読書メモ「冬を越えて」(後編)
「冬の対処法はこれだった」「こうして冬を克服した」当書を読み始めた私は、どこかでそんな答えを期待していたのかもしれない。でも、最終章で綴られた言葉は、いたって正直なものだった。
この結びを読んだ時、不思議と救われる思いがした。何とかしなくても良いのだと、肩の力が抜けるのを感じた。
当書は著者の日々のエピソードに基づいて、人生の冬との向き合い方について語られている。まず冬を受けとめ、冬に備え、冬の過ごし方を見つけていく。
著者が妊娠中に敢行したアイスランド旅行での記述を読むうちに、私も冬を受け入れるプロセスに引っかかっていたことに気づいた。
妊娠しても子どもがいても、これまでと変わらず働ける自分でありたいし、そうあるべきだと思っていた。今だって赤ちゃんとの生活とはいえ、仕事をしていない分余力があるから、何かしらできるはずだ。noteだってスキマ時間で簡単に……。
でも思うようにいかない。執筆どころか読書さえ進まない。それをぼやいたTwitterに、次のコメントをいただいてハッとした。
気づいていなかった。この「思っているよりも」は、子どもがいなかった自分と今の自分との差。
思っているよりも、疲れている。
思っているよりも、一人の時間が取れない。
思っているよりも、出かけるのが大変。
日常に潜り込む僅かな差。一つ一つは大したことないのに、積み重なって生活のリズムを少しずつズラしていく。少しずつすぎてズレに気づけないまま、こんなはずでは…と混乱し、時に落胆してしまう。私の冬は、こんなふうにひっそりと訪れていた。
note前編で問いかけた「育休はブランクなのか?」その答えはNoだ。ブランクではなく、スイッチだ。
キャリアは線路のように一直線に伸びており、育休のひと休みを挟んだら復帰して、また同じ方向に同じ速度で走り出すものだと思っていた。でも実際は「冬」によって線路が分岐し、これまでと少し違う方向へ進路を変えた。
それに伴い、走り方やペース配分を見直さなければならない。不要になった荷物を下ろし、物事の優先順位を更新し、自分らしさを塗り替える。育休は空白期間ではなく、スイッチを切り替える期間なのだ。
ようやく冬に気づいた今、この変化をどう受けとめていけばいいのか。6歳の息子バートが不登校になった時のことを、著者は次のようにふりかえる。
「これまでと同じ」を取り戻そうとしないことが、冬を受けとめる第一歩らしい。そうだ、私も育休で失ったものばかりではない。子どもと過ごす新鮮で幸せな時間の中で、ポジティブな変化も起きていた。
思っていたよりも、赤ちゃんは可愛い。
思っていたよりも、引きこもりの日々も悪くない。
思っていたよりも、将来の社会や環境のことを考えるようになった。
他にも何が変わったのか、得たものと失ったものをつぶさに観察してみよう。それから新しい生活に身体を馴染ませていこう。スローダウンした分、生活の一つ一つを丁寧に。自由時間が減った分、集中力をもって。その先に、新たな働き方やキャリアの行き先が見えてくるかもしれないと期待しながら。
また当書は、冬を過ごした経験を語る義務があるとも指摘している。一部の人に起きた特殊な出来事と切り離すのでなく、誰にでも人生のどこかで訪れるものとしてオープンにするべきだと。そして自分の語る経験が、他の誰かが冬を乗り越える助けになる。
私は望んで子どもを授かり、心の準備をして育休に入ったのに、それでも変化を受けとめるまでに戸惑いがあった。ある日突然、望まないカタチで人生の冬が訪れたら、それを受けとめていくのはかなり大変なプロセスになるだろう。
当書を読んで、改めてエッセイが好きだと思った。特に冬を過ごした経験を知ることで、いつか自分に厳しい冬が訪れた時の備えになるだろうし、他の誰かに訪れた時に役立つことがあるかもしれない。これからも時々そういった本を読みたいし、機会があれば誰かの体験談を伺ってみたい。
人生の冬をテーマにしているけど、決して重々しくなく、大変そうな体験も終始軽やかに描かれる。また、イギリスや北欧の空気感が漂うエピソードに旅行気分を楽しめる。冬の読書時間に、そして人生の冬と向き合わなければならなくなった時に、またこの本を開きたい。
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