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人の話を聞くという大事なこと(1)

こんにちは。不動産会社を営んでいるえのかなです。

今日は仕事がお休みなので、子どもたちが起きる前に自分タイムということで読書をしていました。

読んでいる本は「こころの対話 25のルール」という書籍です。

私は普段からビジネス本や不動産の本しか読まず、あまりこういう類の本は読まない傾向にあります。

そもそも理由を考えてみたら、ビジネスでまだまだ成功といえるところまで遠い私がそれ以外のことで寄り道してはいけないだろ!と思っている節があったようです。

もし、私の周りの人がそんなふうに言ったら「いやいや!一見関係のないことから学んだ方が面白いし、人としての柔軟性も上がるので、絶対いろんなことに触れて感じた方がいいよ…」と(笑)。

ということで、途中までのところでの感想を書きたいと思います。


聞き手の役割に価値を置いていない人が多い

かくいう私もまさにそうかもしれない。私のもっとひどいところは目の前の相手を思うばかりに”選択肢”まで与えて、こんな解決法があるんじゃないかと提示してしまうところです。

そして、性格的に沈黙や間(ま)が好きではなく、言葉のキャッチボールで本当のコミュニケーションをしているとは言えないかもしれないという気づきがありました。

現代人の私たちは仕事、家庭、育児など常に目まぐるしく生きていて、「目の前の人の話を聞く」ということを軽視しているわけではないけど、話している人の個人の感情やうちに抱えている感情にじっくり耳を傾けずに、次は自分はどう切り返すかとか何を話すかということに意識がいきがちです。

話を聞いてもらえないことが、自分を否定されているとか、存在を否定されている、自分はここにいてもいいんだろうかという不安を抱いて生きていくことにつながったりするようなので、相手の話を聞く、相手の言葉の解釈を聞く、どういう想いなのか、どう感じているのか、まずは私自身が気持ちの余裕をもち、自分の解釈は一旦置いておいて、話を聞いてみたいと思いました。

言葉の解釈は人それぞれ

基本的に人はみな、人の話を聞くより、自分の話を聞いて欲しいと思っています。

”コミュニケーション能力が高い”という言葉を想像した時に、私の場合、いかにうまくプレゼン出来るかとか、論理的で数字等の情報もうまく組み込みながら、それでいて情緒的な面でもしっかり寄り添った話ができるかというのを想像します。

でも、人とのコミュニケーションってそういう一方的な関係ではなく、相手の言葉の意図やその言葉を発した想いに目を向けることなんじゃないかな…という考えになりました。

聞くという行為自体を受け身だと思っていましたが、そもそも人は違うし、言葉の解釈も人それぞれ。

だからこそ、相手の話を聞くことだけが、その人自身をより理解できるのかもしれないと思いました。そして、相手がこちらに対して「この人は自分のことを分かってくれる人だ」と思ってくれたら、こちらが長時間ペラペラ喋らなくても、こちらの一言二言から意図や想いを感じてもらえるのではないかなと思いました。

本来のコミュニケーションとは?

私の場合、相手を飽きさせてはいけない。
何か学びや気づきになることを言わなければいけない。
せっかくの大事な時間を頂いたのだから、気の利いたことや目新しい情報を提供しなければいけない。

こういう気持ちになっていることが多かったです。今後はただ、相手の話を聞く、この人は本当はどう思っているんだろうとか、その人が持つ主観的な意見を聞くことにフォーカスして、ただただ話を聞いてみようと思いました。

他人は変えられない(良い意味でも悪い意味でもなく)。
でも自分の聞く姿勢を変えると、コミュニケーションの環境が変わるかもしれないという思いになりました。

過去に「榎本さんと話していると自分はもっと頑張らないと…と思ってしまう」と言われたことがあります。

そんな私が「既にすごく頑張っているじゃないですか」と言ってもそうは思えないとのことでした。

確かに私自身、元々がすごくネガティブな性格というのもあるので、常に前向きな言葉をかけようと意識していて、常にプラスの言葉を無意識のうちに周りにもかけているように思います。

それ自体が悪いとは思わないのですが、それを聞いた相手がどう思うかには意識が及ばず、目の前の人の言葉の解釈でその言葉がどんな風にその人に届くのだろうというところまで配慮が必要だったな…という気づきになりました。

そんなことを考えること自体が楽しく、結果的に自分自身の解釈についても知ることができるので、なぜかすごくスッキリした気持ちです。

また、読み進めていくうちに続編も書きたいと思います。

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