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思ひ出夜行 あけぼの

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。サブカルクソ女疑惑の玉川可奈子です。
 私は鉄ヲタではありますが、断じてサブカルクソ女ではありません。

参考 サブカルクソ女
私はこのやうな感じでは断じてありません。

 Aといふ係長と、Bといふ課長、それぞれ言つてゐることが違ひ、Aのいふ通りにすればBの決裁が通らず、Bの決裁を通さうとればAの決裁が通らない。Bの決裁が終はつても、さらにその上の上司の決裁が通らない。
 かういふ理不尽といふか不条理は、公務員特有のものでせうか。上司ガチャと理不尽に疲弊し切つてゐました。係員として優秀でも、管理者として優秀とは限らないといふやうな現実を日々味はつてゐました。そのやうな日々から解放されたい…さう願つてゐます。

 毎日のサウナ、たまに行く旅、そしてカフェ・バッハでのひとときが、せめてもの救ひです。

 今回もどうか最後までお付き合ひください。

上野発の夜行列車

 私の大学の先輩に、阿久悠(本名、深田公之)といふ方がゐます。彼は間違ひなく、天才です。
 ペンてるのサインペン一本と満寿屋の原稿用紙で、数々の美しい詞を生み出し、今なほそれらは私どもを感動させます。
 その一旦は、わが母校明治大学にある阿久悠記念館でも、垣間見ることができませう。

 また、彼の『清らかな厭世』(新潮社)といふ書は、読むたびに発見があり、とても優れた本です(電子書籍化されて欲しい…)。

 私が阿久悠先輩の作品で特に好きなのは八代亜紀の「舟唄」ですが、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」も好きです。

 今回、思ひ返す寝台特急あけぼの号は、「上野発の夜行列車おりた時から青森駅は雪の中」を体験できる貴重な、そして最後の定期列車でした。現在ではいふまでもありませんが、上野駅を発車する青森駅行きの夜行列車は存在しません。

 愛称の「あけぼの」は実に風雅で、好きな寝台特急の愛称の一つです。『枕草子』の「春はあけぼの…」はもちろん、和歌(やまとうた)の中にもたびたびあけぼのは読み込まれました。
 例へば、私の尊敬する幕末の勤皇の志士の一人である佐久良東雄先生は、

 朝日影 豊栄のぼる 日の本の 大和の国の 春のあけぼの

といふ、とても素敵なお歌を詠まれました。

 私があけぼのに初めて乗つたのは、大学四年生の頃。当時お付き合ひしてゐたゼミの後輩とでした。

 彼からは、メールで告白されました。
 五月のある日の早朝。前日の夜からメールのやりとりを続けてゐたところ、寝落ちしてしまひました。翌朝、目覚めた時、確か五時頃だつたでせうか、次のやうな内容の一文が届きました。

 「可奈子さんと手をつないで一緒に大学に行きたい」

 キュンときました。承諾の返事を送り、付き合ふことになりました。

寝台特急あけぼの

 その彼(嵐の櫻井翔に似)もそれなりに鉄道に詳しく、夏休みに「2人の北東北フリーきっぷ」(廃止されてゐます)を利用して、東北旅行をした際、あけぼのに乗りました。

 B寝台の一人用個室ソロ、狭い中を二人で寝ました。狭過ぎて、個室内で立つことは困難でした。
 駅で停まる度に「ガタン」としますが、小さい頃から寝台特急に乗り慣れた私は気になりません。上窓から見える星空も綺麗でしたし、彼とチョコレートを食べながら飲んだウィスキーの水割りがとても美味しく感じられました。

B寝台ソロ

 翌朝、酒田駅を出発したあたりで目を醒ましました。二人で眺めた羽越本線の日本海は絶景でした。この後、上野発の夜行列車を青森駅で降りることなく秋田駅で降りました。
 しばらく、秋田駅近くで時間を潰した後、リゾートしらかみ(青池編成)に乗りました。

 彼と五能線の旅を満喫し、十二湖の青池やウェスパ椿山駅近くの鍋石温泉を訪ねました。

 五能線は私の好きな路線で、本当に絶景といふべき景色が広がります。岩舘駅あたりで徐行運転してくれて、日本海を楽しみました。
 手を繋いで散策した十二湖・青池は本当に楽しく、そして嬉しいことでした。青池は、インクを流したやうな青さで、何故青いのか当時は謎でした。

 再びリゾートしらかみに乗りました。ウェスパ椿山駅を出発して、千畳敷駅で短い時間の散策の後、彼と手を繋いだまま寝てしまひました。
 目を覚ましたら木造駅のあたりでした。遮光器土偶で有名な亀ヶ岡遺跡の最寄りです。

 青森駅から特急白鳥で八戸駅に出て、八戸線に乗り換へました。
 本八戸駅近くのビジネスホテルに二泊し、三沢の古牧温泉や八戸の蕪島、そして当時運行してゐたジョイフルトレインのきらきらみちのくに乗りました。三厩駅や大湊駅まで足を伸ばしました。その時、彼は私に、

