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「病気を克服する」という言葉がしっくりこない件

私の病気が筋ジスだという前情報を持っている某記者さんから、「どのように病気を克服しましたか?」と聞かれて、「病気を克服する」という言葉に違和感を持ったので、なぜなのか考えてみた。

克服
[名](スル)努力して困難にうちかつこと。「病を克服する」(大辞泉)

①病気を克服する=病気を治すなら、治療法がない筋ジスの私にそれを聞くのは謎。ググれ。筋ジスの症状をセルフで緩和できないとすれば、むしろ筋ジスを克服するのは「医学」なのでは。

②メンタル面の話だとしても、私は「何かを克服した」と言える話をしたことがない。普通に働いて普通に生活している私の状態を「努力して困難にうちかった」状態だと勝手に思っていらっしゃる。

③筋ジスを克服すべきもの、と思ってるのも癪に触る。事実めんどくさいことはあるけど、それは筋ジスに起因しているのではなく、筋ジスがある状態で生活する人にフィットしてない社会に起因してる。そういう社会モデルの観点を一切持たず、一方的に困難さの原因を筋ジスに帰属させてるのが乱暴に思える。

大変な病気を克服して輝いてるヒロイン的なストーリーをネタにしたいのかしらんが、こういう質問投げてくる人にはぜひとも、硬直した見方を「克服」していただきたい。

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