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ぼくはクリエイターが嫌いだ

先月の30日、明石ガクト氏が代表を務めるone media株式会社がTikTokを中心としたクリエイター支援事業を開始した。

「TikTokをはじめとしたSNSを活用し、表現活動をするクリエイターのプロデュース」、さらに「クリエイターに向けての広告案件獲得」、そして「クリエイターのマネジメント活動」を中心に展開するといった事業内容。


この事業の立案、広告、PR(クリエイティブディレクション)を、かの有名なクリエイティブ企業「The breakthrough company GO」が手掛けたと言うことも話題を生むきっかけになったのではないか。



この「一億総クリエイター時代」の発展に向けた動きは間違いなくクリエイターの活動を活発にさせ、さらなる経済効果が見込まれるだろうし、新たなるクリエイターの出現も加速されることと思う。「表現する」という行為がより高いレベルで民主化されて、それはそれでいい面もあると思う。



しかし僕はこういった最近の動きに不満を感じている。


クリエイターやアーティストは多くの場合、人前に出て(ネットという表に出て)表現活動をしたり、あるいは自分の創作したものを公に対してアウトプットする。




こういった、かつて何者でもなかった人が目立つようになるという現象は、多くの人にとっての希望となる。


しかしほとんどの人(特にSNSに精通している若者)にとっては、それは単なる現世的な、極めて物質的価値観に縛られた承認欲求を喚起させているに過ぎない。

目立つことをゴールに見据えて、「YouTubeやろうかな」「TikTokやろうかな」となるやつが増える。


かの有名な少年革命家、ゆたぼんが「学校にいかんくてもいい!」といったら、健全な理由ではなく、怠惰で学校に行かなくなるやつを生み出しかねないというのとおんなじやで。(ちょっと違うかな?笑)

抽象的な言い方になってしまうが、要は「健全なコンテンツではなく、不健全なコンテンツが増える。そして助かる人も増えるかも知れないが、それ以上に不幸な気分になる人が増えてしまうのではないか」ということである。



今いるようなTikTokerやYouTuberが目立つことが、「目立つ人こそ社会的価値が高い」という認識を助長してしまうと感じる。彼らは広告収入等でがっぽり稼いでいる。お金という、ほとんどの人間が欲しがるものを大量に手に入れてしまっている。これでは尚更だ。


これは言うなれば、「陽キャが学校で地位高い」みたいな不健全な空気が日本全体で起こるっちゅうことやねん。


もっと小さい社会の話で置き換えると、インスタで、かわいい女子大生が彼氏と旅行♡みたいな様子をインスタに載せて、それを見て「なんで私は今バイトしてんだろう」ってなって働かなくなるみたいな。

現場から労働者が減り、ますます日本は不幸になっていく。。



みたいな他者との不健全な比較をしてしまうという話でもある、これは。



陰キャ的なクリエイターもいるが、それよりも陽キャ的なクリエイターの方が分かりやすく目立つ。




まじで居心地が悪すぎる。

というのも、陽キャの部類に属さない人たちがかわいそうと言いたいわけじゃない。



現世欲(金、名声、地位を求める欲)にまみれた世の中は、結局不幸になる人を増やすってことなんだよ。



そして言いたいのは、陽キャが台頭することで嫌な気持ちになる人たちのストレスを無視するのが良くないと言うこと。


人間にとって最も克服困難な感情「嫉妬」を日本中に発生させるということが最悪なのである。


嫉妬を克服する最も効果的な方法は、「全員が神様に愛されてるから、たとえ富や名声、地位などなくても地球上の人間誰かに愛されようが愛されまいがどうでもいい」ということを信じるということである。

でもそう言ったところで「なるほど」と、嫉妬心を克服できる人はほとんどいないだろう。


だから目立つ人、有名な人が価値高いなんて思わせてしまうような社会を作ってはいけないんだよ。


ミレニアル世代、Z世代、それよりも若い人で富、名声、地位を求めない落ち着いた人なんかほとんどいないやろ。


TikTokerやYouTuberがたくさんの人に見られているこの世の中が、そういう生き方が価値高いなんて思ってしまうような風潮が、少なくとも今の日本を見てると感じる。



パワーあるクリエイターさんよ。企業よ。投資家よ。たのむぜ、もう変なマーケティングなんてしないでくれよ。この世の中、各々が生きていくのに必要な金(緊急時用の金も含めて)さえあればいいんだよ。本来。必要なお金は神様がくれるようになってるから。死すべき時期が来ない限り死なないようになってるから。この世は。(悪い行いをしたら金に困る生活が待ってるが。。)足るを知れって。豪華な生活してふんぞりかえってる暇があったら寄付してくれよ。

もう利益の優先、追求なんて過去の話じゃないのかい?

