孤独について
なぜか突然、孤独と向き合うことについて書きたいと思った。孤独を感じているというわけではない。むしろ、孤独に戻れない環境に身をおいていることで、孤独を懐かしんでいる。孤独というのは、ある種のタブーで、自己主張と相反する。
孤独は、多くの人が体験している。「寂しい」という感情とは少し違う。
大きな夢を持つと、孤独と共存することになる。例えば、研究者になろうと思った人は、多かれ少なから同じような経験があるかもしれない。たぶん、研究者だけでなく、多くの分野で、何かにとりつかれた人は、同じような経験をしているだろう。
大きな夢という言葉は、照れくさい。だから、それ自体も表に出して言わないことも多い。自分の場合は、「妄想だけれど」という枕詞をつけてしまう。
自分にとってこれが何よりも大事なことだと思えるものに出会ってしまうことがある。それは、自分で対象を決めているのか、あるいは自分がそれに選ばれたのかもわからない。大変だから、ほどほどに付き合いたいが、それこそ竜巻のようなもので、自分で決められるものかわからない。取り憑かれるというのが適切な表現かもしれない。
なんだかもったいぶった説明になってしまっているが、これが何の話なのか通じる人がいることを期待している。
ここで伝えたい孤独には、2つの要素がある。
ひとつは、自分がその大事なものにたどり着けるかわからない中で、全てを出し切る過程が極めて孤独であること。研究を例に取ると、自分が世界で一番大事だと思っているテーマについて、本当に世界中のすごい人たちを相手に、戦って実績を出していけるのかという場面では、自分の能力の向上を信じて、ただ自分と向かいあう。毎日、毎日、修行して、そこに結果がついてくる保証はない。この過程は孤独だ。
インターネットで見えてくる情報は、成功という結果(あるいは成功のふり)ばかりで、過程は見えてこない。すごい成果を出してバズるという価値観では、その自分にとって大事なものの神聖さも薄れてしまう。自分にとって大切なことの素晴らしさが、必ずしも誰かに伝わるものでないことも、また孤独的だ。
それでも感動があるのは、その裏にある無謀な努力や孤独があるからで、そこを極めて間接的に垣間見ることができるからなのかもしれない。
この種の孤独は、実は普遍的だ。本当はうまくいくかわからないことに対して、情熱をもって取り組んでいる人がたくさんいる。その過程にいる人は外から見えにくい。でも、多くの人が戦略をもって、孤独を受け入れている。
こういう孤独な状況にいる人は、自分でもこれが正しいのか確信は持てないけれど、何かに突き動かされて、その道を進んでいるのだとおもう。そういう人に、ちょっと偉そうな言い方だけど、それで良いのだと伝えたい。
もうひとつの孤独は、普通の楽しみができないこと。世間、つまり友達や家族にとって、自分の中での至高の価値は共有されない。取り憑かれてしまっていると、世間的な楽しみを諦めて、修行を選んでしまう。美味しいものを食べたら美味しいと思うし、観光名所にも近くまで行ったら立ち寄るのだけど、それほど積極的に世間の人工的な価値に関わることができない。普通の人間として、まっとうな生き方をしていないという感覚になる。
でも、これは完全な無関心ではない。もっと、良い暮らしを目指したほうが良いのではないかとか、たまには人と比べたりしたい欲望もある。それがあるからこそ葛藤がある。
この状態に長年付き合っていると、もう自分は嫌だと感じてくる。普通に平々凡々と暮らしたい欲望と、至高を目指したい欲望が対立する。この種の孤独は、自分だけではなく、実はかなり多くの人が感じている。生きることの苦しみも、美しさもこのへんにある。
普通の価値(これはフィクションかもしれないけど)を削って、至高の何かを目指したいと思ってしまうのは理不尽だ。打算も何もない。
極稀に、この孤独からちょっとだけ救われるときがある。それは、同じ至高に嵌ってしまった人との出会い。ああ、お前もこの病気にかかっているのか、そして、あんたすごいねみたいなときが、すごく嬉しい。
人生で真剣に取り組むゲームを選び、またはそれは選ばれて、孤独と強く向き合う時期を持つというのは、実はかけがえのないことだと思う。
自分自身、ちょっと大人になって、この孤独から距離をおいてしまっているようにも思える。この孤独は、恐ろしくも、ちょっと羨ましい。
普段、これははあまり語られることがなく、伝わるかわからないけど、書いてみたいと思った。病的な心理状態であることを勧めているわけではない。ただ、息を止めて、海の深いところへ潜っていくような、そういう覚悟を再認して、懐かしさと美しさを感じる。
日常は、メリハリのないまま、淡々と進んでいくものだから、今、自分が水に潜っていることに気づかない。だけど、そういう中でも、この孤独は普遍的だと認識できれば強く生きられる。
こんなことに、めずらしく外出してたら、思い至った。
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