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必要とされる喜びを手放して

1年4ヶ月前に書いたこの記事。

冒頭に書いてるある施術というのは、実はOCOさんの施術。

実は受けていることをあまり人に言いたくなかったんだけど、もう良いかな、と。
初回の衝撃がすごく、なんかよくわからないままボロボロ泣けて、これはすごい…とそのままこっそりここまで継続してきた。

紆余曲折色々あって、あの時描いた未来とは全然違う結果になっているけど、今すごく良い状態に進めている気がしている。

何より、前は潜在意識の声とやらがほんとに信じられなくてw
嘘でしょ!嘘でしょ!そんな訳ない!と抵抗しまくりだった。
でも最近は、
あ〜そうよね、そうよね。わかる。サイン来てたわ。と。
すごい変容だなぁ。
何より面白いのが、ほんとに先に色々サインが来てるんだよね!
それに気づけるようになってきているんだなぁ、と思うと感慨深い。

それはもちろんOCOさんのおかげでもあるんだけど、それだけでなく、関わってくれている全ての人たちのおかげだなぁと、改めて感謝。
ありがとうございます。

人生終わった感、もうやりきった!みたいな気持ちがここ最近、実はあったんだけど、そうは問屋が卸さない。

ここからがまたスタート。
一周まわって、最初の記事のところに戻ってきたなぁという感じが今している。

必要とされる喜びを握りしめた私

有料記事でごめんなさい、なんだけど。

ここにも思いっきし、必要とされたい感満載の私がいる。南無。

今回の施術では、こういう私にオサラバをした。

一番は自分の家族に対して。
必要とされることで、これまでずっと喜びを得てきた。

昔もそれにまつわることが何かあったのかもしれない。
もう思い出せないけど。

ただ実家で同居した5年間にそれをやり切った気がする。

祖父が亡くなって、認知症の祖母が一人になった。
実家で祖母が生活するにしても、両親はまだ共働き。
育休中で時間のある私が、祖母を介護するのは当然の流れだった。
毎日通うのは大変だからと、実家で同居をして、デイサービスの送り出しや迎え、お休みの日は昼ごはんの準備。
復帰までの3年間半、家族6人分、次男が生まれてからは7人分の夜ご飯を毎日作った。
あの頃はまだ祖母も元気だったから、一緒に散歩や買い物にも行って…
病院にも連れて行っていた。
厄介なのは祖母が体調を崩した時だった。デイサービスは当然お休みな上、体調が悪いと、もれなく認知症の症状も悪化する。
よくやってたね、私。
幸いなことに、認知症とはいえ徘徊もほとんどなく、いわゆる二次障害のようなものはあまりないからできたことではある。

その頃ちょうど、都会にいる弟が人生で行き詰まっていて、毎晩のように電話をした。
一旦レールから脱線してしまったように見える彼が、新たな道を切り開けるよう、文字通り寝る間も惜しんでサポートした。
あの頃の電話がなかったら、今頃どうなっていたんだろう、と。
弟をサポートするために、私は実家に住んだんだな、と本気で思ったし、立ち直れたのは私のお陰、とどこか恩着せがましく思っていたのも本当。

数ヶ月の間だったと思うけど、毎日会社まで父を送迎をしたり、外回りにも全て私が車を出していたこともある。まだ小さくて、絶賛チャイルドシート嫌々期の息子と、90歳近い祖母を抱えて。

両親のケンカを間に立って取りなすようなこともしていた。
私が間に立たないとうまくいかないでしょ?くらいに思っていたかもしれない。

ほんと、あれもこれもよくやってたなぁ。ヨシヨシ。

頼られて、必要とされることに喜びを見出して、進んでそういう役回りを担ってきた。
自己犠牲は美しい!
その思い込みは何も仕事に限ったことではなく、むしろ私は家族に対して滅私奉公、家族最優先!みたいに思ってたところがあったのかもしれない。

でも同時に、この頃からイライラしすぎる自分が嫌になって、色々自分探しを模索し始めたんだった。
産後鬱?更年期?と思って産後体操、ハーブテント、amicalボディケア、と色々はまって、西洋占星術とかこの界隈wにたどり着いた。

なんのことはない、もっと!私を!満たして!という魂の叫びだったんだなぁ。
もちろん、そうやって誰かに尽くすことが人生の使命な人もいるだろうけど、私は明らかにそうではない。
なんと言っても1ハウスドラゴンヘッド!

手放した先に

実は、旦那の実家に対して決別宣言をした後
(こちらも有料記事ごめんなさい!)

なんとなく、自分の実家に対しても距離を取らなくちゃいけないだろうなぁ〜という予感はあった。

家族が集まるの、昔は何より楽しかったのに、最近ちょっとしんどいなと薄々思っていたから。
実家も出たし、離れる時がきているのを感じている。

その反面、まだ私は、自分にもできることがある、何かサポートしなくちゃ、という気持ちが捨て切れていない。
甥っ子姪っ子のために、何かしなくちゃ!とか。
父の仕事を手伝わないか、と言われ収入欲しさにそれもアリかも、と思ってしまったり。(弟に反対されて目が覚めたけど!)

手放すことで裏切ってしまう、みたいな気持ちがどこかに残ってる。
実家を出れないと思ってた時と同じだね。
切ない。
多分、私は必要とされたくて、必要以上に、手を出し過ぎてしまうの。
もうそれを止めるんだ。

何もお別れってわけではない。
心から会いたい、楽しい時間を共有したい、そう思ったときにまたいつでも会えばいい。
実際、一緒にやりたいことだってあるしね!それは楽しみ!
そう、大事なのは自分が100%で楽しめるか。
相手のために!と勝手にしんどいことを引き受けない。


今の私は、家族に必要とされずとも、自分を楽しませることができるから!
私は、私の喜びの中に、自分を連れて行くの。


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