もうちょっとこの世の真理に耳傾けて勉強してくれよ。


俺なんて相対的に見たら全然金ない方だけど、必要な金はその都度天から降ってくるもん。



「半年後、一年後、このままだと生活できないなー」って思っても、


ふと仕事の話がタイミング良く降ってきたり、「この仕事道具欲しいな」と思って「高ぇー買えねー」ってその時はなってても、数ヶ月後には買えるような金がなぜか降ってくるんだよ。なんか相手がトラブって「給料間違えて振り込んじゃった」とか言って、めっちゃ報酬が口座に入ってるみたいな(笑)。

(↑翌月以降の報酬の前払いというていにしてもらって、翌月以降の報酬から過払いの報酬分引かれました。)


それで本来いつになったら手に入るかわかんない高価なものが買えるんだよ。それは本当に俺にとって必要なものだったから、そのお金を神様が下さったの。当時の俺にとって必要なものではなかったらそんな金は降ってこなかっただろうな。


そもそも、この世には運命を自在にコーディネートできる守護霊、神の存在があることを知るべきだ。(一応言っておくと、僕は無宗教です。)



必要なお金や能力を、その人の人格に応じて彼らが与えてくれる。


守護霊はどういう人を助けるのか。


人のために生きる人。クリアな魂の持ち主だ。金や名声、地位など重要視せず、ただただ人のために生きる人。自分をひけらかすのではなく、自分の行ったことが世の中をよくする方向に向かえばいいなと心から望む人。


陽キャか陰キャかどうか関係ない、対等だということを言いたい。

そういった自覚を与える世の中にならなくちゃいかんと思う。


「明るくて人前にでるのが得意だし、目立ちたいからその力を使って目立ってやろう」

そうじゃなくて、もっと人の気持ちに敏感になって悩んでる人、生きずらい人、恵まれない人を救うとか、それこそ、その明るくて活発な性格を健全な方向に使って人間全体として助け合っていこうという気にさせることが必要じゃないのか?


口だけじゃダメだぜ。偽った言葉はその時は騙せても、後々ボロが出て身の回りに影響が出るようになってるからな。



ネットの拡散力は、本当にいいものを世に広めるために使われるべき力だ。

あるいは、この世から根絶させなければならない悪いものを潰せるようにする力であるべきなのだ。



「自分は顔がいいから目立ってやろう。」

「自分のパフォーマンスで一攫千金狙ってやる。」

「黄色い声援を浴びたい」




そのためにYouTubeやんのか?TikTokやんのか?インスタやんのか?


もっと人のために生きんか。みんな。




富、名声、地位を求めるものは徹底的に「そうじゃない」と突き跳ねないと。

まだ若いそこの中高生。今のうちに目を覚ませ。コムドットを見る前に自分で自分の機嫌を取れるようになれ。君らのクリックひとつで「自分のために目立つ」っていう価値観を助長する世の中を作ってしまうんだ。

インスタで他人を見る前に、自分が今足りないところを見ろ。


そうすれば現世利益になんかに目が眩む(くらむ)ことはない。


お前が人のためにできることを探せ。その力をつけるための時間と労力を割け。





「天は自らを助くるものを助く」


イギリスの作家,サミュエル・スマイルズの言葉だ。




SNSやネットに頼らず、孤独に自分と向き合い、人のために頑張ろうぜ。人助けしようぜ。



マーケティングに囚われたビジネスの檻で、世にムーブメントを仕掛けようと言ったところで、みんなが幸せに生きられるだろうか。最大値を狙うということは、マイノリティを尊重しないということだ。そしてなんということか、マイノリティこそが多数派よりも生きづらさを抱えている。



「全員が幸せになれる世界をつくるなんて綺麗事だよ」

なんて言う人が出てきそうだが、全員が幸せになれる世界を作ろうとすることが大事なんじゃねえの?

