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本質を変えずに、美しく、しなやかに変化したい

最近、自分にとってはすごい発見があった。

なぜ、こんなにも農業や自然に強烈に心惹かれるのか。
それは、農業も自然も農家も、本質を変えずに、美しくしなやかに変化してゆくからだと気付いたのだ。

思えば移住したときから、「農業の師匠が教えてくれた、農業が生む大切なものをつなぎたい。師匠にならって、変化にしなやかな生き方がしたい」と言い続けてきたように思う。

私は変わっていないのに、まわりは変わっていった

なぜ「本質を変えずに、美しく変化するもの」に惹かれるのだろう。
それはずーっとずーっと、本当の私を探していたからかもしれない。

ちょっとしたことで太りやすい私は、中学校から大学までずーっとずーっとダイエットばかりしていた。外見がとてーも気になるTHE思春期ですしね。短いスカートはきたい、かわいくなりたい。なのに、なぜかあの子やあの子やあの子のように、かわいくはなれない。

ストレスで極端に食べること、極端に食べないことを繰り返すから、外見も変わっていくんだけど、まわりも変わっていった。好きな人に告白しても「痩せたら付き合う」って2回くらい言われたこともあったし、「昔は痩せててかわいかった」と家族からも言われるようになった。

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私は変わらずここにいるのに、まわりの人たちが見ている私は、痩せている私だったり、昔の私だったりする。私はどこにいるのだろうと、ずっと探してて、痩せなきゃ私は、私として受け止めてもらえないんだと思っていた。


それは学問も同じだったかもしれない。
がんばってがんばって勉強して、進学校に入って、いい大学に行って…って、そこで一番になるくらいしか(こういうのを、学問の世界でマウントをとるって言うのかな。狭い世界です。私には無理だった)私が私である意味はないって勘違いしてたのか、もうそれは狂ったように勉強しまくった時期もあったけれど、頑張ってもできないことがある事実に挫折したり、本当にやりたかったことを我慢し続けていた私もいた。

わがままだけど、本当は絵を描いたり、詩を書いたり、引きこもってず〜〜〜〜っと大好きな本を読んでいたい。自然とか芸術とか素敵な音楽にも触れたい。でも大学受験では必要のないもの。

進学、受験、と年齢を重ねるたびに通過儀礼のようにやってくるもの、そして女子、女性と大人になってゆくたび複雑になってゆく心、本当の私が分からなくなっていった。

変化するのは当たり前。人間の仕事は寄り添うこと。

そんなときに出会った十日町の集落と、農業。

冬は多いときで3mほど雪の積もる豪雪地である十日町は、季節の変化が激しい。どの季節も本当に美しい。

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雪解け水が山から溢れ、全てがまぶしく、みずみずしい春。

呼吸することが嬉しくなるくらい、清らかな初夏

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毛穴じゅうから汗が吹き出る、濃密、濃厚な迫力ある夏。

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空が高く、静かになってゆく、実りの秋。

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そして、物語を語り尽くした季節をすべて真っ白に覆ってしまう冬。
1年を通して、ダイナミックに美しく変化する。

作物も同じ。
枝豆も大根も、どんな作物も、種から芽吹き、実るまで、変化してゆくけれど、枝豆も種のときから枝豆だし、大根もずうっと一貫して大根だ。

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変化する季節、変化する作物。
変化するのが当たり前の中で、それを受け止め、変化に寄り添い、しなやかに伴走するのが農家の仕事だったり、そこで生きることだったりする。

ちょうど世の中もリーマンショックが起きていて、いろんなことが変化していて、なんだか変化の時代に大切なものが、ここにあるような気がした。


そしてその集落の滞在中に、「なんで痩せる必要があるの?おいしいそうに食べてるかなちゃんの笑顔が、とてもいいのに」と言われたとき、初めて今の自分を見つけてもらった気がした。

地域の方がよく
「ここでは、なんもないから、その人となりがようく、分かる。」って言っていたことがあった。その通り、どんな見た目、どんな経歴で判断するのではなくて、人間としての私の本質に向き合ってくるかんじがしたから、背筋が伸びる思いだったし、逆に生きやすさも当時感じた。


結婚、出産し、2人の娘たちを授かり、また私自身たくさん変化が続いている。またたくさん悩むようになった。思うように生きれなくもなった。だからこそ、また強く思う。

本質を変えずに、美しく、しなやかに変化していたいと。


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