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【3-1130】見られることの嬉しさ

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

連日自分の劇の稽古をしながら、今日は保育園で子供たちの劇の練習を見た。もうすぐ発表会がある。

今年度は2歳児クラスの担任をしているが、今の年中・年長の二クラスは昨年一昨年に年少のクラスで受け持っていた子供たちだ。本番前に他クラスに練習を見せ合うということはよくあることで、今日はクラスの子供たちと一緒に年中の子供たちの劇を見せてもらった。

そういうときの子供たちの顔の可愛さったら。正面で私が見ていて目が合ったりすると、嬉しそうにはにかむ。目がキラキラと輝いて、こちらばかり気にする。私も頷いたり、サムズアップで称賛を伝える。

同じ劇でも、私がやっている劇でこのはにかみはなかなか出ないし、評価もされない。だけど、このはにかみにはとても意味がある。私に見られることが嬉しいということだ。

これが年長になると、こちらを見る視線は一瞬、チラッとだけになり、意識して台詞や動きに集中しようとしているのを感じる。これもまた趣深い。劇の時間にいるときの自分を、外側にいる元担任に気取られずに、保とうとする意思。生まれて5、6年でそんな意思を持てるようになるの、すごいと思う。

保育園の子供たちの劇の本当の魅力というのは、こういう自意識の移り変わりなんだろうと思う。私がやっている劇とは全然違う。

全然違うけど、こういう自意識は確実にあって、やっぱりお客様に観てもらうということは単純に嬉しい。やっぱり興行としてやるから、収支の問題とかそういうことは絶対的にあるんだけど、それとは別の次元で、誰かに観てもらえるということの大きな刺激、喜び。そんなことは変わらないのかもしれないと思う。


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