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地球、世界、日本、東京、人込みと私。

いい天気だ、久しぶりにゆっくりとした朝、うっかりひいてしまった風邪も治りつつある私の隣には愛猫エメがまどろむ、しかし眠い、ここ最近は仕事に救われる日々だ、プライベート、主に人間関係がガタつくと、仕事、主に人間関係に助けられる、私にとっては生きていくために必要な、質と距離感の違うふたつの人間関係、その相互作用、どちらもあると、とてもよい。

シャイで繊細そうなメンズのお客様、3回目の施術にして初めて笑顔を見せてくださった、スキンケアの話で盛り上がる20代boyと40代girl、ネイリスト人生ならではの面白みがある日々に感謝だ。
長年通ってくださっている顧客様の中にも、ちょっと厳しめで怖いとされている方と楽しくお話できたり、特に問題ないとされている方に名指しでクレームを入れられたり、まだまだ自分では把握しきれない自分というものがあるのだなあと思いつつ、人は人と関わり合いながら生きていくもの、いろんな経験をしてきて今やっと、そんなふうに腹落ちしている。




Instagramというものは、こらまたとてもよいと思う昨今、鼻歌でも誰かの歌でも作りかけの新曲でも、パッと歌って撮ってあぷできる、美しいと思った景色も、健忘録と、私は元気です発信、どちらも手軽にできる、それは大好きな誰かのそれもお互いに、雪深きモントリオールでこの瞬間に生きているりみちゃん(hurt mintのMV、アー写にジャケ写、たくさん撮ってくれたArtなDisigner)が教えてくれる、笑えないことも笑いに変える写真や映像、それに載せる言葉、引用する音楽、すべてがハイセンス故に作品になっちゃってる事に本人は気づいているのだろうか。

アートとは誰かの生き様だ、光と闇を内包するハートが出口を探して駆け巡り、迸る熱量でもって何かになり、解放されたそばからまた光と闇を混ぜ込んでゆくその繰り返しなのだ(排泄に例えた過去があるが生殖に近いかもしれない、相手は世界だ)、りみちゃんが生み出すアートはこの世界に、誰かのハートに、私の人生に、永遠に生きる命なのだもうなんて愛おしい存在であろうか、私が昔やっていたspeenaというバンドの曲を聴いてくれていたベイビーちゃん(私の可愛いファン)がくれたラブレターに書いてあった最高の賛辞、「あなたの作品は永遠だ」を、すべてのアーティストに送りたい。



同じくInstagramで懐かしい人がメッセージをくれた、サヤチ(神田沙也加)に誘われて、松田聖子さんのコンサートに見学と勉強も兼ねて伺った時お会いしたダンサーのあっくん(小峰晃さん)だ、その後お会いできていないから22年振り、その長い年月を、さやがいない悲しみを、分かち合うかのように埋めるかのように、思い出話もしながら、メッセージのやり取りをさせていただいている。

表現者として表舞台に立ち、その後は若手育成やリハビリストレッチなんかも手広くやっているそうで、出会った頃は20代後半だったのかな、アートに生きる人がここにもいた、人生ダンス、私は特に男性がそういう生き方を貫いている事に好感を持ちがち、うれしいことに4月のライブに来てくれるというので、風邪をひいている場合ではない。

当時の私は生意気ではなかったですか?何か失礼はありませんでしたか?そんな私の問いかけに、あっくんは優しさを纏って、当時のあなたはとても生意気そうで、苛立っていて、エネルギーを持て余していた、新人からベテランまでいろんな表現者に出会っていたあの頃、あなたは私が出会った Best 生意気ガール in the worldでした、と答えてくれた、顔から火がボゥ〜っと出ながら、あぁやっぱり、と苦笑した、若かったあの頃何も怖くなかったと、神田川が脳内を流れた。神田だけに、とさやのツッコミが聞こえる。



生意気の塊ではないか、何でも言い切りそうだし、〜であるべきとかすぐ言いそうだし、一升瓶持ってる人とお近づきになりたくない。
優しい大人たちに許されながら生きていたのだろう、あの日の私よ、今一度想いを馳せる振り返りジャーニー・speena編はシュガムンな夜。




sugarmoon champselysees

4.お花のひとりごと
曲、シホ。

アルバムデモ曲を並べた時、短いインストゥルメンタルが欲しいと思ってシホちゃんにお願いした記憶。形破らない真面目さ、クラシカルな彼女の一面。
鼓笛隊みたいな感じで、演奏は私達がやればいいじゃんって。
シュガムンのテーマは映画のようなアルバム、繋がっていなくちゃいけないというよりは、聴いていて自然に流れるアルバムを作りたいって感じ、ガチャガチャしない統一感、全部で一個、そんなイメージで構想。