 「可奈子は本当、すごいな。かうして、自由に飛び回つてゐるのだから。」

 と言ひました。
 本当に幸せな、楽しい旅行で、かうした日々が永遠に続いて欲しいと願つてゐましたが、彼とは九月に別れてしまひました。

参考 きらきらみちのく

あけぼのの概要

寝台特急あけぼの 最後尾

 ところで、寝台特急あけぼのですが、当時は、奥羽本線を経由してゐました。

 JTB時刻表1999年12月号によれば、下り列車は上野駅を21:41に発車し、大宮駅、高崎駅に泊まり、羽越本線を経由して翌日6:52に秋田駅着。そして終点青森駅には10:10に到着しました。

 また、JR時刻表1995年8月号によれば、下り列車は上野駅を21:38に発車し、大宮駅、宇都宮駅、黒磯駅を経て陸羽東線を経由して新庄駅から奥羽本線に入り、秋田駅に7:19着。そして終点の青森駅には10:25に着きました。
 お盆の時期(八月十日から十三日)には、583系を用ゐたあけぼの81号が運行してをり、こちらは仙山線を経由し、終点である弘前駅に8:46に着きました。

 この時代には、寝台特急鳥海がありました。こちらは、羽越本線を経由してをり、上野駅を21:23に出発し、秋田駅に6:16、終点青森駅に9:15に着きました。
 なほ、東北本線を経由する寝台特急はくつるも現役でした。惜しいことに、はくつるには乗つたことがありません。

 昭和四十五年十月一日、上野駅と青森駅間を東北本線、奥羽本線経由で結んだのがあけぼのの始まりでした。度重なるダイヤ改正の影響を受け、増便や減便をし、平成二年のダイヤ改正で数本のうちの一本が「鳥海」へ列車名を改めました。
 そして、平成九年の秋田新幹線開業に伴ひ、上記の陸羽東線経由のあけぼのが廃止になり、羽越本線経由の鳥海があけぼのへ改称されました。

 平成二十六年三月十五日のダイヤ改正で、あけぼのは定期運行を終へました。その後、翌年の正月まで臨時あけぼのは運行してゐましたが、事実上の廃止となつて今に至ります。

あけぼのの思ひ出

 あけぼのには、記憶してゐるだけでも六回は乗りました。その中でも特に思ひ出深いのは、次の二点です。一つは、上に記した東北旅行の時。もう一つは今はなき土日きつぷで酒田駅から乗つた時でした。

 私があけぼのに乗る際に利用してゐたのが、B寝台の個室ソロと、ゴロンとシートでした。
 ソロはとても狭い部屋ですが、開放式B寝台に比べてプライバシーが確保されてをり、その点では安心でした。それでゐて、価格は開放式B寝台と同じでした。

 ゴロンとシートはとても人気がありました。これは、開放式B寝台に、一切のリネン類の無いものでした。枕も、シーツも、ふとんも何もありません。しかも価格は特急料金に指定席料金を追加するだけですので、格安です。
 私が乗つた時には、いつも満席か、満席に近い状態でした。カバンを枕にして寝てゐました。サンライズ出雲・瀬戸のノビノビ座席に似たところがありますが、サンライズには毛布が付いてゐました。

ゴロンとシートの案内

 旧・土日きつぷ(現在の週末パス)を使つて旅行する際に、酒田駅から上野駅までよく乗りました。遅くまで鳴子温泉で温泉を楽しみ、陸羽西線の最終列車で酒田駅まで行き、あけぼのが来る時間まで待ち合ひ室で読書をしてゐました。

 22時半過ぎ、酒田駅のホームにあけぼのが入線して来ると、疲れた心身が一気に元気になります。何も置かれてゐないゴロンとシートに倒れ込むも中々寝付けず、通路の補助椅子に腰掛けて見えない窓の向かうを眺めてゐたこともありました。まるで、「おもひでぽろぽろ」の一コマのやうに。

参考 おもひでぽろぽろ
しかし、私はジブリ作品を一才観てゐないのでよくわかりません。

乗れなかつたふるさとゴロンと号

ふるさとゴロンと号ヘッドマーク 可愛い

 平成十五年頃には、あけぼのの補完目的なのでせうか、ふるさとゴロンと号といふ583系を利用した夜行列車が走つてゐました。弘前駅(浪岡駅)と上野駅を結び、座席はゴロンとシートでした。
 平成十八年正月、青森県内の温泉を巡る旅してゐた私は、帰りにふるさとゴロンとに乗る予定でしたが、羽越本線の脱線事故の為、乗ることができませんでした。仕方なく夜行バスで帰りました。とても悔やまれるできごとで、今でも忘れられません。
 なほ、583系については、以前きたぐにのところで書きましたので、そちらをお読みいただけたら幸甚です。

 ところで、あけぼのは事実上の廃止状態にありますが、もし、JR西日本の「銀河」のやうに復活したら便利だらうと無理を承知で夢想することがあります。秋田新幹線の最終列車が出たあたりに秋田駅を出発するやうなダイヤにしたらとか、酒田や鶴岡あたりの客を如何にして東京へつなぐかとか、色々と考へたりしてゐますが実現は難しいでせうね。 

 今回も、写真はWikipediaより拝借しました。
 今はなき夜行列車と「青森」といふ土地は、いつも旅の楽しみと別れの悲しさを私に思ひ出させてくれます。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

 宣伝となり恐縮ですが、「維新と興亜」五月号に「いにしへのうたびと 十 山部赤人と笠金村 下」を載せていただきました。お読みいただけたら幸甚です。
 小野耕資さんの「日本をダメにするジャニーズと吉本興業」は必見です。

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