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緑玉で君を想い眠る③

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「何ですか、森城社長」

 翌朝会社に行った私は、守を呼び出した。
 日差しをよく通す大きな窓、私の体格に合わない、大きくて立派すぎる椅子と机。濃いブラウンを中心に揃えられたそれらが、社長室の重厚感を強調している。こんなに質の良い物じゃなくていい。そう言ったのに「社長は堂々と良い物使ってたらいいんですよー」と由貴に言われたのだった。
 社長室の執務椅子に腰掛けた私の前に、机を挟んで彼は立っている。そのまま、微動だにせず私を見下ろした。

 由貴よりも低く、私よりかは少しだけ高い身長。私の一つ歳上だけど、その体の線は細い。白くて柔らかさそうな肌。綺麗な艶がある髪。長い睫毛。中性的な声。

 繊細な印象を受けるのに、顔には一切の表情が無い。
 由貴もほとんど表情が無いけれど、それ以上に、冷たさを感じる。

 瞳に映したものを、氷で触れるように、その熱を奪っていくような。冷たくて、鋭い。
 きっと、今彼がその瞳に映している人物が、私だからだろう。

「急に呼び出してごめんなさい。ちょっと、見て欲しい物があって」

 そう言って、私は昨日の脅迫状を、由貴から受け取った時のように封筒に入った状態で渡した。彼は何も躊躇わずに、その封筒を受け取って、中身を確認する。そして、眉を少し寄せた。

「……これを送ってきたの、貴方じゃないよね?」

 そう訊ねると、彼は呆れたように溜め息を吐いた。

「何かと思えば……。顧問弁護士の僕から、プライベートとはいえ、法的な観点から相談するわけではなく、犯人扱いかい?」

「……答えてよ」

 彼の濃紺のスーツのフラワーホールに留めてある、丸い金色の物が光った。ヒマワリの中に天秤が描かれているバッジは、彼がいかなる人物なのかを、一目でわからせる。

「よく考えてみてよ。僕達が付き合っていたのは十五年前、中学生の時だよ。僕に未練があると思ってるの? それも、どんな理由があって、今になってこんなもの送るっていうんだい?」

 手に持った紙で遮られているはずなのに、彼の左手の薬指の指輪が、室内の明かりを反射して光ったように見えた。私の左手の薬指にはダイヤモンドが付いた指輪があるけれど、装飾が一切無い彼の指輪は、私の着けている物の何倍の値段なのだろうか。

 かつては、対等に肩を並べていた。
 それが随分前に――中学生の時に、もう二度と巡り合うはずがないほど、私は転落した。

 今では、私は社長で彼は一流弁護士。
 しかし、私と彼との間には、歪で果てしないほどの、距離がある。

「全く、馬鹿馬鹿しい。こんなことで朝から呼び出しを受けるなんて」

 そう言って紙を封筒にしまって、私に突き返してくる。

「一つだけ言うとしたら、これを送ったのは僕じゃないし、結婚式を挙げるのも、今はめておいた方が身のためだよ」

 忠告はしてくれるが、決して優しさなんてものは感じられない、冷たい言い方だった。
 関係無いことに巻き込むな。そう言いたげな目だ。

 十五年前に見ていた、否、それ以前から見ていた柔らかな微笑みは、あの事件以来見ていない。

 手を繋いで隣を歩いていた時には、すぐそこで、くだらないことで一緒に笑っていたのに。

 あの事件があって、会わなくなってからは、私が学園を去る時でさえ、その表情に変化一つ見せなかった。むしろ、全身を刺されるような、怨みを感じる眼差しで見られる。
 大学生で再会してから今日こんにちまで、その時と同じ冷たい視線を向けられるのがつねとなっている。
 中学生の、あの事件が起こる前の穏やかで平和な日々を送っていた頃は、こんなことになるなんて、思いもしなかった。



