春が運ぶ記憶
3月も下旬にさしかかり、道路を白くコーティングしていた雪は、綺麗さっぱり消えた。
とはいえ、風はまだ冷たさを帯びているし、天気も安定しない日が多い。
桜の花が咲くまでにはもうしばらくかかりそうなものの、確実に春が近づいているのを感じる。
この季節は、出会いと別れが交互にやってくる。
学校や企業の一年の始まりが一般的には4月だから、3月は必然的に「終わり」のイベントが頻発する月になるのだ。
これまでの学校生活で、いくつも「終わり」を告げる行事に立ち会ってきたが、最も鮮烈に覚えているのが、小学校3年生の離任式だ。
その年、僕のクラスを受け持ったのは若い男の先生だった。
スポーツが得意で、ギターの弾き語りもできて、おまけにカッコいいときたら、幼い僕らの心が奪われないわけがない。
クラス全員に好かれるような、本当に人気のある先生だった。
ここまで生徒に愛される先生を、彼以外には知らない。
そんな彼が「コーシ」だと知ったのは、冬休みに差し掛かろうとする頃だった(と思う)。
親から「○○先生はコーシだから、今年でいなくなっちゃうんだよ」と聞いたのが最初だった。
どうやら、学校の先生には「コーシ」と「キョーユ」がいて、「コーシ」の方は一年で別の学校に赴任するらしい。
きっとそんなことはない。
先生は来年もいるはずだ。
先生が講師と聞いてもなお、異動はないと思った。
いや、思い込むことにしたんだ。
大好きな先生が離れてしまうなんて、絶対に起こってほしくなかったから……。
年が明け、修行式が終わると、翌日から春休みに入った。
それから少しして、学校の先生の異動が発表される日を迎えた。
前日からソワソワしていた僕は、朝起きるとすぐに新聞を手に取った。
慣れない手つきでパラパラとめくっていくと、人事異動する先生が一覧になったページを発見した。
「○○先生」の名前は、きっと書いていないはずだ。絶対にないはずだ。
そう願いながら、順に目を通していく。
しばらく眺めていると、ピタと目の動きが止まった。
先生の名前があったのだ。
同性同名の別人かと思ったが、在任校が僕の小学校になっているのをみて、彼だと確信した。
そうして迎えた離任式。
別れの先生として体育館の壇上にあがる先生を見てもなお、信じられない気持ちがしていた。
式が終わって、教室に戻ってきてようやく「これが現実なんだ」「受け入れるしかないんだ」と悟った。
先生は黒板の前に立って、一人ひとりの名前を呼ぶと、A4サイズの茶封筒を手渡していった。
僕の手元にやってきた封筒。
表には僕の名前が書いている。
封を開けると、写真が入ったディスクと、先生のメッセージが入ったファイルが入っていた。
周りのみんなを見ると、一様にメッセージを眺め、目に涙を溜めていた。
全員に配り終えると、先生は前に座ってギターを持ち、歌い始めた。
先生は震える声で旋律を奏で、その涙声に釣られた僕らはみな、声をあげて泣き始めた。
その日、教室にいた数人の親(PTAの役員を担っていたはず)も、泣いていたのを覚えている。
みんなに好かれたあの先生は、今頃何をしているのだろうか?
毎年、この時期になると、どうしても気になってしまう。
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