序章ランデブーで少女の夢の世界に舞い込んだ女の子、これから始まるストーリー、恋って甘くて素敵だけど、時に甘ったるくてやってらんないねviva! romantic、バン!バン!バン!トゥントゥントゥン・・・ドゥ〜〜ンってアウトロ来たら次はメロウなメロディが聴こえる、ちょっと休もう、レンガの丸い橋に腰掛けてヒールを脱ぐ、ふと見渡せば辺りは夜、向こうから懐かしいメロディが聴こえてくる、ピエロ?ピエロみたいな帽子をかぶってアコーディオンを弾く、うさぎ?うさぎみたいな頭の人が大太鼓を叩く、オレンジピール人間みたいなのが小太鼓を、すずらんの灯りを持ってカエルがぴょんぴょんと四方八方から楽団を照らす、女の子は近づくことをせず、橋からただそれを眺めている、仄暗くあたたかな旋律に、帰りたい、帰れない、掴みきれない自身の闇に憔悴していた、そう、それは昨日の私、横断歩道の信号待ち、通りの向こうに見えたあの人のため息は小太鼓の音の余韻、それに揺れる髪に見とれ、そっちに行こうとした瞬間に世界はぐにゃりと捻れ、しゃがみこんだ私。


5.人込みと私
詩と曲、カナコ。

人込みの中しゃがみこんだ私の目に映るもの、ミニスカートの女の子、タイツに穴あいちゃってる膝のとこ可哀想なタイツ、わ、火玉あぶない、歩きタバコやめて、人ばっかりで空が見えない、風の音も聞こえない、無数の話し声と靴音が塊になってこの街を覆っている、しゃがむ私をお構いなしに人は行き、なぜ立ち上がらないのかと自問すれど答えはなく、誰かと繋いだ手を思い出す、ずっと繋いだ手、最初はお互いの形や温度の違いに他人だと感じるのに、同じ温度になるにつれて慣れて鈍ってく感覚、孤独でない安堵と個を失う事への拒絶、私は何を待っているのだろうか、ほら行くよ、と差し伸べてくれる手を?いやちがう、あなたは私ではない、でも、似たようなもんだよと言ってくれる誰かだ。

speena初期からあったから、作った当時は東京に住んで3,4年、こなれてきやがって、みたいな辺り、人の多さに吐き気がしてた頃。
自分もその一員なのを鮮やかに忘れる強さが若さなのか。
俯瞰カメラが引いてゆく、私から渋谷、東京、日本、世界、地球。
その中で私はどうあれば、自分でも美しいと納得できるだろうか、そんなことを考えていたあの頃、今日も同じことを考えている。


レコーディング。

デモの歌を超えられない、という悩みを抱えていた27の私、ならデモの歌を本番に使えばいいじゃない、とエンジニアのヤシャーン松本康雄さん、レコーディングスタジオでデモから歌を抽出。凄腕すぎてもう。
間奏のギター、世界がぐにゃりパートはシホ。
コンパクトなブースに爆音ギターで狂気を注入。
こういうの、細かく説明しなくてもわかってくれるあたり、感覚シスターズ。
ピアノもデモのまま、ショーコ。
私の家に来てくれて、弾いてくれた。私のデモには間奏がなくて、なんかいい感じのやつお願いしたら、のっけから最高でもう。

mm,。・。、mんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんn

あ、これエメが打ったの。


愛は裏返して口づけましょう
あんまりに見えなくなる前に
触っていて 触っていてほしいの


言葉にする前に感情が先に出てきてしまった界、代表。
今日改めてこの曲の歌詞と向き合ったけど、正直どういう意味で書いたのか、ちょっとわからない部分もある。まあいっか。


♥  



バンド解散の話し合いはシュガムンレコーディング前に済ましたっていうのに、話し合いが終わって帰り際、人込みと私はデモのままアルバムに入れようと思うよ、とショーコに伝えるカナコ。なぜ。
ショーコが抜けるということを、どこかで受け止めきれていなかったのかもしれない。実感がなかったんだなあ。



人込みの中、どうにか歩きだした女の子が見上げた空、あぁ、空はいつだってそこにあるのにうつむいていちゃ見えないよ、足元にはひだまり、思い出すあなたのにおい。
ママを恋しがる少女に会えるまで、また次回。

読んでくれてありがとらぶーん!

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