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緑玉で君を想い眠る㉒



 叶羽は誘拐されて、左目を失う大怪我を負った。

 ごめんね、叶羽。

 君の幸せを守りたいと思っていたのに。
 怖い思いをさせて。痛い思いをさせて。

 横たわっていた君は、やっぱり涙の跡一つなくて。
 あるのは血だけだった。



 僕が責められるのは、当然だと感じた。
 どんなに口汚く罵られてもいい。

 でも叶羽を、これ以上傷付けないで。
 この事件で一番傷付いたのは、彼女だ。

 なのに、また新しい傷を付けるのは、もうやめてくれ。

 そう思いながらも、僕は何も言えなかった。

 代わりに、叶羽の手を握った。
 大人達に気付かれないように。

 こんなもので傷が塞がるなんて思っていないけれど。
 あの時離した手を、握り直したかった。

 もう絶対に、この手を離さないと、誓い直したかった。



「叶羽チャン、大変でしたねぇ」

 休み明けの、朝のホームルーム前。僕の前に現れたのは、玉井夢香だった。
 言葉に反して、顔には奇妙な笑みが浮かんでいた。

「誘拐されて、左目を失ったんですってぇ?」

「……何でそれを知っている」

 義眼をつけているから、見た目だけではわからないはずだ。

 叶羽は彼女と親しいわけではない。叶羽が誘拐事件のことを彼女に話すとは思えないし、親しい相手であっても、自分からベラベラと左目のことを喋るとも思えない。

「霧島さん、あたしと付き合いません?」

「何で知ってるのかって聞いてるんだよ!」

 語気を強める僕を見ても、彼女はクスリと笑うだけだった。

「あたしと、付き合いません?」

「……何でそうなるんだ」

「叶羽チャンがどうなってもいいんですかぁ?」

 厭味ったらしく叶羽を「ちゃん」付けし、甘ったるい声で問い掛けられる。

「君に何ができるって言うんだい」

「できないけど、それならできることをやるまでですよ」

 ふざけている。この女。

「脅されて君と付き合うだなんて、馬鹿にしてるのかい? 誘拐事件の犯人が君だったとして、学校内で彼女を危険な目に遭わせるなんて、できないだろう」

 そう言って、その場を去った。

 冷静に考えて、彼女が誘拐事件の犯人なわけがない。彼女は叶羽よりも小柄だ。車を運転できるわけでもないから、叶羽を運ぶなんて、不可能だ。

 なぜ彼女が誘拐と左目のことを知っているのか。それは、犯人の協力者だからだろう。犯人に、叶羽が出掛けるという情報を流したのが、彼女なんだ。

 そんな人の言いなりになんて、なるものか。

 情報を流しただけの彼女に、学園内で何かができるわけがない。情報を流した相手が誰なのか、一刻も早くつきとめなければ。

 しかし、朝のホームルームが終わって一限目が始まる頃には、事件のことは噂になっていた。彼女がレイプされたという誤情報付きで。

 一年の森城さんがレイプされたって? エッロ。何人に? ちょっと男子最低。彼氏守ってやれよ。霧島じゃ無理だろ。他にいい人紹介してあげる? 紹介される側の身にもなれよ。

 僕のことはどう言われようが構わない。

 でも、彼女が、誰かの頭の中で、勝手な言葉で、また傷付けられていくのが、耐えられなかった。

 それもこれも、きっとあの女の仕業だ。
 友人面をして叶羽に近付くようになった、あの女の。

 すぐにあの女のところへ行った。
 校舎裏の人気ひとけの無い日陰は、季節はもう春のはずなのに、冬のように寒かった。

「君の言う通りにする」

 彼女の口元が、満足そうに弧を描いた。

「でも、今後一切、叶羽に危害を加えるな。それが条件だ」

 不意に、ネクタイを掴まれる。首の痛みに耐えながら、力の加わる方へ流される。

「勘違いしないでもらえます? 条件を出してるのはあたしです。貴方があたしと付き合う代わりに、叶羽チャンには何もしないって言ってるんです。貴方はそれを受け入れるかどうか、選ぶ側です。主導権はあたしにあるんです。わかりますぅ? 霧島守さん」

 叶羽とは違う種類の笑顔を浮かべていた人とは思えない、一切の表情が無い顔で言われた。
 なのに、大きな目が、刺すように見つめてくる。

 ネクタイを掴んでいる手を振りほどいて、服装を直した。

「……わかった。君に従えば済む話だ」

「じゃあ、契約成立の印に、キスしてください」

「……は?」

 不適に勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、この女は言った。

「……意味がわからない」

「あたし達、恋人ですよ? 貴方は叶羽チャンの彼氏じゃなくて、あたしの彼氏なんです。従ったフリをして肩書きだけの恋人になられても困るんですよぉ」

 本当に言っている言葉の意味がわからなくなって、目の前の人を睨んだ。嫌悪感を込めて。それでもその人は何事もないように、同じ調子で続ける。

「いいんですかぁ? あたし、次叶羽チャンに何するか、わかりませんよぉ?」

 その言葉で僕が動揺するのを、この人は見逃さなかった。小さく笑ったこの人は、試すように僕を見ていた。

 叶羽はもう、たくさん傷付いた。
 関係の無い人からも、たくさん傷付けられた。

 それでも。

 きっと彼女なら、僕が彼女から手を離しても、またどこかへ向かって行く。
 思いのままに、遠くへ。

 その先に幸せが続いているのなら、その幸せが今度こそ穏やかであるように、僕はその幸せを、守りたい。

 彼女の幸せを壊す要因があるのなら、今目の前にあるというのなら、それを排除しなければならない。

 願ったり誓ったりするだけでは、何も守れないのだから。


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