緑玉で君を想い眠る⑬
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昨夜夢香との間にあったこと、今朝警察に聞かれたこと、亘さんから聞いたこと、私がわかることは全て話した。その間ずっと、彼は足を抱えてソファーに座って、相槌だけを打った。
「夢香が亡くなったって聞いた時は、私と間違えて殺されたのかとも思ったけど……。でも、犯人は私の顔を知ってるはず。だから、間違えて殺されたとは思えない。なら、私の事件と夢香を殺した犯人は、別人ってことなのかな」
最後に私の考えを言って、ようやく由貴も話し始める。
「それは、今の段階では断定できませんね……。はっきりわかったのは、誘拐事件を利用して、あの人が叶羽さんを学園内で貶めていたってことだけですね」
それ以外のことは、何が事実なのか、わからず仕舞いだ。
彼女が言っていた、私の新たな利用価値が何かもわからない。彼女はこれからも私に何かしようとしていたかもしれないのだと推測できるくらいだ。
「……守さんって、やっぱり、この脅迫状に、何らかの形で関わっているんですかね」
「え……?」
「犯人とかそういう特定的な意味ではなく、間接的というか、全くの第三者じゃないというか、そういう意味で、です。また嫌な思いさせるかもしれないですけど、ちょっと聞いてもらってもいいですか?」
どのようにしてそのような考えに至ったのかわからず、彼を見て、私はただ頷いた。
「まず、ですよ。脅迫状を見てあの女に何か言ったことだけは確かだと思います。じゃないと、家まで乗り込んで来たりなんかしませんよ」
「そう、だね……」
「次に、あの人が叶羽さんに言った『次は叶羽に何をする気だ』と『勝手なことをするな』の二つの言葉について考えてみます。
『勝手なことをするな』と言っていた場合について、まず考えてみます。そしたら二人は何らかの共犯関係にあったことになります。今回の脅迫状か十五年前の誘拐事件のどちらか、あるいは両方です。でも、それだとちょっとおかしいと思うんですよね」
「おかしい?」
「共犯関係なら、『勝手なことをするな』と言われたら、自分のどの行いについて言われているのか、その場で理解できると思うんです。それをわざわざ家に乗り込んでまで、叶羽さんと守さんの間に何があったのか聞き出してくるなんて。行動の辻褄が合いません」
まとまらない私の脳の代わりに、由貴が説明を続けてくれる。
「次に、『次は叶羽に何をする気だ』と言っていた場合です。『次』ということは、『その前』があったってことですよね。きっと、誘拐事件のことです。守さんは何らかの方法で、あの人が誘拐事件に関わっていたということを知って、彼自身も貶められた身ではあるけれど、行動を監視するために、交際を始めた。脅迫状を見て、あの人がまた叶羽さんに何かしようしていたと察して、『次は叶羽に何をする気だ』と問うた」
「……ちょっと、いい?」
手を上げて口を挟むと、彼は「どうぞ」と右手を向けた。
「監視のためだけに、結婚までするのかな」
なぜか心が痛んだ。
誰を選ぶかは守の自由だと思いながらも、なぜだか苦しくなった。
自分が選ばれなかったからではない。
もっと、別の何かだ。けれど、それが何か、今はわからない。
「……すみません、そこを深くは考えられていません……」
「あと、誘拐事件に、何で夢香が関係してくるの? あの時の犯人は、体格的に男性だったと思うんだけど」
「叶羽さんはたまたま誘拐されたのではなく、狙って誘拐されたとします。となると、中等部だった時の叶羽さんがいつ桜ノ宮の敷地から出てくるのか、把握していないといけません。そのためには、全寮制の桜ノ宮中等部の内部に、協力者がいないと実行できないです」
夢香がその協力者なら、あらかじめ私が誘拐事件の被害者になるのだと、知っていたということだ。事件の内容を誰よりも早く、事実に嘘を交えて噂を広めることも可能だ。事件直後に噂が広まっていたのも、納得できる。
「叶羽さん、誘拐事件のことで、何か思い出せることとかないですか?」
由貴が、下から覗き込むようにして私の目を見た。
「すみません、こんなこと思い出させようとするの、嫌な人だってわかってます。でも何か、手掛かりがあればと思って……」
「あの……、今の話を聞いていて思い出したのが、犯人は、私を結局どうしたかったのかな、ってことなんだけど……」
当時の混乱が蘇ったように、まとまりのない言葉が零れた。彼は瞳の奥にはてなマークを付けながら私を見ていた。
「私……、レイプされると思ってたんだけど、それはなくて。抱き締められただけで。手足の拘束も隙間はあるしちょうちょ結びだったし。……本当に、私を『連れ去る』ことが目的だったのかなって」
整理しようとしても、寸前で口にしたくないと感じる事柄が多かった。けれど、曖昧にぼかして話すと、何を言いたいのかが伝わらないだろうと判断する。しかし、わかりやすく説明したかったのに、どこかカタコトな内容になってしまった。
「犯人は叶羽さんに、好意があったんですかね」
由貴の声がやけに鮮明に聞こえた。
その意味を理解するのに、数秒時間がかかった。
遅れて背筋に悪寒が走った。
「やだ、何ソレ」
思わず両手で自分を抱き締めるように、二の腕辺りを強く握った。
「そう考えると、脅迫状の文章も、ああなると思いませんか?」
「……犯人が当時成人してたとして、なのに、女子中学生に恋して?」
「恋は盲目ですよ。ボク、桜ノ宮なんて通う予定なかったですもん。誰かを好きになって、その感情がプラスに働くかマイナスに働くかは、その人次第なので、可能性としてはあり得ると思いますけど」
