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もし写真を撮ることが嫌になったら、振り返ってみたいこと

ひとたび「この写真は正しいのかどうか」「ここでこう撮るのは正解なのか?」を考え始めると、写真が撮れなくなる。

写真に正解はないのだから、当たり前といえば当たり前なのだけど

でも、その正解のない写真の正解について、ついつい考えてしまうことがあるのだ。

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写真に関する正解について考えて手が止まってしまう時

それは大体、「自分にとっての正解」を見失っている時か、今の「自分にとっての正解」に飽き始めて別のスタイルを模索し始めた時。

そして、「自分にとっての正解」を見失う時というのは、往々にして外に正解を求めてしまっていたり、シンプルに自分の好きを見失っていることが多い。

夕陽よりも朝陽が好き

SNSを眺めていると、色々なハブにフィーチャーされている写真や、沢山の人からのいいねを得ている写真、個人的に「この写真素敵だなぁ…」と思う写真など沢山の写真を目にする。

そういう写真を見ては、「どうしたらこういう写真になるんだろう?」と試行錯誤しながら、構図やアイデア・編集の仕方を真似てみる。

それ自体は悪いことではない。人の写真を沢山見ること、自分にないスタイルを真似てみること、それ自体は自分の引き出しを増やしてくれる行為なので、むしろすすんでやるべきだと思う。

ただ、そうやって試行錯誤をくり返していると、それが自分の中で上手くハマる時とハマらない時がある。上手くハマらないままそれでも撮影・編集を続けていると「あーーーーーーーー!!!もう何が正しいのか分からない!!!!!!」といっぱいいっぱいになって、そもそも撮ることが嫌になる。

そういう時に一呼吸おいて振り返ってみたいのは

■撮ろうとしているそれは、本当に自分の好きなものなのか
→インスタ映えとか狙って、好きでもないものを無理に撮ろうとしたり、好きでもない編集をしようとしていない?人の目を気にして写真を撮ることは、決して楽しいことではない。

■苦手な写真を100点満点で撮ろうとしていないか
→写真の撮り方・編集の仕方にも当然、得手不得手がある。苦手を克服すること自体は大切なこと。でも、そればかりに注目して自分の得意なスタイルや、自分の好きなスタイルを見失っていない?得意を伸ばしていくこと、そしてその自分の得意を人にアピールすることも大切なこと。

■最近なーーーーんにも気にせず好きなもの撮った?
→新しいスタイルの開拓にせよ、苦手克服にせよ、それが上手くいかないと煮詰まる。そんな時は、何も考えずに好きなものを好きなように撮るのが、一番のリフレッシュになる。だって、写真が好きで、何かこれを撮るのが好き!というものがあるから、もっと上手くなりたいと思っているはずだから。だから、たまには難しいことを考えずに、撮りたいものを好きなように撮ろう。

仲間や友達の写真を撮るの、私は大好き
笑顔の写真も好き

写真を撮る手が止まる時
写真を撮ることが嫌になる時

私にとってそれは「自分の好きを見失っている時」や、人からの評価を気にして「自分にとっての正解を見失っている時」だ。

仕事で写真を撮る以上は、人からの評価(クライアントの満足度とか)を気にすることはもちろん大切なこと。

SNSなどで写真を発信していく以上は、いいねの数やフォロワー数が気になるのも分かる(それが仕事や、思ってもみなかったチャレンジに繋がっていく子ともあるわけだから)。

でも、そればかりを追って、「自分の好き」や「自分にとっての正解」を見失うとどうしたって撮ることが楽しくなくなってしまう。

まずは楽しむこと!

楽しければ、腕を磨くための努力や、人に見てもらうための努力は自然と行えるようになるはず。

自分の好きを大切に。
まずは楽しもう。

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