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緑玉で君を想い眠る⑩

三話:針で指を刺す


「森城叶羽さんですね? 霧島夢香さんが昨夜亡くなられたことは、ご存知でしょうか?」

 警察手帳を見せている二人組の男性のうち、少しだけ私に近い位置で話している方の男性が、訊ねてきた。

 木曜日の朝の社長室。こんな光景は、今までこの部屋で見たことなんて無いし、これから先も、無いと思っていた。

「え……?」

「今朝、光の森公園で、遺体で発見されました」

 その場所は、昨日彼女を送りに外に出て、別れた場所だった。

「霧島さんらしき人物があなたと一緒に歩いていたという目撃証言があるのですが、昨夜の午後七時から九時頃、どこで何をされていましたか?」

「……私が、容疑者ということでしょうか?」

「形式的なものですよ」

 警戒心を解こうとしているのか、笑みを向けられるが、目の奥は笑っていない。

 桜ノ宮に通っていて良かったと思うのは、頼りになるコネやツテができたことと、こういう、人の建前を敏感に感じ取れるようになったことだと、つくづく思う。

「六時過ぎくらいに、彼女が家に来ました。話をして、六時半くらいには、彼女を送るために家を出ました。ここでいいからと言われて別れたのが、その公園の辺りです。家に戻ったのが、七時半前くらいだったかと……」

「随分と時間をかけて見送りに出られていたんですね」

「彼女は公共の交通機関は使いません。電車に乗らないから駅に送るなんてこと、ありません。送ると言っても、ただ彼女の後をついて行った、という形になります」

「宛てもなく、フラフラと?」

「何度かスマホを触っていたので、迎えを呼んでいるのかと思っていました……」

 刑事二人は、無言で目を見合わせていた。そして再び私に視線を向ける。
あぁ、嫌だ。

 背も体格も私より大きいし、声だって体の内に響くくらい低い。見下ろしてくる視線も、体を這うようにじっと見てくる。何もされていなくても、それだけで、少しの恐怖心が芽生える。

「霧島さんは、昨日どういう用件で森城さんの家を訪ねたのでしょうか?」

「……旦那さんと、少し揉めたようで、揉めた原因が、私だと責められて……」

「貴女と霧島夫妻は、どういった間柄でしょうか?」

「夢香さんとは小中学と大学時代、同じ学校に通っていました」

「夫の守さんとは?」

「……中学の頃、一時期交際していました」

「元カレと同級生が結婚した、ということですね。ということは、貴女は夢香さんに守さんを盗られた、ということでしょうか?」

「怨んでいるかどうかを聞きたいのであれば、怨んではいません。誰と一緒に居るかを決めたのは当人達です。私の出る幕ではありません」

 それから、何を話しただろうか。私怨がないか探るような質問を他にもされた。それらに答えて、それで容疑が晴れたわけではないのだろうけど、今は犯人だと断定できる証拠が無いからか、それともただ私の反応を見たかっただけなのか、彼等は退室していった。

 きっと、由貴のところにも似たような二人組の警察が来て、似たような質問をされているのだろう。

 溜め息が漏れた。直後に扉がノックされる音が聞こえた。由貴だろうか。そう思って相手も確認せずに返事をした。

「失礼します。森城叶羽さんですか?」

 入って来たのは、背の高い男性だった。輝一郎さんは一八十センチ超えの長身だが、彼も同じくらい背が高かった。がっしりとした肩幅、手足、精悍せいかんな顔つきで、無意識のうちに身構えた。

わたくしはこういうものです」

 渡された名刺を見る。「エスポワール法律事務所 霧島わたる」とある。

「守の兄です」

 引き締まった顔を崩して、男性は言った。守と兄弟であることを疑うくらい、自然な笑みだった。フラワーホールの金色のヒマワリも、微笑んでいるようだった。

「弟の方にも、今朝から警察が来て、事情聴取らしいですよ。取り急ぎ、代わりにわたくしがシロノ化粧品に伺わせていただくことになりました。今後の事情聴取は任意のものは断ってください。それか、わたくしの同席のもと、行ってもらうようお願いいたします」

 後半の今後の捜査に関する事柄よりも、前半部分が気になって、あまり頭に入って来なかった。

「……守の方にも?」

「形式的なものでしょう。夢香さんを怨んでいる人物に心当たりはないか、とか。彼は昨日、夜まで一日予定が詰まっていましたから、容疑者からは外れているでしょう」

 それを聞いて、安堵した。

「以前からそれとなく引き継ぎの相談をされていたのですが。こんな急遽代理になるなんて。弟がシロノさんについてまとめたファイルを作成してくれていて、助かりましたよ」

 彼は軽やかに笑った後、ふと、寂しそうな表情になった。

「夢香さん、気立てが良くて、仕事で家を空けることが多い弟にも文句一つ言わずに家事をこなして……。良い方でした。料理がとても上手くて、『これだけは何よりも優先して親に叩き込まれましたから』と笑っていました」

