大笑いした。笑いをこらえるのも久しぶりなら、こんなに爆笑するのも久しぶりだ。涙はぼろぼろ出てくるし、お腹が痛くなる。横隔膜が動いて、食前の運動としてはすごく良さそう。

 ひとしきり笑った後、友だちが「これだけ笑ったら幸先のいい一年になりそうだね」といった。ほんとうに。いろんな願い事を考えてはみたけれど、日々、周りの大切な人たちとこんなふうに笑って過ごせるなら、それが何より一番だ。恵方巻を無言で食べるのは、笑いの大切さを教えるためなのかもしれない。(違うだろうけど)

 その後も、しきたりもよくわからないままとりあえず外と中に向かって豆を撒いたり、鬼の仮面をかぶってぶつけ合ったりした後、歳の数だけ豆を食べ、何とか節分の行事は完了した。そんなことをしている間にけんちん汁もビールもぬるくなったけれど、夕飯もなんだかんだですべて美味しくて、調子に乗って普段は飲まないビールを結構飲み、夜遅くに初心者同士でウクレレをじゃかじゃかかき鳴らした。

 そろそろおひらきに…と、いう頃に、友だちが「やっぱり、こうやってちゃんと行事をお祝いするのっていいね!」と満足そうにいった。恵方巻は爆笑していたし、豆の撒き方も適当だったし、そもそも節分の意味もちゃんと知らないし、お祝いできてたんだろうか…と疑問に思ったものの、まあすごく楽しかったからいいか、と思った。楽しくて美味しければ、どんな行事でも成功だといえる。

 そして、節分から一週間ほどが経った今も、あの時のハワイアンソングの流れる無言恵方巻タイムを思い出すと、一人で笑えてくる。これだけ笑える思い出ができたのだから、今年の節分は、やっぱり大成功だったと思う。

友だちがもらってきた鬼のお面が、やたらリアルでこわかった(でもインテリアにマッチ)。


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