21歳の僕から、21歳の僕へ
まずは、誕生日おめでとう。
折角の誕生日だから(というのは理由にならないかもしれないけど)、今日は、僕自身に向けた文章を書くことにする。
まあ、noteという「パブリックなサイト」に投稿する性質上、「この文章はこれから誰かに読まれる」と考えながら書くわけだから、本当の意味で「僕自身に向けた文章」にはならないよね。読みやすいように、体裁を整えていくから。でも内容は、内容だけは、自分にしか分からな(くてもい)いくらいの「パーソナルな領域」で展開していくことにしようと思う。
誕生日とか、あるいは卒業式とか成人式みたいな「特別な日」に、他でもない「自分」に対して言葉を紡ぐことって、よくあることだと思う。こういう日って「私にとっての節目の日」にあたるから、自ずと自分自身を顧みたり、自分の内面と向き合ったりすることになるのかな。だから、普段はメッセージを送る対象には選ばないような「私」に、手紙を書いたり、ビデオレターを送ったりするのかもしれない。特別な日に沸き起こる「特別な欲求」なのだろうか。
でも、こういうのって大抵は「過去」とか「未来」の自分に宛てるものだよね。
「過去の自分」に対して、「今の自分」に至るまでにどんな苦節があったのか、どんなことをしておけば「今の自分」はもっと良くなっているのか、そんな紆余曲折を悲嘆交じりに書いてみたり。
「未来の自分」に対しては、「今の自分」が持っている「未来の自分」像を引っ張りだしてきて、そこに「未来の自分」は近づいているのかと不安交じりの嬉々とした表情で尋ねてみたり。
過去の自分と向き合ったり、未来の自分を描いたりするのも大事だとは思う。すごく大事だと思う。
でも、あえて21歳になったばかりの自分と自分を対話をさせてみようと思うんだ。
今の自分にしか語れないことを、今の自分に語ってもらおうってわけ。
ここ数日は妙にソワソワしてたけど、実際今日(6月9日)を迎えてみたら、意外と冷静な自分がいて、びっくりしたよね。今日よりも、昨日とか一昨日の方が「誕生日が来る!!」って身構えてた感じがする。一の位の数字が1つ大きくなるってだけなのに、他の日と同じ365日分の1日にしか過ぎないのに、「やっぱり誕生日は特別に感じるだな」と思い知らされたよね。
午前中から、家族とか友達とか、あとはSNS上の見知らぬ人(っていったら失礼だけど、関わりの深くない方々)から「おめでとう」のメッセージが届いて、素直に嬉しかった。年が上がるにつれて、直接「おめでとう」と言われる回数は減ったけど、「おめでとう」という文字を眺める回数は増えている。
いろんな人にお祝いされる中で、「他の人の誕生日を大切にしているか、僕」って内省したりして。ちゃんとカレンダーに入れておいて、その日のうちに「おめでとう」って掛けてあげたいと思った。
そういえば、ある人に「21歳の抱負は何ですか?」って聞かれた。
一瞬、時間が止まった感じがしたよね。だって、「21歳になったからこれをしよう/あれをしよう」なんて、てんで考えていなかったんだもん。趣味に関することと勉強に関すること、それぞれ1つずつ目標を答えたけど、その場しのぎの回答でしかなかったよね。今振り返ると、悪くない抱負だと思うけど。
今日起きた時には「せっかくの誕生日だし、かねてから行きたいと思っていたボードゲームカフェに行こう!!」と張り切っていたけど、結局はどこにも出かけず、家でほぼ一日パソコンをカタカタ鳴らしていた。
大学の勉強をしていたのもあるけど、ほとんどの時間は「個人サイト制作」に励んでいた。前から「21歳の誕生日までに、自分のプロフィールをまとめたオリジナルのサイトを作るんだ」って意気込んでいて、でもギアが入ったのは、昨日の夕方?くらいだったよね。
そんなわけで、自分の納得のいくサイトが出来上がったのが21時を回った頃。そこからなんだかんだ時間が経って、今23時50分になったところだ。
毎週noteを書くと決めたのがちょうど1年前。今日も目標を達成するためには、あと10分で鮮やかな緑色の「公開に進む」ボタンを押さねばならない。
時間のことも考えて、そろそろとりとめのない文章に終止符を打つとしよう。
21年間生きてきて、辛い事もあったし、苦しいこともあったし、悔しいこともあったし、逃げ出したいこともあった。実際に、逃げ出してしまったことも何度かある。
マイナスな気持ちになることは、今もある。最近というか、ここ2カ月くらいは、なんとなく心に靄がかかった感じで、視界不良な状態を目の前にして、自分が自分の行動にブレーキをかけている感じがする。
それでも、日常の中にプラスの気持ちを見出そうとして、何とか試行錯誤しようとして生きている。
ただ「生きている」ことに不安を感じていて、何かしらの「成果」を出さなければいけないと思っている。本当はそんなことはないんだけどね。そんなことはないって頭では分かっているけれど、そう思えない自分がいるのが悔しい。というか苦しい。
自分を甘やかすわけじゃないけど、もっと「頑張ってるね」とか「その調子」とか「大丈夫」とか、周りにかけているような優しい言葉を、自分にもかけてあげた方がいいのかもしれない。
そして、自分には自分なりの価値があると信じて、一日一日を刻んでいこうと思う。
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