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意識から情報へ(続き)

前回、研究の興味が、情報という概念にシフトしてきたということを書いた。そして、とても気になっている情報に関する問題、いわば研究テーマの概要を4つ書いた。

でも、まだ書ききれていない、さらなる疑問がいくつかある。今回は、それらについて追加で記しておきたい。

問題5:目的とはなにか?
決定論的なダイナミクスを仮定すると、各時間において、過去の状態を変換させる時間遷移が起きていくだけで、そこには「目的」という概念はない。

人間の視点では、あるシステムが目的に向かって行動を選択しているという見方と、ただ物理法則に従って宇宙が時間発展しているだけという見方の、非常に異なるふたつの世界の描像の仕方がある。現在の科学では、意図や目的というものをシステムに持たせることは、単なる外部の解釈者による擬人化にすぎず、入り込む余地がない。これは、決定論的な物理的世界観において、なぜ、自由意志があるように感じるのかという問題につながる。

でも、この「目的とはなにか?」という問題は、知性を理解し、真の人工知能として実装する上で、避けて通れない問題で、実は「目的を持つ」という状態を物理的に定義できるのではないかと思っている。

この定義するという問題は、前回説明したIntrinsic Perspectiveという観点で「目的」を定義したいということを言っている。つまり、外部から生物やAIを見て目的をもっているかどうかを外部的な印象から判断するのではなく、システムがもっている内部の特性として定義したい。

一言でいうと「目的を内在的な情報構造として定義したい」ということになるのだが、これだけだとちょっと何を言っているのか伝わらなそうではある。

この「目的」の問題は、前回の問題2「モデルを持つとはどういうことか?」や問題3「生成モデルによる情報生成という物理現象はあるのか」と深く関係している。

システムが目的を持つためには、現前にない目的という状態を内部的に表現する機能が必要となる。それが反実仮想だ。そのためには、世界モデルをを現在の感覚入力から切り離して使う必要がある。だから、目的を定義する前に、問題2も解決して、モデルもIntrinsicに定義する必要があり、一歩深い問題だと思っている。(ちなみに、モデルを定義するときに、ひとつのシステムであるとはどういうことかという、ここで述べていない問題も解決しなければならない)これが、この問題5の野望であって、けっこう難しそうだ。

そして、この問題を考えると、一緒に気になってくるのが、生命という自己保存的なシステムと認識の関係で、次の問題の動機にもなっている。

問題6:生命は認識を要請するか?
システムが自己を維持するように働くとき、情報として特殊なことが起きていそうだという考えがある。シュレーディンガーが引き合いに出されることが多いが、熱力学第二法則に逆らって、自己のシステムとしての秩序の維持をするためには、生命のようなシステム現象には、何らかの仕組みが備わっていないとならない。

この文脈で、Karl Fristonが提案しているアイデアが気になっている。脳での事象を幅広く統一的に理解する枠組みとして、「自由エネルギー原理」というのを、ニューロサイエンスの文脈で提案している。

内容が頻繁に更新されることや、前提知識の相互依存関係がわかりにくかったり、数式が不親切であったりと、理解するのに時間がかかってしまうので、多くの研究者が必要以上に時間を費やしてしまった感もある。それでも、一度理解してしまうと、脳に関するお話としての自由エネルギー原理は、わからなくもない。

そんな中、Life as we know itと題した論文以降では、かなり質的に違う挑発的なことを主張している。この論文前後での質的な違いというのは、雑に言えば統合情報理論でのIntrinsicかExtrinsicかに対応する。脳の仕組みについての自由エネルギー原理というのは、Extrinsic Perspectiveで、脳はベイズ推論をやっているように見なせますねという話だった。それが、Life以降は、一部の物理的なシステムには「モデル」や「推論」という現象が物理的に起きていますよねという、Intrinsicな話になっている。

主張の概要は、「自己保存的なシステムは、内部の物理的状態が外部について変分推論をしていると見なせる」ということだ。これは、どういうことかと言うと、生命的な特徴を持つ自己保存的システムは、内部にモデルをもち、外部世界を認識する仕組みをかならず持っているということを主張している。もっと単純化した表現にすると、「生命は世界を感じている」という主張だ。問題2の「モデルをもつとはどういうことか?」に解を出しているのみならず、生命はみなモデルを持っているというのだ。

この主張の根拠となる証明については、テクニカルには間違っていると思っていて、そういう趣旨の論文を今だそうとしている。

ただ、証明が仮に間違っていたとしても、この生命と認識(内部モデルに基づいた外部の推論という意味)の関係は、仮説として興味深い。だから、他の形で、同様の趣旨のことを証明することは可能なのではないかと思って、日々研究をしている。

Non-trivial information closure (NTIC)というのも、その一つで、FristonのMarkov Blanketは、NTICに置き換えたら成り立つのではないかなど、検討している。Bayesian Agent ⇒ NTICは成り立ちそうだが、その逆はどうかということを考えたりしている。

他にも関連した話で、Semantic Informationという概念がある。これも自己の熱力学的エントロピーの増大を防ぐために、自分が外界について持っている相互情報量をどれくらい利用できるかという観点で定義されている。これも、生命と認識の文脈で注目している。

しかしながら、多少の研究はあるものの、まだ生命と認識の関係については、全然解決しているとはいえない。特に、システムがモデルをもっているとはどういうことか(問題2)と、その中に目的があるというのはどういうことか(問題5)と平行して取り組んでいく必要がある。これらの問題は、すべて繋がっている。

情報生成理論では、システムがモデルをもちそれを目的に向けて利用すること(いわゆるGoal Directed Behavior)が意識の機能の本質だと考えている。これをちゃんとIntrinsicに定義することができたら、そこには内在的な性質として情報の特別な状態が起きているのではないかという直感が、ここまでの問題集の根底にある。

自己感想
こういう情報が物理的にどのように存在しているのかという研究的関心を持つようになって、従来の自分の関わったことのあるタイプのサイエンスとはずいぶん違うと感じる。問題を解くということが、必ずしも実験に基づいた仮説検証ではなく、納得いく考え方や数学的定義を見つけることになっている。証明するということですらない。

これまで意識の研究は、意識をどうしたらサイエンスの対象とすることができるのかということを議論してきた。ポパーの反証可能性を持ち出しつつ、実験で検証可能な仮説を作り、実験で決着をつけようという話になる。これをTWCFのAdversarial Collaborationのプロジェクトは推進していたりする。

これは、意識の研究というちょっとサイエンスとしてボーダーラインにある研究分野を、まっとうなサイエンスにしようという点で意義のあることに思える。ただ、自分がやりたいと思っている意識研究は、だいぶそれとは違うものになっている。「情報」や「モデル」や「目的」といった現在の物理学的世界像にフィットしなそうな概念が、実は物理現象のIntrinsicな性質として捉えることができるという仮説をもとに、それを適切に定義を探すということが、今の研究の目標になっている。




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