時間切れ!倫理 103 日本人の宗教観
古代の人々の宗教観についての話です。古代の人々の宗教観として、まずはアニミズム。日本だけではなく、ユダヤ教的一神教の系列以外の宗教では、すべてこのアニミズムがあります。
様々な自然に精霊の存在を感じる。樹齢何百年という巨木があれば、そこに何かの神が宿っているような感じがする。不思議な形の岩があればそこに精霊が宿っているような、見事な滝があればそこに「なにか」がいるような。そんな風に、自然のすべてに霊的存在を感じる。これは、日本列島だけでなく、世界中のどの民族にも共通にあったと思うのですが、原初的な、本源的な宗教的な感情が、日本列島に住んでいた古代人にもありました。
やがてそれがそのまま、歴史時代になっても、日本列島の人々は様々なものに神々を感じていた。八百万(やおよろず)の神という言葉を聞いたことがあると思います。数え切れないほどのたくさんの神々を、日本人は感じてきました。現代のわれわれも、そういう感覚は何となくわかりますよね。どこにいるかわからない様々な神々を畏れ敬う気持ち。
西行(さいぎょう)の歌をのせておきました。西行というのは平安末期の武士で、人生に無常を感じて出家して日本中を旅した人です。この西行が伊勢神宮に参拝した時に作ったといわれている歌です。
「何事のおわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
西行は参拝しているのだけれども、伊勢神宮にどんな神様がいるのかは知らないと言っている。どんな神様がいるのかはよくわからないけれども、手を合わせると、かたじけない気持ちがいっぱいになって、ありがたさに涙が溢れてきます、という歌ですね。アニミズムっぽいでしょ。何かいるなあ、ありがたいなあ、という感覚ですね。
古代日本人が理想とする精神状態が「清明心」です。古事記や和歌などから導き出される古代日本人の理想的な精神像。清らかで明るい心。後ろめたさのない明朗純真な心。なんとなく素朴とか純朴とかに繋がる心ですね。そういうものを良い状態、素晴らしい状態と考えた。
さて、そういう神々が災いをもたらすことがある。それが祟り。精霊や神々が祟りをもたらしたら、お祭りをして神々を鎮めて災いを遠ざけます。
また、悪さをしてしまったり穢れに触れてしまったりすることがある。そういう場合はどうするか。禊(みそぎ)と祓(はら)いです。身についた罪や穢れを、水で洗い流し清めることを禊といいます。ちょっと前まで、政治家が収賄容疑などで議員を辞めても、次の選挙で当選すればみそぎが終わったと言っていました。私はまた綺麗になったといって国会議員をやる。
何かが取り憑いてしまったのであればお祓いに寄って災いを取り除きます。
※本居宣長によれば日本の「カミ」は、人より優れたものであったらしい。人をだますことのできる狐も、優れた能力を持つがゆえに「カミ」として祀られる。若者が、ちょっとすごい人を「神!」というのは伝統的にのっとった使い方ということになる。
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