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アドラー心理学は、競争を一切認めないのか? ~読書会リポート~

勇気のアクセラレーター金井津美です。

昨夜も『幸せになる勇気』読書会が開催され、参加者のみなさまといろいろな話題に花を咲かせておりました。主宰者の私が言うのもなんですが、ほんとうに楽しいという一言では表せない、脳内がグルグル刺激されるエクササイズのような時間になっています。

競争の是非

さて、今回の話題の一つにあがったことは「競争」についてでした。この本は哲人と青年の対話形式で書かれていますので、二人の対話を抜粋します。文中P.137

青年:学業であれ、芸術やスポーツ競技であれ、社会に出てからの経済活動であれ、われわれは並走するライバルがいるからこそ、更なる努力に踏み出せる。この社会を前に進める力の根底に流れるのは、すべて競争原理なのです。
哲人:そうでしょうか?子どもたちを競争原理の中に置き、他者と競うことに駆り立てた時、何が起こると思いますか?・・・競争相手とはすなわち「敵」です。ほどなく子どもたちは、「他者はすべて敵なのだ」「人々はわたしを陥れようと機会をうかがう、油断ならない存在なのだ」というライフスタイル(※)を身につけていくでしょう。               ※ライフスタイルとは人の生き方のこと。その人の信念体系に基づいた思考・感情・行動のパターンをさす
青年:ライバルの存在がどれだけ励みになるか。そしてライバルが、どれだけ頼りがいのある親友となってくれるか、あなたは何もご存じない。
哲人:ライバルと呼ぶべき盟友の価値は、大いに認めます。しかし、そのライバルと競争する必要はひとつもないし、競争してはいけないのです。
青年:ライバルは認めるが、競争は認めない?おやおや、さっそく矛盾しておられる!

はい、この2人の押し問答、あなたは哲人と青年のどちら側につきますか?おそらく多くの方々は青年側につくでしょうね。私もこの部分だけを読んだら、青年側です。

でも本の中では哲人はかたくなに「競争原理」を認めないのです。ここで「?」になる方も少なくないようです。「アドラー心理学は何をおかしなこと言ってるんですか?」って思いますよね・・・。


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競争の先にあるもの

はたして競争はすべて「悪」で認められないものなのか?その問いに対するアドラー心理学的な答えは「NO」だと思います。すべてが認められないのではなく、競争の先にある目的が「建設的か・非建設的か」という「ものさし」で見たときに「非建設的」である場合が「NO」なのです。

ではその「非建設的」な目的って何なのか?それは「他者からほめられること」なのです。文中P.136にこうあります。

「ほめられること」を目的とする人々が集まると、その共同体には「競争」が生まれます。他者がほめられれば悔しいし、自分がほめられれば誇らしい。いかにして周囲から先にほめられ、たくさんほめられるか。さらには、いかにしてリーダーの寵愛を独占するか。こうして共同体は、褒賞をめざした競争原理に支配されていくことになります。

つまり、このような状態になることが競争原理の最大の問題点なのです。「ほめられたい」という果てしない他者承認の欲求が、権力者へのこびへつらいに転じ、叱られないようにし、うまく立ち回ることで自分を生きながらえさせようとする、そんな状態が「NO」だということが、本当に言いたいことなのです。これって、本来の自分を生きていない状態ですものね。

競争という熟語が、私は個人的に難ありだなと感じています。だから読書会ではこの漢字を分解して、このように説明を加えてみました。

「競う」と「争う」のちがい 

「競う」とは、限定的な場(試合・試験)において、共有されたルールにのっとって他者と技や力を出し合い、いっときの勝敗を決めること        ⇒ 目的は全体の質の向上であり、秩序がある
「争う」とは、嫉妬や憎悪・復讐の感情を増幅させ、相手を敵とみなして個人的な枠組みの中でたたかうこと                   ⇒ 目的は相手を傷つける、打ち負かす、服従させることで、秩序がない

いかがでしょう?「競う」はいっときのもので、終わり(区切り)があるんです。ラグビーで有名になった”NO SIDE”のように、試合終了のホイッスルが鳴ったら敵味方が融合し、互いの健闘をたたえ合う仲間になる、みたいに。

でも「争う」は終わりがありません。敵への嫉妬・憎悪・復讐は負の連鎖をしていきます。不毛な、誰の得にもならない状態が続くことは共同体(コミュニティ)にとっては不利益ですよね。

アドラー心理学では、競争すべてを否定しているわけではないと思います。上のような区分で「競う」ことは社会にとっては有益・必要であり、競うライバルは切磋琢磨する仲間です。


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「競っても争わない」ために必要なこと

それは「自立」することです。精神的に自立していれば、他者とむやみに争う必要がなくなります。 本のP.152にはこうあります。

「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。幸福な生がどちらの先にあるか、答えは明らかでしょう。あなたの価値を決めるのは、ほかの誰かではないのです。

現実を生きる私たちは、多くの場面で組織や他者に自分の価値を「格付け」されてしまうことが多いものです。いつもいつも自分の期待通りに、他者は自分の価値を認めてはくれないもの。認めてくれない相手に憤りを感じて、ときには争いたくもなりますよね。

低い格付けをされ、勇気をくじかれたときにどうするか?それは「自分の価値は自分で決める」という自立の精神なのです。生まれて今日まで生きてきたプロセスを全部知っているのは自分だけ。自分が自分の親友となって、自分の価値を思い起こさせてあげてはいかがでしょうか?

それが自分で難しければ、信頼できる友人や恩師、カウンセラーやコーチの手を借りるものいいと思います。

ずっと他者からの評価や格付けに期待しつづけ、競争相手と張り合うよりも、自分の価値を自分で決めて毅然としている方が楽しく生きることができるし、自分の本来の目的に向かって生きてくことができると思います。

はい、最後までお読みいただきありがとうございました。また来週も書いていきたいと思います。

参考文献:『幸せになる勇気』 岸見一郎・古賀史健  ダイヤモンド社

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お知らせ

『嫌われる勇気読書会』を7月から開催します。もしご興味のある方はホームページ、またはFacebookページをご覧ください!オンラインでどなたでも気軽にご参加いただけますよ。一人で読むのは難しくても、仲間となら楽しく読めます。そして質問には私がお答えしますので、初心者でも安心です。お申し込みは公式サイトで受け付けております。

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