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「イノベーション」だとか「社会課題を解決する」とかに疲れたとき、社会の根幹を支える変わらない現場に出会った話

娘が生まれてちょうど3ヶ月が経ちました。
ぶくぶく育ってゆく姿を見て、できることならば1日中娘を愛でて過ごしたいと熱望する私です。

さて、長女のときは新潟で出産したのですが、今回は香川に帰省し里帰り出産をしました。去年は本当に仕事を頑張りすぎて、たくさんのものを犠牲にしてしまいました。心身ともにエネルギーが枯渇し、いろいろあって本当に疲れ、もう一度ゆっくりいろんなこと考えたいと思いました。出産まであと2ヶ月、自分のお腹に授かった命と、長女とのかけがえのない時間を守りたい。

そんな私が、里帰り出産を決めたときに出会ったのが「ぼっこ助産院」でした。実家から車で5分、近所の方がどの人も「ぼっこさんはいいよ!」と薦めてくださるので、即決したのですが、その助産院が本当に素晴らしかったのです。

そのときの詳しい話はこちら→

中山間地域の農業を持続可能にする、を自分で使命にしていた

さて、さかのぼること8年前。移住する前、地域に通っていたときに農家の方々から教えていただいた「農業が生む目に見えない大切なもの」。変化にしなやかな生き方だったり、足元から暮らしを豊かにし、消費する側ではなく、生み出す側として人生を楽しむ生き方だったり、そんな姿に出会って「私もこういう大人になりたい。そして、農業が生む大切なものを繋いでいきたい」、その気持ちで2011年に移住して、就農しました。

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当時、大学を卒業したばかりだった私は貯金も知識も、もちろん農業経験もありませんでした。そんな私が地域で農業を教えてもらい、生産させていただくからこそ、地域の役に立ちたいという気持ちがとてもとても大きかったように思います。

役に立たなければ、そこで住まわせてもらえない、みたいな感覚があったのかもしれません。農業が生む大切なものを繋ぎたい気持ち、そして移住してからつきっきりで農業を教えてくれ、農地や農機具を無料で最初の頃貸してくださっていた大切な大切な師匠のために、がんばってきました。

だから、この地域(中山間地域)の農業を持続可能にする、(つまりはイコール自分の里山での農業人生も持続可能にしたい)というテーマは私の中で自然と根付いてきたものでした。

出産したとたん、自分自身が持続可能でなくなった

それから、自分自身の農業生産だけでなく、地域の農家さんのものも販売したり、発信したり、フリーペーパーを発刊したり、移住促進のいろいろをしたり、コミュニティ作ったり、加工したりしてきました。

ところが、そんな私も、結婚し、こどもができました。
農業をしていた集落から離れ、夫の実家に同居し、片道30分程度を往復しながら農業をするようになり、子育てしながら、限られた時間の中で、2つの地域に関わり続けることは想像以上に大変で、なんとかなんとか、しがみついていました。

しかし、子守のため、夜にある地域系の会議には参加できなくなり、いろんな会も顔を出すことができなくなり、一気に地域が遠くなりました。でもそれは私に限った話ではなく、いま振り返れば、そういった地域のことを話し合う会議や、夜に開催される地域のサークル的なものに、子育て中の若い女性はいなかったことを思い出しました。

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「女には農業はできない」「子どもが生まれたら、どうせ農業なんてできなくなるんだから、いまそんなに農業を熱入れてすんなて」「結婚したら、子育てに専念して、家業を手伝うのが一番」と、結婚する前から言われることもありました。

それらに対して、もやもやする気持ちを抱くこともあったけれど、ただただ実直に、お世話になってきた農家さんたちへの感謝の気持ちを大切にがんばろうと踏ん張ってきました。

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しかし、同居している家族に支えていただきながらも、がんばればがんばるほど、家族との時間と私の睡眠時間は減り、一方で狭い地域でがんばるほど目立ってしまい、一部から足をひっぱられることも起きるようになりました。

いよいよ事態が詰んだとき、結婚前、ある地域の方からこんな言葉をかけていただいたのを思い出しました。
「地域のためにもいいけれど、まずはかなこ自身がしあわせになるのが一番。」

いままで、誰かのため地域のためにがんばってきたけれど、私はしあわせだっただろうか、と振り返ることになったのです。

イノベーションという言葉のまわりに集まるもの

同時に、その頃から社会課題や、イノベーションという言葉をよく聞くようになりました。

課題先進地である地方や、中山間地域や、農業という業界に携わっていた日々は、毎日どうしたらよいだろうかと解決策を考え続けていました。

なにか新しいことを生み出すこと、画期的なサービスが爆発的に広がること。社会課題を解決する、素晴らしいものがたくさん生まれつつあり、世の中でアイデアの素晴らしさに価値が置かれるようになっていった一方で、イノーべションやイノベーターという言葉に一種のステータスのベールがかけられ、そのまわりには、ただ目立ちたい、有名になりたい、すごいことをしたい、社会によさそうなことをしたい、というものも混じってくるようになりました。そしてそういう場はいつもビジネスが好きな男性ばかりでした。

そんな界隈に疲れたこと、誰かのためにがんばれなくなったこと、そんなときに出会ったのが助産院でした。

生み出すことと、継続してゆくことの循環

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その助産院では、普通の家のような部屋で、家族も一緒に出産に立ち会い、そしてそのままその部屋で家族も一緒に入院生活を過ごすことができます。

「誕生」が暮らしから切り離さず、家族みんなで命を迎えられる場として、その助産院は地域の死生観を作り上げていくのだろうと強く感じました。現に、今回の経験で、私の死生観は出産の大きな喜びとともにまるっと変わりました。それは普通の病院で出産した1人目のときに感じなかった感情でした。

詳しくはこちら→(2回目。笑)

経済が発展してゆくことも、いろんなサービスが広がってゆくことも、命のバトンが絶えないことが前提。耳タコなほど少子高齢化の話題を耳にする中で、豊かな命の始まりを家族で迎え、豊かな子育ての始まりを応援してくれる助産院の存在が、永遠に誕生を繰り返す社会を支えているとさえ思えました。

医療技術は進歩しつつも、基本的に「出産」という行いは、長い年月繰り返されてきたことです。女性のお腹から、こどもが生まれるという現象も、こどもと一緒に胎盤が出てくることも、産後3ヶ月かけて内臓が元の位置に戻っていく現象も、人間が超人類に進化しない限り、変化しません。
そこに現場なりのいろんなイノベーションはありつつも、助産師としての仕事の本質は変わりません。けれど、繰り返されるべき重要な役割です。

ゼロから生まれる新らしきものに、大きなスポットが当たりがちですが、一方で社会の根底を支えている現場と女性たちがある。そんな当たり前の事実に、はっとさせられました。同時に、自分の行う農業が、とてもちっぽけに感じました。

両方あって、社会は健康にまわってゆく。
弥生時代から長い年月をかけて、自然から作物を産み育ててゆく行為は多少変化と進化をしつつも、根本は変わらない農業に携わりながら、私はこれからどういう選択をしていく?

社会のため、地域のため、誰かのため、もとても大事。
でも、一旦、そういう固定概念を外せば、きっともっと軽やかに等身大に、自分の目指す幸せの形と、したい暮らしと仕事を楽しめるのだろう。だって私を構成するものは、仕事だけじゃない。
結果、誰かのため地域のためになっていればよいのであって、またもう一度スタート地点に立つような気持ちです。
自分の人生を楽しむために、ものづくりをするのだと。


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