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戦わなくていい

自分がどこに向かえば良いか、このところずっと分からない。

30歳にもなれば、進むべき方向や道の正解は自分で考えるものだし、誰も自分の人生の面倒も見てくれないし、ましてや責任も取ってくれない。

今まで自分がどんな気持ちで生きてきたかを知っている人ももう自分しかいない。

「やるなら1番を、誰にも負けちゃダメだ」

これがうちの両親が幼い頃の私にかけ続けた言葉だった。

運動会の徒競走
始めた野球
スイミングに武道
勉強

小さい頃、抜群の運動神経を誇った私に両親はいろいろな夢を見たのだそう。
この子なら何でも出来るんじゃないか。
この子なら有名な何かになれるかもしれない。
プロ野球選手になるかもしれない。

運動会、野球の試合は鼻が高かったという。
誰?あの足の速い子は。
誰?あのうまい子は。

私は誰かに勝つことで両親の視界に入り続けて、
誰かに勝つことで両親の誇りであり続けた。

自分自身もいつの日か「人と競って勝つこと」が全てであると思っていた。

私は今、興味のない仕事をしている。
世間体やローンの審査では信頼はあるにせよ、自分自身の能力を活かせているとは感じられず楽しくもない。

そんな仕事をしている。

こうなってしまったのは誰かに勝つことが物理的に難しくなっていったからだった。

ドクターストップがかかり、運動を取り上げられてしまえば、私には何もない。

でも、何かで誰かに勝たなきゃならない。

そんな考え方で十数年生きている間に、私が「徒競走」や「野球」で負かした人たちはみんな「好きなこと」「興味のあること」「生きていく道」をある程度見つけていた。

私は当時付き合っていた彼女へその生き方の矛先を向けた。

当時の彼女は私よりも学歴、能力、スペックともに優れていてバイタリティあふれる人間だった。

私も、いやかつての私は未来の私がそうなると思っていた姿を彼女に重ね、勝手に劣っていると感じていて、自分もそうなることが出来る。と信じて疑わなかった。

彼女は能力も高かったが、何より自分が好きなこと、興味のあることをしていた。

恋人と張り合うような恋愛は失敗に終わった。

就職活動も何をしていいか分からなかった。
興味のあること?好きなこと?自分の得意なこと?

それらが分からず、同級生や自分より学歴が高い人間が就職する会社によりも上の会社に就職したくて頑張った。
自分で軸を決められず、高学歴の先輩が応募した企業を聞き出して、そのまま受けたこともあった。

口先はうまかったので、大手金融会社へ就職できた。

誰かに勝つ。という意識で働いていたことで、営業賞を取るも、なんでこんな酷い事を、人に損をさせてまで働いているんだ?という気持ち、罪悪感で心が折れてしまった。

かろうじて行きたい気持ちがあった業界は、新卒・転職ともに最終面接で落とされた。

今は公務員をしている。
仕事の中で緩いなと感じる瞬間があると
自分の人生は本当にこれでいいのだろうか?と思うことが多々ある。

もっと色々なことが出来て、人に勇気を与えられるような仕事や人物になるはずだった。と小さい頃の自分が今の自分を見て言っている。

先日父と連絡を取る機会があり、ふと謝られた。

幼い頃、お前にプレッシャーをかけすぎた気がする。

もう戦わなくていいんだ。好きに生きて、好きに幸せになってほしい。

人より早く戦い始めて、その戦いが終わるのも遅かった。
だから今はゆっくりだっていいんじゃないか。


私は、大抵のことなら人より上手く出来る。
飲み込みも機転も、頭の回転だって速い。

ただ、突出した何かを持たない人間。器用貧乏のようになっている。

自分より仕事ができる人が現れた時、私はいつも思う。
好きなことだったら。興味のある仕事だったら、ああしたいこうしたいが出てくるのではないか。

言い訳なのは分かっている。

でも、目標や目的がない。
日々が淡々と過ぎていくばかりだ。

自分は誰と戦って、何で勝って行って、
その先には何があって何を感じられるんだろう。

何か始めようと思っても、「やりたいからやる」ではなく、「人より上手く出来そうだからやる」という探し方をしてしまう。

今更謝るなんて反則だよ。と言いたいが、父は自分より早く死ぬ。

残された自分と最後まで一緒なのは間違いなく自分である。

悩んだり、モヤモヤしたりする時間が人よりも長かったように思う。

この気持ち、このネガティヴさ、思考の癖を
誰かのために役立てたい。自分と同じ人間を作りたくない。

役立てる方法はあるのだろうか。

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