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時間切れ!倫理 14 マズロー:欲求階層説

 さて、再びフロイトに戻りましょう。人を突き動かすものは何か?フロイトはエス、動物的本能の集合体のようなものだといっていましたね。本能の中でも性欲に注目していました。これについても、こんな反論が生まれます。

 フロイトの話になると、中身がちょっと露骨になって、教室で話すにはふさわしくないのですが、我慢してください。
 たとえば、好きな人とセックスしたいと思う。それは、性欲なのか?そうだ!とたいていの人は思うでしょうが、よーく考えてみてください。性欲の処理だけなら、様々な方法があるでしょう。人が誰かとセックスをしたいと思うのは、その人との深い人間関係を求めているのではないか?そのことによって、その人ともっと深くつながりたい。精神的にね。そうじゃないか、ということです。
 人間の基本的な本能欲動は、性欲のような、単に快楽を満たそうという動物的なものではなく、人間関係を持ちたいという欲求なのではないか。こういう考えが出てきます。セックスは人間の本能の「目標」ではなく、「手段」ではないかということです。目標だと考えるのがフロイト。手段だと考えるのがコフートなどです。

 セックスしたいという気持ちを、フロイトは単なる性欲と考えるのだけれど、確かに単なる性欲の場合もあるかも知れないが、すてきなパートナーを作って、みんな自慢したいためかも知れない。

 こう考えると、性欲にもいろいろな中身があることがわかる。欲望にも種類がある。これを整理したのがマズロー(1908~70)です。欲望の種類を整理して欲求階層説を打ち出した。これは心の健康な人がモデルです。マズローは、健康な人の心を知ることが必要だと考えた人でした。

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 この階層を認めるかどうかは別として、この図はわかりやすいですよね。これを見ると、フロイトが問題にしている性欲とか、心の傷というのは、生理的欲求、安全の欲求に関わっていて、コフートがいう「成熟した自己愛」は所属・愛情の欲求や承認の欲求に関わっている感じです。
 また、性欲といっても誰かに愛されたいということがその本当の中身なら、それは所属愛情の欲求だし、素敵なパートナーを作って自慢したいというのは承認の欲求だということがわかります。

 三角形の底辺になるほど基礎的な欲求ということなのでしょうが、これが本当かどうかは、わかりません。戦場で弾に当たって死ぬ瞬間に、「ああ、死ぬまでに一度でいいから誰かに愛されたかったなァ」と所属・愛情の欲求を感じる人もいるかもしれない。
 一番上が自己実現とありますが、これが曲者(くせもの)。今この言葉は大流行で、学校目標に「自己実現」が入っていたりする。けれど、この言葉の本当の意味は難しい。今、自分は実現していないのか。単に、夢をかなえるという意味なのか。それなら、目標達成といえばいいのであって、自己実現という言葉に振り回されて、無駄な不幸感に陥っている人がたくさんいる気がします。

※マズローはロジャーズと同じ人間性心理学のグループに分類される。人格の全体的な成長に着目した。行動主義に代表される実験心理学が意識は外界からの刺激によって、精神分析に代表される臨床心理学が意識は無意識によって決定されるという、いわばペシミスティックな人間観に立っていたのに対する批判として登場。(大芦『心理学史』)

※この項は、和田秀樹『痛快!心理学 (痛快!シリーズ)』(集英社インターナショナル、2000)に拠っています。

性格の理論

 ユングが内向的、外向的、および思考型、感情型、感覚型、直感型という類型を考えましたが、それ以外にもいろいろな性格理論があります。
有名なものがシュプランガーの文化価値的類型。

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 トンデモ理論ですが、クレッチマー(1888~1964)の体型別類型というのもある。これは血液型性格判断と同じで、根拠が無く、差別的であり、現在まともに取り上げられることはありません。まだ資料集に載っていることが不思議。体型によって精神病になりそうな人間を、発病前に見つけようというとんでもない発想と結びついています。

適応と防衛機制

 適応と防衛機制です。これについては保健体育や家庭科の授業でもやっていると思います。見ておいてください。ちゃんと読んでおけばわかると思います。



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