そりゃあ俺が生きてるうちには全員が生きやすくなる世はできないと思う。
むしろ、そういう世界をここ何十年、何百年程度で実現させられる訳がない。




みんなあまり実感がないかも知れないが、実を言うと人間は本来、「綺麗事」を目指している。

実際世の中見渡してみると、少しずつだけど人間徐々に優しくなってるじゃん。


戦争を通して命の大切さを学んだり。重労働が問題になってワークライフバランスとか言うようになったり、男女平等とかジェンダー平等とか言うようになったり、人種差別が昔めっちゃあったけど今どんどんなくなってるじゃん。愛がある世の中を目指してるじゃん。本当の意味での実現にはまだまだ時間がかかりそうだけど。


何千年、何万年とかけて達成させられる人類に課せられた課題よ、これが。人格の向上。

スピリチュアルな言い方をすると、「霊性の向上」

それが我々人類が生まれた理由。



他者への無償の愛で満ちた存在になる。物質的な価値観に縛られない存在になる。


そのための修行だから、あえて物質的な欲求が生まれやすいような世の中になってるんだよ。この世は。


そこの欲求に打ち勝つ戦いを通して成長するようにプログラミングされてる。


もっと人として大事なところを見よう。綺麗事は今のこの未熟な世の中では貫き切れないところはあるよ。今はね。でもさっきも言ったけど今の綺麗事が”綺麗事”としてでなく、人間みんなができる当たり前のこととして世の常識にしていかなければならない。それの実現には半端ない時間がかかるもんだから、そのための歴史の1ページを、微々たる力かもしんないけど、今に生きる僕たちが積極的につくっていく使命があるよ。



とにかく表に出て発信する人を増やすことができれば(クリエイターを幸せにできれば)、クリエイターに向いてない人、表に出る筋じゃない人がどういう感情になるかを無視してもいいなんて馬鹿げている。



みんなクリエイターになる必要なんてない

クリエイターこそ価値が高いなんて風潮を作ったらダメだ。



クリエイターじゃない人たちが反撃の狼煙を上げる時代がそろそろ来るという確信が俺にはある。そしてこの文章を書いている僕はどちらかといえばクリエイターだ。



何もネットに発信するようなことがない人たちでも、静かに着実と、生きづらさを抱えながらもたくましく一生懸命に生きている人がいる。

そして、やりたいことができずに亡くなっていった先人たちの犠牲のうえにこの世は成り立っている。


そういった、今こそ一番大事なことに目を向けずに、なぜマーケティングされた派手なコンテンツに「勇気をもらえる」だの「憧れ」だの言って時間使ってんだ。


そのコンテンツは注目を集めるために自己中心的に仕組まれたもので、「世の中を本気で良くしたい」「本心で人を幸せにしたい」といった利他愛のもとに生み出されたものではないぞ。(ほんのちよっとは利他愛あるかも知れないが。)


世界は戦争してるっちゅうのに、呑気なコンテンツがSNSユーザーの民度に合わせてとんでもない大きさで波及してしまっている。そしてマーケティングの標的になる。ますますそう言ったコンテンツを生み出す者が社会を動かす大きな力となってしまう。

企業は利益を追求する存在だという価値観はまだ崩れない。


だからさっきも言ったけどTikTokやインスタの中にいる人の力を借りるのではなく、自分の力で自分の暇を持て余せたり、機嫌を取れるようにして、SNSに頼らない孤独の豊かさを享受できるようになる必要がある。



例えばそこの陰キャよ。そうだ。この文章を読んでるあんただよ。

教室の中心、サークルの中心をになっていた「陽キャ」が世を動かすってどうなん?奴らが幸せを感じていて俺らが惨めな気持ちで生きてるのっておかしいことだと思わないか?


今度は俺らが陽キャに反撃する番だぜ。
陽キャも陰キャも生きやすさ、幸福度に関係ないと魂から理解させる時だぜ。



革命はいつも辺境から生まれる。




僕がいちクリエイターとして、今まで述べたような不健全な空気感と、誰も取り残さず生きやすい世の中を作ろうという思想を、何らかの形としてつくって世に是非を問おうと思う。そして、そんな社会に対して直に働きかける実装的なこともしていきたいと思う。



まだ意思を固めつつある段階でしかないんだけど、こんな俺を応援してくれたら嬉しい。

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