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アカデミアから起業した理由

今から、6年位前に、イギリスのSussex大学でReaderという聞き慣れない大学教員のポジションを辞職して、株式会社アラヤを立ち上げた。

それ以来、幾度となく「なぜアラヤを始めたのか?」と尋ねられてきたし、会社を紹介する場面では説明を試みてきた。

研究が何よりも中心の生き方をしてきたのに、大学での研究職をやめてスタートアップを始めるというのは、何か特別な理由があるのだろうと思われるのかもしれない。あるいは、会社を作るっていうのは、人それぞれ動機があり、興味深い話が聞けると期待してくれているのかもしれない。

これまで、何度かインタヴューなどを受けて、説明をする機会はあったのだけど、自分の頭の中で明らかなことであっても、言葉にして説明するまで伝わらないこともある。一緒に仕事をする人や、いろんな関係する人に、自分の目指しているビジョンが十分に伝わっていなかったと思う場面もよくある。

だから、自分の言葉でじっくり書いておこうと思う。noteを始めたのには、そんな目的もある。それに、毎日の忙しい生活の中では、生きている自分自身を解釈する暇もなく、わけのわからないまま時間はどんどん過ぎていく。気がつかぬうちに、歳もとっていき、死んでしまいそうだ。

新しいサイエンスを目指して起業した

いきなり起業した理由についての答えを書くと、「従来のアカデミアとは違うやり方で、科学の研究を加速させて、実際に世の中にインパクトをもたらすこと」が目的だった。

この言葉の意味を掘り下げていく必要がある。「従来のアカデミアとは違う」というのは、2010年あたりから感じていた従来の脳研究のやり方の限界がきっかけとしてある。脳科学に限らず他の自然科学の研究分野にも当てはまるかもしれないが、科学の研究が大規模化していた。

当時は、大量のデータと機械学習を組み合わせることで、新しい発見をするというスタイルの研究が見え始め期待されていた時代だった。自分自身は、脳の個人差と認知機能の関係を調べるような研究に取り組んでいたのだが、そこでも大量のデータが必要とされていた。脳のデータをとるのは時間も費用も莫大にかかる。駆け出しの若手研究者としては、数百人という規模では研究できたとしても、数万人とか数百万人という規模でのデータを獲得することは非常に難しそうだった。

そんな中、グーグルやフェイスブックなどの世界的なインターネット企業は、個人の情報を膨大にもっており、それを適切に活用しているように見えた。その様子を見ながら、そういう規模で脳のデータを持つにはどうしたら良いのだろうと考えていた。

通常のやり方で研究費を獲得して、数百人程度のデータを取得するよりも、何かインターネット企業のように、一般消費者が自然とデータを提供してくれるような方法があるのではないか。これまでの脳科学のやり方とは違ったやり方で、大量のデータを取得し活用する方法があるのではないか。つまり、経済やインターネットのもつスケーラビリティを研究に持ち込みたいと考えていた。

そこで、脳科学を基礎としたサービスを生み出すことで、自然とデータが集まり、脳の理解も加速的に深まっていくという仕組みを作ろうと画策していた。当時のアイデアはNeuroprofileというもので、脳のMRI画像の自動解析サービスを想定していた。それが、アラヤの一番最初の時期に目指していたものだった。

研究を社会につなぐインパクト

これと関連して、「脳科学は、全然世の中の役に立っていない」という問題意識があった。脳というのは未知なことだらけで、基礎研究分野であるから、役に立つかどうかは、脳科学の学問としての本質的な価値とは別に考えるべきだと思う。(これについても、また今度じっくり書きたい)。

一方で研究の世界に強い興味と信念をもって入ってきた同業者の多くが、研究者としてのポストのない世界で苦境に陥っていた。この根底には、脳科学が一般の人の生活に経済的な価値を十分にもたらすことができておらず、社会の中の立ち位置を築けていないという社会的側面がある。

すべての研究者が応用まで考えることは必要ないが、脳科学においても応用分野が立ち上がることで、この道を志した人のキャリアパスが広がり、関連した基礎研究への公的支援も拡大するだろうから、そういった活動も意義があると思っていた。

産学連携によって、研究成果を事業につなぎましょうという風潮は強まってきている。研究者の人たちは、研究費の獲得のために一応ポーズとしてはそういう話をすることはするのだが、実際に本気でやろうとする人は、実際は少ないという印象がある。むしろ、研究者の視点からは、ビジネスのアイデアは、研究の内容を捻じ曲げたり、本質的でなかったりして、不純なものだと思っている人もけっこういるのではないか。だけど、研究の事業化に真剣に取り組む人がもっといるべきだと思った。

それから、本当にインパクトがあることをやりたいと思っていた。研究はもちろん真剣勝負ではあるのだけれど、評価の仕組みが非常に狭い世界観で成り立っている。論文をインパクトファクターの高い雑誌に出すことや、トップカンファレンスに採択されることがアカデミアでの評価の軸となっているが、その中のロジックにおいてすごいことをしても、それで世の中が変わるほどの成果というのは一握りにすぎない。ボストン・ダイナミクスのデモビデオなどは、そういう評価軸には乗っていないが、ビデオのインパクトはすごい。イーロン・マスクのやっていることなんて、毎回、こういうアカデミアのような古典的な価値観をひっくり返してくれる。

そして、我々が日常的に使っているウェブ上でのサービスは、どれも人間の生活を大きく変えてしまうようなものだった。ネイチャーやサイエンスにたくさん論文を出したとしても、スマホが浸透し社会が変容することほどのインパクトはないものがほとんどだろう。

そういう意味で、世界は広く、自分のパッションの対象(=意識)について、自由にアプローチしたいと感じていた。

一番最初にアラヤを起業するときに思っていたことは、こんなことだった。

(つづく)

付録:起業の経緯についての記事

以前にも、起業の経緯についてインタヴューを受けたことがあり、記事になっている。下の2つは割と最近のもので、掘り下げて聞いてもらったので、関心のある方は参考にしてください。


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