 私の知っている彼女とは、随分と印象が違っていた。

 いや、私が知らないところでは、彼女は彼女で穏やかな暮らしをしていたのかもしれない。
 じゃないと、昨日彼女が私の家に乗り込んでまで怒りをぶつけてきた意味がない。

「弟と結婚していなかったら、わたくしが結婚したかったくらいです」

 ふと彼の左手薬指を見てしまった。そこに何も着いてなかろうが、彼の笑みは朗らかだった。

「なのに弟ときたら、自分の妻が亡くなったというのに、悲しんでいるというより、ずっと考え事をしている様子で……。本日こちらに来るよう言われた際も、大まかな引き継ぎまで済ませられるくらい、冷静でした。全く、いつからあんなに機械的になってしまったのか」

 やれやれと言った調子で、亘さんは苦笑いした。

「今思えば、十五年前のあの事件から、弟は変わってしまった気がします」

「誘拐事件のことも……ご存知だったんですね」

「両親があそこまで騒ぎ立てていたら、嫌でも耳に入りますからね」

 苦笑しながら、亘さんは言う。そして、先程から彼と微妙な距離感で話す私が気になったのか、躊躇いがちに付け足した。

「……わたくしのことは、守から何も聞いておりませんでしたでしょうか?」

「はい……。お兄様がいることすら、存じ上げませんでした……」

 誘拐事件以来、彼とは険悪な雰囲気になっていた、という事実を述べるのは、なんとなく躊躇われた。

「そうでしたか……。わたくし共は歳が七つも違っていたので、兄弟と言うより近所の歳の離れた友人のような関係でして。それが守にはちょうどよかったのか、昔から親よりも仲が良かったんですよ。森城さんとお付き合いしていた時も、わたくしにだけ貴女の存在を教えてくれていたみたいで。父と母にバレた時は、焦っていました。彼もそういう、普通の男子中学生らしい顔ができることが微笑ましかったんですけどね。守はあの通り何を考えているかわからない顔つきですが、当時の彼は、貴女のことを随分と楽しそうに話してくれていました」

「そうだったんですね……」

 私だけが好きだったのではなく、あの時は彼も私を好いてくれていたことがわかって、安堵した。私の我儘に付き合ってくれていたわけではなかったのだ。安心から、少しだけ頬が緩んだ。

「森城さんは昔とお変わりなく、笑顔がお似合いです」

「お会いしたことがありましたでしょうか?」

「あぁ、いえ、守から写真を見せてもらったことがあるので。二人とも、どれも本当に楽しそうに映っていました」

 私が携帯で撮って、守にも送信したものだろう。今でも思い出せる。写真を撮るというのに、端から見たら笑っているように見えない彼の顔を。けれど、わかる人にはきちんと笑っているとわかる顔を。

「弟がまさか、森城さんのように素敵な方と交際できたなんて。わたくしも若い時にそういう出会いをしてみたかったものです」

 守とは対照的に表情がコロコロ変わり、嫌味無く軽やかに笑うものだから、言っている内容がすぐに咀嚼できなかった。

「あはは」

 返答に困る言葉に、嘘臭い笑いで返すほかなかった。
 由貴がこの場にいたら、「それセクハラです!」と不快そうな顔をして指摘していたかもしれない。

「だから、あの事件が起きた時は……非常に心苦しかったです」

「あの……失礼なことをお訊ねしますが、亘さんは、あの事件について、どう思われますか?」

 もしかしたら、事件について、何か新しい気付きがあるかもしれない。
 あの事件については、とにかく手掛かりになるものが少なすぎる。
 何でもいい。全くあの場に居合わせて居なかった人の考えでも、何か解決の取っ掛かりになるかもしれない。

「身内の意見なんて宛てにならないと思いますが、わたくしは勿論、守が犯人では無いと思っています。森城さんをあんなに大切に想っていた守が、そんなことするとは思えません」

 迷い無く、はっきりと告げられた。

「すみません、森城さん達からしたら、時効になっていたとしても、犯人が分かった方が安心かも知れませんが……。十五年前の事件で彼も思う所があったのか、あれ以来わたくしにもあまり連絡が来なくなって……。わたくしからお話できることは、このくらいになります」

「とんでもないです。不躾なことをお訊きして、申し訳ございませんでした」

「ただ、なぜ、あんなにも大切に想っていた森城さんと別れてしまったのか、それだけは謎です」

 その言葉に、私は何も返せなかった。
 別れを選んだのは私も同じだ。
 それに、あんな状況――根も葉もない噂が立ってしまって、会わない分余計気まずくもなっていった。

 彼だけの責任では無い。
 話し合ったわけではないが、互いに納得の上での別れだった。それは変わらない。

 その証拠に、私達には別々のパートナーができていた。

「申し訳ございません。近々ご結婚なさる方にする話ではありませんでしたね」

「私の方こそ、不躾に、すみません」

 そう言うと、守の兄だと言うのを忘れそうなほど、豊かな笑みを向けられた。

   

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