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田舎の私と都会の私

人間誰しもいろんな一面を持っている。
一緒にいる人や環境など様々な組み合わせによって何通りもの自分がいるんだと思う。例えば田舎にいるときと都会にいるとき。それぞれの自分の考え方や行動は同じではない。

都会では歩く進路を塞がれるとイラっとしたり、電車の空いてる席をまるで獲物を捕らえるかのように探したり、疲れているときはそれがより顕著になる。なんにしても早いことに価値があり、常に最短距離を求めるから時間に追われて余裕がない。

一方、田舎に行くとそんな自分はどこにもいない。
歩いていて進路を塞がれることもないし、慌てなくても電車の席は空いている。電波が悪くても、電車の本数が少なくても「まぁそうだよね」と自然と受け入れてしまう。むしろ田舎っぽくていいなぁと醍醐味を味わったような気持ちになる。

空気がおいしくて自然豊かな環境であれば苦手な虫に遭遇しても、不思議なことに仲間のように感じる。「便利なことは少ないかもしれないけど、こんなところで出会ったのも何かの縁。まぁ仲良くやろう」みたいな共存の意識が人間以外のものにも生まれるのかもしれない。

都会で進路をふさがれてイラつく私も、田舎で虫にシンパシーを感じる私も、どちらも私。環境と共鳴したときにだけ顔を出す、地域限定の一面。どの自分でいる時が一番しっくりくるのかが大切だ。


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