見出し画像

緋色の花㊷

     
「おい、どういうことなんだよ」
 年度末、桜が一年の終わりに別れを告げるように咲き始めていた。
 春の陽気は出会いも別れも関係なく、全てを呑み込むように、風景を包んでいた。
「店閉めるとか、何でなんだよ」
 先月、晴実のじーちゃんが亡くなったらしい。
 晴実はこのまま店を続けるつもりだったらしいけど、精神的なショックから立ち直れず、経営も成り立たなくなり、閉店する運びとなったそうだ。
 晴実のところに珠莉への献花を受け取りに行ったら、店にはシャッターが半分下ろされていた。明らかに営業中ではなかった。不審に思いながらシャッターの隙間から晴実を呼んだ。出て来た晴実は無理に作ったような笑みを向けて、何事も無いように献花を渡してきた。
 そして言った。来月からは、オーダーをうけたまわれない、と。
「じゃあ、俺は来月からどこで花買えばいいんだよ」
「よかったらいい店紹介するから。蓮がよく行く場所とかあればその近くの店探してみるし」
 馬鹿だ。そうじゃない。
 花なんてどこで買ってもほぼ同じだなんて、わかってる。
 それをわざわざこんなところまで来て買う理由くらい気付けよ。
 じーちゃんが亡くなって哀しかったのはまだ共感できる。
 でも、一つだけ、許せないことがある。
「何で、今になって言うんだよ。何で最後の最後にこんな大事なこと言うんだよ。こうなるまでに時間あっただろ。もっと早く教えろよ。俺が店手伝えたかもしれねーだろ。なんで何も言ってくれなかったんだよ。俺は、そこまで信頼できなかったのかよ!」
 いつの日か晴実から言われた「信頼」の話を思い出していた。
 晴実は店員で俺はただの客。プライベートを明けっ広げに話す義理は無いし、店が無くなれば、俺達の関係は終わる。
 相手との関係も、繋がりも、自分が思うより脆くて儚い。
 でも、言ってほしかった。突然突き付けられるより、ゆっくりと、時間をかけてでも、聞きたかった。こうなる前に、晴実から。
「……ごめんね」
 雨粒のように、ポタリと言葉が降って来た。
「蓮にはもっと早く、ちゃんと伝えたかったんだけどね。シミュレーションするだけで喉が詰まったみたいになって。通話ボタンを押す手が震えて、メールを打つ手もなかなか進まなくて。伝えたいことはたくさんあるのに、上手くまとまらなかったんだ」
 泣きそうな顔で笑いながら、右手を頭の後ろに回す。
「蓮を信頼してなかったんじゃない。これから訪れる現実を、直視するのが怖かったんだ」
 それでも必死に笑みを向けながら話していた。こんな状況でも笑っているなんて。やっぱり、晴実は少し病んでるところがあるのかもしれない。
 目に張った膜を決壊させないためか、彼は口を閉じた。
「……何で、皆俺の前から居なくなるんだよ」
 俺を救い上げてくれた珠莉も、晴実も、皆俺から離れていく。
 大切だと思った人ほど、すぐに別れがやってくる。
 居場所だと思っていた相手ほど、なくなってしまう。
 ありえないのに、無意識のうちにこんな日常が十年先も続いて欲しいと願って、思い描いて、そういう未来ほど、簡単に打ち砕かれる。
 残るのはいつだって、変わらずに漠然と続く毎日だけ。
 そこは平坦で、孤独で、閉塞的だ。
 鼻の奥がツンとする。あ、駄目だ。耐えられない。そう思った瞬間に視界がぼやけて、目を開けていられなくなった。
 磁石が反発するように、抗えないことだとはわかっている。
 現実は時として、残酷に全てを奪い去る。
 それでも、晴実まで離れて行ってしまうなんて。
「大丈夫だから」
 両肩を掴まれる。
 子供でもあやすようにしゃがんだ晴実は、俺の目線よりも低い位置にいた。
「大丈夫。俺は生きてるから、また会える。生きてる限り、いつかきっと会えるよ」
 その言葉の意味と重みは、多分大切な者を亡くした人にしかわからない。
 そういえば、晴実の両親の話って、聞いたことがない。
「今度は、自分の花屋を開くからさ。その日まで待ってて」
「……花屋になっていいのかよ。音大生」
「そっちは諦めたから」
「なんだよ、人に音楽創らせようとしておきながら」
「……弾けなくなっちゃったからさ」
 昨年の冬から、神経疾患を発症して、思うように演奏ができなくなったのだと言う。十二月から休学していたそうだ。来年度には、大学を辞めるらしい。
 晴実は俺より長く生きてる分、大切なものもたくさん失っていた。
 何で、人は大切なものばかり失ってしまうのだろう。
「夢は諦めないといけないけど、自分の花屋を持つっていう新しい目標もできたし、そしたら蓮にもまた会える。俺は、これから先も、ちゃんと生きるよ」
 失って、壊れて、そこからどう起死回生するのか。
 生きている人に与えられた、難関な試練だ。
「……自分の店持ったら教えろ。最初の客になってやる」
「うん」
「あと、それまでは花だけ買ってくるから晴実が毎月束ねろ」
「ありがたいご指名だね」
 少しだけ、見慣れた彼の笑顔に戻った気がした。
 安々と他の花屋の常連になってやるものか。
 晴実が束ねたものが一番に決まってる。

 無様だったとしても、俺は不条理に抗いたい。
 誰かに居場所を求めるのも、もうやめた。居場所が無いなら作ってやる。
 そうしないと、生きていると胸を張って言えない。

   

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?