見出し画像

【願い】最後の晩餐

レオナルド・ダ・ヴィンチの名画、
「最後の晩餐」。

イエス・キリストが捕まる前、最後の夜を過ごす様子を描いた世紀の傑作。テーブルにはワイン、パン、そして、彼を囲む12人の弟子たち。

もし、私が自分の意思で最後の晩餐の情景を選ぶことが出来るのであれば。

きっと、その人生最後の日。
テーブルの上にはビール、あんかけ焼きそば、大きめの餃子、そして私を囲む愛する家族。
場所は、ラーメンハウス龍門と決めている。


「ラーメンハウス龍門」は、私の地元にある、40年以上つづく小さなラーメン屋さんだ。

元々、私が生まれる前から、おじいちゃんが通っていた店で、ちいさな頃から家族で外食と言えば「龍門がいい!」と私は訴えた。焼肉よりステーキより龍門。いつも私の不動のナンバーワン。

長蛇の列が出来るわけでもなく、観光客がこぞって食べに来るわけでもない。
背が高く細身で無口のおやじさんと、小柄でいつもにこにことエプロン姿で店内を動き回る奥さん。夫婦二人きりで営む、至って普通のラーメン屋さんである。

おじいちゃんが大好きだった、かた焼きそば(麺がパリパリに揚げてあるあんかけ焼きそば)は、おじいちゃんが亡くなったあと、私が引き継いで注文するようになった。
野菜がたっぷりで、甘酸っぱい独特のあんがかかっている。同じ味どころか、似たような味を、他のどこでも食べたことはない。唯一無二の味、とはこのことだ。

何と言っても、龍門のギョーザは最高である。
私の世界で一番好きな食べ物はギョーザ。その中でも龍門のギョーザは、ざくざくの野菜がたっぷり入って、にんにくが効いた大きめの自家製ギョーザ。こちらも色々似たような味を探したが、満足するものには出会えなかった。
あのギョーザを食べれば、風邪も治った。風邪をひくと、父はいつも龍門の餃子をお持ち帰りしてくれた。

いつも、おいしいおいしいと食べる私を、おやじさんと奥さんはニコニコ見守ってくれていた。お会計をするとき、いつも私に「かなちゃんにはこれね」とあめ玉やチョコをくれた。おもちゃ付きのグリコの時もあった。

私は龍門が大好きだった。
好きすぎて、ウエディングプランナー時代に龍門のかた焼きそばを待ち受け画面にしていたくらいだ。

グリコを貰って喜んでいたかなちゃんは、気が付くといい歳になり、子どもを3人生み、家族で北海道に移住した。地元に帰ってこれたし、これでいつでも好きな時に龍門が食べられる。

と思った矢先。
ある日突然、龍門は「準備中」の札がかかったまま、開かなくなった。

待てど暮らせど「営業中」に変わらない日々に、不安が押し寄せる。

おやじさんや奥さんに何かあったのかな?
もしかして、もう2度とあの味を食べれないの?
私の人生において、唯一無二のあの味。
最後の晩餐もまだなのに。

風のうわさで、おやじさんが倒れて入院したのだと聞いた。
アラフォーになったかなちゃんよりも、着実に歳をとっていたのは、龍門のおやじさんと奥さんだったのだ。

半年後、ふと龍門の前を通ったら、看板に電気がついていた。私は、急ハンドルを切って、一人で龍門に入った。

「おひさしぶりです!」
店に入り厨房に声をかけると、
「あら、かなちゃん、いらっしゃーい!」
と、変わらぬ二人の笑顔があった。

安心した。心底安心した。
でも、よく見るとおやじさんは、鼻に酸素吸入をしていて、横には機械のようなものがあった。いつも勢いよくチャーハンを振っていたおやじさんは、中華鍋をひと振りしては休み、ラーメンを一杯出しては休んでいた。

その分奥さんが、昔以上に走り回っていた。
味は落ちてなかった。

その後、ラーメンハウス龍門は、何度も何度も長い「準備中」と、たまに「営業中」に出くわすことも出来る、そんなお店になった。

そしてついに、「準備中」の札が、
「一時休業」の貼り紙に変わってしまった。

今度こそダメかもと思い、私も覚悟を決めた。
そして悪い予感は的中する。

それからしばらくして、
「龍門のおやじさんが亡くなった」と母に聞かされた。

泣いた。
私は椅子から立てないくらい本気でショックだった。もうあのかた焼きそばも餃子も、食べることは出来ない。

いつかこんな日がくる事を覚悟して、色々なお店に行き、似てる味を探したのに、結局最後まで龍門に代わる味は見つけられなかった。

これからの人生、私は龍門という心の支え無しで生きていかなきゃいけない。なんて、心許ない人生なのか。泣いた。
たかがラーメン屋が一つ閉店しただけ。
でも、その事実が辛すぎて、私は泣いた。


しかーし!


なんとラーメンハウス龍門は今もやっている。
なんなら、今日食べてきて、パンパンのおなかでこれを書いている。

奥さんが、一人で店をやり始めたのだ。

最初話を聞いた時は、嘘だろ?と思った。
あんな小さなからだで、一人で??
そもそも、奥さん、厨房担当じゃないのに?

行ってみたら、本当に奥さんはたった一人でラーメンを作り、餃子を焼き、チャーハンの鍋を振っていた。小柄な身体で、にこにこしながら、エプロン姿で、いらっしゃーい!と厨房から迎えてくれた。

たくさんあったメニューは10品くらいに絞られていたし、営業時間もランチのみの週3日営業になっていて、小上がりの座敷はラックで閉じられ、食器の返却コーナーになっていた。お水も食器を下げるのも、全てセルフサービスになっていて、奥さんひとりで店を回すための工夫がたくさん散りばめられていた。

それでもいい。
それがいい。さて、問題は味である。

かた焼きそばと餃子。
餃子はもともと奥さんが包んでいたから、味は変わらない気がする。でも、焼き加減は??
かた焼きそばの、あの、唯一無二の味は?

結論から言うと、完璧だった。

全部おやじさんの味そのままだったし、
なんなら餃子には見た事ない素晴らしい羽がついていた。

奥さん、やるやん!!!!

これで、生きていける。そう思った。
どっかの歌詞か。

奥さん一人で作っていても、
これはおやじさんとの共同作品だ。

40年以上隣で作り方を見ていたからだろうか。それとも、病床のおやじさんから作り方を引き継いだのだろうか。
どちらにしても、レシピだけでは、あそこまで完璧に再現は出来まい。腕だ。料理の腕も奥さんに引き継がれてる。おやじさんが乗り移ったのかな。奥さんの隣にいるのかな。それなら一生そこにいてほしいくらいだ。

奥さん一人で切り盛りする店は、前より一品出てくるのに時間がかかるようになった。それでも誰も文句を言わないし、みな、むしろ、正午の忙しい時間を避けて通ってる気さえする。食器の返却も、お水の交換も、積極的に行う。なんなら、奥さんは一品一品出来る度、厨房から「かなちゃーん!」と呼んでくれる。そしてセルフで取りにいくスタイルである。常連客もお店存続のために連携プレー。

いつまでも続いてほしい。
奥さんには、無理せず、お店を続けてほしい。


私の最後の晩餐は、龍門と決めてる。


この味を、一生食べられますように。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?