桜ノ宮の特待生になれたということは、由貴は高校受験の時から本気を出していれば、明条でも十分に特待生になれる学力だったのだ。今では亡くなったおばあちゃんに私立高校の高い学費を払わせたのを後悔していいる。明条は学力主義だから、特定の学力を満たせば何人でも特待生として学費を免除してもらえたのだから。
「叶羽さん、ボクと守さん以外の人から好意を向けられたこと、ありませんか?」
「……人生で告白したのは守だけだし、告白されたのは由貴しかいない……」
手がかりが無いことよりも、発言内容にムッとしたのか、由貴は少し口を尖らせた。
「……ごめん」
「いえ、すみません。じゃあ、人づてに自分を好いている人がいると聞いたとか、好意を向けられている気がするとか、そういうのはどうです?」
「うーん……。公立の中学入ってから高校までは勉強に必死だったし、大学入ってからは会社作るので頭いっぱいだったし……。よくわかんない……」
「叶羽さんって、全く気付かない間に何人もの人の好意を踏み潰してそうですね。そのおかげでボクは今ここにいるのかもしれませんけど」
由貴が私の後をついて回るのはなぜなのか、告白されるまでよくわからなかった。
「あ」
思い出したように声が出た。
「何か思い出しましたか?」
すかさず由貴が反応する。
しかし、今思い当たった事柄は、自意識過剰だろう。
「いや、やっぱり違うと思うから……」
「言ってください。何かわかるかもしれません」
「……今日亘さんに、自分も若い時に私みたいな人と出会いたかった、って言われて……。でも、これはただのお世辞や社交辞令だと思うよ」
「まずそれ、セクハラですよね? 次はすぐにボクを呼んでください。追い払って出禁にします」
由貴に誰かを出禁にする権限は無い。彼もそれを承知のはずだが、目が本気だ。ここは「まぁまぁ」と軽く治めたが、「叶羽さん、仕事相手でも不快なことはボクにちゃんと言ってくださいよ」と返された。一呼吸ついて、少し考えた後、彼は再び口を開いた。
「……亘さんって、守さんから叶羽さんの写真見せてもらってて、面識はなくても、一方的に叶羽さんのこと知ってたんですよね?」
「うん、そうみたいだけど」
「守さんの七つ上ってことは、誘拐事件当時、年齢は二十か二十一。中学生の小柄な女子一人誘拐することは可能ですよね。あの女とも、同じ桜ノ宮生だったら、十分繋がりを持つ機会はありますよね」
「……私達とは八つ離れてることになるから、初等部の時に知り合うのは難しいと思う。でも、桜ノ宮の中等部高等部は、二学期の終業式の日に、クリスマスツリーの点灯式があって、初等部高学年と大学部は自由参加だから、可能性がないわけじゃない」
「亘さん、あの女のことも高く評価していたんですよね?」
「うん、弟と結婚してなかったら、自分が結婚したかった、って」
「弟が交際相手結婚相手に選んだ人を、自分も欲しくなる人だとしたら、叶羽さんを誘拐して、自分のものにならなかったあの女を殺した、ということもありえますよね」
「でもそれだと、十五年前はともかく、現在は守と一緒にいない私にまでわざわざ脅迫状を出して、夢香を殺したことになるよ。守のものを欲しくなるんだったら、今現在妻である夢香だけに目がいくんじゃない?」
由貴は、うーん、と少し考えた。
「また別の考えになるんですけど……。誘拐が『守さんと別れさせる』ことが目的なら、守さんの父親の治彦さんも、可能性がありませんかね?」
「いや、待って。今確か、犯人が私に恋していたこと前提に話してたよね? そんな、自分の子供と同じくらいの歳の女に? それはさすがに無いんじゃない?」
「十代の女相手に大の大人が恋なんて、荒唐無稽だとは思いません。実際にこの世には、十代のアイドルに恋愛感情を拗らせた事件は存在しますし、親子ほど歳の離れた若い女性を性の対象としている輩も存在しています」
私の顔が凍りついていることに気付き、彼は「すみません」と言った。
「ううん。でも、治彦さんがどうかは別として、確かに、それは事実だよね……」
記憶の中で、霧島家で一番私に怒りを剥き出しにしていたのが、治彦さんだ。とても、私にそういう気が合った、とは思えないが……。
「治彦さんが守さんと叶羽さんを別れさせたかったのは、家柄うんぬんじゃなくて、自分が叶羽さんを好きになったから、とか」
「でもその場合、夢香とは知り合う機会が無いと思う。保護者が参観できる行事は、初等部の体育祭だけだったから。そんな中で知り合うのは、可能性が低いと思う」
「……駄目ですね。考えても考えても、警察でも探偵でもないので、推理が成り立ちません」
そう言って彼は手足をソファーの外に投げ出すように伸ばした。細長い手足がピンと張り、次第に力が抜ける。それと同時に、ハァと息を吐く音が聞こえた。
「……すみません、叶羽さん、何も力になれなくて……」
「そんなことないよ。心配してくれてありがとう。私一人じゃ、ここまで考えられなかった」
「……犯人の目星をつけて、当日叶羽さんに何かされる前に、捕まえたいんですけど……」
彼の切なさを帯びた声が、弱々しく響いた。
警察や探偵の真似事が素人にできるはずもなく、推測は特定の形には成らず、そのまま溶けていった。
けれど、彼の私を想う気持ちだけは、確かに残った。
これまで彼からもらった愛情に足されて、より大きな形となって、私の中に残った。
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