 その日の晩、彼と話したことを由貴にも伝えた。

「ボクは今でも、あの事件の犯人は守さんなんじゃないかと思いますけどね」

 私の事件の話を聞いてから、由貴は守犯人説を唱え続けている。

「でも……、彼がそんなことする理由は無い」

「ボクが思うに、叶羽さんに自分の存在を刻み込むためにやったことだと思いますよ」

「そんな……」

「十分あると思いますよ。付き合っていたとはいえ、そういう独占欲、好きな人相手なら誰だって抱く時はありますよ」

 少し口を尖らせながら言った彼は、私の顔をチラリと見て、

「すみません、今のはボクが悪かったです」

 眉が少し下に下がる。一度目を伏せた彼は、気まずそうに目を逸らしながら続ける。

「一度でも好きになった人をけなされるのは、いい気分じゃないですよね。ボクが守さんに対して未だに嫉妬していることも認めます」

「ううん、ごめんね」

「何で叶羽さんが謝るんですか」

「私が、好きじゃないとか嫌いとか、そういう言葉を言えたら、由貴も安心できるだろうから」

「無理して言わなくていいですよ。未練があるわけじゃないんですよね?」

「うん……」

 未練ではない。でも、今でも好きなのかと聞かれると、わからない。
 心の底から大切に想って、愛しているのは由貴だ。それは断言できる。

 では、守はどうなのかと問われると、答えが出せない。

 好きとか嫌いとか、そういう言葉では言い表せない。かと言って、友達とか、別の何かが当てはまるわけでもない。
 呑み下せない何かが、ずっと胸の辺りで疼いている。

 その時、スマホが鳴った。会社用ではなく、私用だ。画面を見ると、かつての同級生「玉井たまい夢香ゆめか」の名前が表示されていた。由貴に断りを入れて、画面をタップして通話に出る。

「もしもし?」

『アンタ、今さらなに守にちょっかい出してんの⁉』

「え?」

『とぼけないでよ! 今日守に何か言ったんでしょ⁉』

 今朝の、社長室での会話を思い出す。

「私の勘違いだったから……、ごめんなさい」

『何言ったのか知らないけど、今守はアンタの彼氏じゃないの。私の夫なの。さっさと彼のこと諦めてくんない?』

「……安心して。私、別の人と近々結婚するから。式も二人で来てくれるんでしょ?」

『あぁ、カエル君だっけ? どうでもいいけど、庶民同士お似合いね。さっさと二番目でも三番目でもいいから、守以外の人で身を固めてよ。あたし達もうアラサーなんだから』

 鼻で笑う音が聞こえた。彼女の心は満たされたようで、そこで一方的に通話が切れた。
 スマホを置いて、思わず溜め息が零れた。

「……相変わらず、マウント好きの女ですねー」

 彼女の声は、由貴にも漏れ聞こえていたらしい。

「自分達の結婚式に強制的に参加させたクセに、招待し返すのが礼儀だとかなんだとか……。律儀に守らなくてもよかったんじゃないですか?」

「会社的に、今後のお付き合いのためにも、そうした方がいい気がして」

「スマホも、ブロックしちゃえばいいのに、って思うんですけど」

「それはそれで、私がまだ守を好きだって言ってるみたいで、ちょっと……」

「はぁ、マウント女って面倒臭いですねー」

 私の代わりに由貴が毒を吐く。
 出会った頃は、素直すぎる彼が少し苦手だったけれど、今では救われている部分もある。怒りや不快といった感情の瞬発力が無い私の代わりに、由貴が代弁してくれているから。だから私は後で思い返して、あの時自分はこう言いたかったのだと気付いて、悔しくて泣いたりしなくて済んでいる。そんな彼にすっかり甘えきっているから、そこは反省した方がいいかもしれない。けれど、私のわずかな表情の変化で些細なことに気付いて対話をしてくれる点については、感謝しかない。そのおかげで、大切なものは、しっかりと握っておかないといけないのだと、学んだから。

 本当は彼女の名前を「玉井夢香」から「霧島きりしま夢香」に変更しないといけないのだろうけど、未だに変更していない。

 彼が誰と一緒になっても良かったけれど、彼女だけは、素直に喜べないから。それは嫉妬からきているわけではない。言葉にできないけれど、彼女に対して、違和感があるからだ。

 私達四人の関係は、随分歪になってしまった。
 いや、事件さえ起きなければ、もっとシンプルに収まっていた。
 そして、私は由貴とは、決して出逢っていなかった。

   


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