あとがきのようなもの #1 『春を待つ』

お久しぶりです。夏休みを終えて「だらける」ことを覚えてしまった奏星です。星 奏(ほし かなで)名義で書いている短編小説のあとがきのようなものを書いてみようと思います。和訳のストラテジーは、コスパ(時間対自己満足度)が悪すぎてとりあえずやめることにしました。面白い英語を見つけたらその紹介をしていこうかと。

そんなわけで、私が愁文会で初めて書いた作品『春を待つ』を見ていきたいと思います!まだお読みになられていない方は下のツイートからぜひ!

では、これから私の語彙が自由に動き回るので、どうぞ最後までお読み頂ければ……
※常体と敬体が入り乱れています。直そうかと思ったのですが、諦めてしまったのでご了承ください。

1.恋すること、あるいは時間を「昇華」させる旅

はい。作品が手元にないのに書き出してしまいました。これから春樹とさくらが離れていってしまうまでの「旅」を見ていくわけですが、今回の作品の伝えたいところはなんだかんだ言って限られた時間をいかにお互い楽しむか、そこの美しさだと思うんですよね。書いたときに、なんでこれを書いたのか覚えてない私が言えることではないけど。

出会いは単純。高校入学時の隣の席。こういう恋愛いいですよね……憧れる(もう二度とこんな機会が来ないなんて泣けてくるね)。そこから、春樹とさくら、名前が似てるね、なんて言って。ちなみに『君の膵臓をたべたい』も主人公は春樹とさくらって名前でした。ずっと前に読んだので何か頭に残ってたのかも?

花びらが散りゆくのを美しいといったのはどうしてなんだろう。うまくいけばいくほど、カウントダウンが進んでいく。停滞しない二人の想い。止まれるはずの(真相を知っていた)春樹も、恋心の指数関数的増幅に逆らえない。良くも悪くも、恋というものは時間を栄養として高まっていくみたい。その時間によってなくなっていくものは桜の花びら。告白のとき、風が吹いたのか吹かなかったのか、はらり、と散りきってしまう。ここからが始まりなのか、終わりへの道筋なのか。

2.愛すること、そして真相へと急ぐ特急列車

恋と愛の違いはなんですか?

この質問を後輩とかにされます(正確には後輩たちが議論しているところに勝手に主張しにいっている老害であります)。私の答えは単純ですがつかみにくい。

「恋はソーダ。愛は紅茶に溶かす砂糖。」
恋なんか弾けてなんぼです。愛は溶けてもいい。ただし残り続けるものでなければ。

その点で、春樹とさくらは恋はできても愛はできたのだろうか……
私はできたと思う、思いたい。あの別れに愛があったか。あったはずだと思いたい。
ここはそれぞれの解釈があり、意見があっていいと思います。ただ、この二人には何か通じたものがあったはず。それが……愛なのではないか。

真相は作品を読んでいただくとして……ここに至るまでの平凡な、しかし貴重なお付き合いの期間は、儚くもとても早く過ぎ去っていく。大切な時間、止まれといっても止まらない。むしろ早くなる。これを私は愛の時間加速法則とでも呼んでおく。そんなものがあるのかどうかは知らないし、付き合ってる人だけ時間の流れが速いなんて思えないが。実際どうなんでしょうか。

3.別れ、過去への後悔の否定

別れというものはネガティブに捉えがちです。私だってそう。ただ、後悔はすべきものでないと思います。もし、その人との時間が過ごせなかったらどうなっていたか?どうせ別れるからこの人となんか関わらない(あとよくあるのは、この人と関わってもどうせ相手はどうとも思ってないから……と抑圧するタイプね)、なんて思ってしまうのはもったいないと思うんですよね……
結果だけが全てでしょうか。離れないこと、付き合うことが全てでしょうか。それよりも、その人とともにいること、一秒でも同じ空間で同じ空気を吸い、感情を共有している瞬間が大切なんです。そこに名前が付き、比較的安定した関係になるか否かというだけ。

だとしたら、別れても、別に良くない?と思います。過去のその瞬間を抱きしめ続ける限り(別に意識下になくてもいい、経験をしていればそれだけで十分)、その時間には意味があったと思うのです。だから、春樹とさくらは別れたのだと思います。好きで、離れたくなくても、共有できた感情(桜に対しての想いね)がなくなってしまえば意味がない。そういう意味では、別れてから始まるのかもしれない。桜が咲く度に春樹とさくらはお互いを思い出して繋がる。まるで七夕の織姫と彦星のように、春につながる二人。

4.おわりに。未来への期待と「思い出」

思い出は美化される。私が中学時代から何故か言い続けている言葉。良く言えば、良いことだけを残しておける。悪く言えば、嫌なことを全部消し去って作られた美しさで固められる。そんなニュアンスがあると思っていた。実際そうであるかもしれないが、最近の私の解釈は少し違う。というか、みなさんはわかってたであろうことにようやく気がついてしまった、というのが正しいと思う。

良いことは、とことん良かったように思えてくる。悪かったことは、自分の都合の良いように悪かった記憶として残る。これが「美化」だ。耳の痛い話だが、こういうこと。

春樹とさくらだとどうだろう。悪かったことはあまりないように思える。良かったこと……出会えたことから、すれ違ってもちゃんと戻ってこれたことまで、すべて良かったことだろう。それがどのように美化されるのか。桜にのせて、思い出がはらりとしていく。甘いような酸っぱいような、まるで本当に桜の花びらの味のような、そんな思い出に、なっていくのでしょう。

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