見出し画像

ニューヨークへ向かっています

こんにちは。不動産屋のえのかなです。

写真は夫の大好物のカレーです。これを食べないと飛行機に乗れなーい!と言うので急いでボーディング前に食べてきました(笑)

最後にニューヨークに行ったのは確か2011年だったと思うので、あっという間に13年も経ってしまいました。

当時のニューヨーク行きのきっかけは、オーストラリアでの就職をせず、日本に戻ることに決めたことでした。会計学を学んだ人にとって、Big4に転職するのはお決まりのルート。

私のオーストラリア人の友人たちも、キャンベラやシドニーのBig4で働く人が多かったのですが、私はビザの問題や人間関係で悩んでいたため、日本に帰国して就職することにしました。

当時、東京のBig4の移転価格部門に興味があり、面接を受けたのですが、二次面接でまさかの不採用。当時はかなり落ち込みました。

その後、新宿の会計事務所での就職が決まったのですが、面接後に1Fのエントランス前(自社ビルなのでスタッフさんで間違いないはず)ですれ違ったスタッフさんが「午後もマジで怠いな。。」と言いながらオフィスに戻るのを聞いてしまい、「もっと刺激のある場所で仕事をしてみたい」と思い、その夜には辞退の連絡を入れて3週間後にニューヨークに向かうことにしました。

結局第一候補だったBig4には就職できなかったのですが、アメリカのアパレル会社で産休スタッフが出たため、復帰するまでは会計スタッフとして働いてほしいというところが見つかり、夜は日系の会計事務所で働くというダブルワークをしていました。

そうこうしている時に母から電話があり、「実はお父さんの会社の資金繰りがダメみたい。今日の支払いが出来なくて銀行からも借入断られたみたいで」と日本にいる母からショッキングな連絡がありました。

その時は確かニューヨーク時間の18時頃。その電話自体もショックでしたが、一緒にいた銀行員の友人が一斉に「迷惑をかけられたくない」という空気を出していたことにも大きなショックを受けました。

負債額は40億以上だったので、お金を貸してほしいなんて言わないのに、それっきり連絡を取らなくなった人もいて、改めて人付き合いについて考えるきっかけにもなりました。

自己破産したら当然、お家を借りることもできません。

今までずっと両親に面倒を見てもらう立場だったので、私にできることは日本に戻って、父と母と一緒に暮らすことでした。

今振り返ってもこの時に日本に戻って大正解でした。ずっと忙しく、ほとんど家にいなかった父と過ごすことが出来た数年間はとても意味のある時間でした(めちゃくちゃ喧嘩や言い合いもしましたが…笑)

夫は18歳からフィラデルフィア、そしてマンハッタンのアート専攻の大学を卒業しているため、初めて会った時には「ニューヨーク話」で盛り上がりました。

今回は、そんな夫との大人な2人旅です。ずっと行こう行こうと言っていましたが、気づけば息子2人ができて、13年も経っていました。

20日には、不動産王のRyan Shahant氏の不動産イベントが開催されるので、それを楽しみにたくさん学んできたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?