玉砕パティシエ小豆田⑭
Mémoire 7
都が出産のために入院してから、こっそりと店の近くのジュエリーショップに通っている。
婚約指輪の代わりになる物を、退院後にプレゼントしたいから。
せっかく都が将来のことを考えてくれたのに、それを裏切るような行為は、不誠実かもしれないけれど。無理のない範囲でなら、納得してもらえるのではないかと思うから。
彼女が入院して、こっそりアクセサリーボックスの中身を確認させてもらった。私物に勝手に触るなんていうのは、夫婦間でも非常に居たたまれない。だから、アクセサリーボックスに触れる前に両手を合わせて何度も謝った。
中身は、イヤリングとネックレスが数個。指輪やブレスレットは無かった。
描く仕事だから、手元には余計な物は着けたくないのだろうか。
イヤリングは小振りの物、ネックレスはファッションのアクセントになるような物もあったけれど、こちらもシンプルなデザインの物だった。
その情報をもとに、ジュエリーショップに相談に行った。
シンプルな物ばかりなのだったら、少し華やかな物を一つ――。普段着け慣れているデザインに合わせてシンプルな物を――。以前購入されたベビーリングに合わせて、誕生石を使った物を――。
たくさんアドバイスをもらって、たくさん悩んで。
結局、婚約指輪の代わりという原点に戻って、ダイヤの一粒ネックレスに決まった。
決まったはいいけれど、今度はダイヤのサイズと地金で悩んだ。
0.1カラット、0.2カラット、0.3カラット……。ゴールドにするか、プラチナにするか……。同じ石を使用しているのに、大きさや地金の色で、随分と印象が変わった。
毎回店で頭を抱えていた。写真を撮らせてもらって、家でも悩んでいた。
「ちーとーせー。甘い物食べたーい」
入院中の彼女に会いに行くと、最近ずっとそう言われる。
「退院してからね」
妊娠後期は何が起こるかわからないと聞いた。
妊娠してから、食べてはいけないものを口にしないように、二人で気を付けてきた。それでも、気を付けなければならない本人の方が、ストレスが大きかっただろう。
本当は好きなものを好きなだけ食べさせてあげたい。
けれどここにきて食事で状態を不安定にさせるわけにもいかない。
一番苦しいのは本人だけれど。
僕の言葉を聞いて枕に顔を埋める都を見るのも辛い。
「……退院したら、エクレア作るね」
特別な日には特別なお菓子を。
これから生まれてくる子供が、皆から愛されるように。
「……」
都は首だけを縦に動かした。
枕からチラリと顔を上げると。
「……桜餅も食べたい」
「う、浮気者!」
今度は僕が手で顔を覆う。
その様子を見て、ようやく都も笑った。
「だって、桜餅の季節なんだもん」
「じゃあイチゴをふんだんに使ったお菓子を作るよ」
「洋菓子にはない魅力があるんです」
「知ってるけれども!」
「千歳のお菓子と『縁』の和菓子を両手に持って交互に食べたいな」
甘えるように見上げられる。
ひどい。ズルい。可愛い。
「……わかった」
一生、都には敵わない気がする。
「……千歳、なんか、疲れてる?」
「え?」
「目元が、なんか」
「あー……」
ここに来る前も、ダイヤのネックレスでひとしきり悩んだ。
そして今日も決めきれなかった。
今日で何回通っただろうか。五回を過ぎたくらいから数えるのをやめた。
通ううちにわかったことは、キュービックジルコニアは表面でギラギラ光るけれど、ダイヤモンドは中でキラキラ光る。あとは光に当たった際の虹色だろうか。
ダイヤの大きさも地金の色も、本人が試着して決めるのが一番だ。
でもそうすると、きっと都は遠慮する。
「大丈夫大丈夫。目がちょっとキラキラするだけ」
「本当に大丈夫? 脳に異常があったりしない?」
心配するなら目の方ではないだろうか。
「千歳は意外と一人で抱え込むから、ちょっと心配だよ」
「そんなことないよ」
「嘘。喋ってないと、ネガティブなことばっかり考えてるじゃん」
……そう、だろうか。あまり自覚は無かった。誰だって、後ろ向きになる瞬間くらい、あると思うから。
「千歳は喋るインキャだよね」
喋るインキャ? 韻伽? 音伽? 引伽?
「うん?」
どういう字を書くのだろう。いつの日か言っていた妖の分子と関係があるのだろうか。だったら妖怪の名前だろうか。
「仕事のことは私じゃ役に立てないから、ちゃんと柏森くんに相談してね。それ以外のことは、ちゃんと私に話すこと」
「……ありがとう」
「千歳が幸せじゃないと、誰かを幸せにするお菓子は作れないし、私の幸せも半減しちゃう」
「待って、半分だけ?」
「だって、私は千歳だけでできてないもん。しんどい時もあるけど、やりたい仕事できてるし、神那先生じゃなくて私にファンレター来ることもあるし。今は朔ちゃんがいるし、柏森くんもいるし。千歳のお父さんとお母さんにも可愛がってもらえてるし。これからはこの子もいるし」
そう言って、やさしくお腹を触った。
「ずーっと幸せでいるなんてできないと思うし、どちらかと言えば辛いことばっかり意識しちゃうけど。いろんなところに、幸せがあるね」
――プラチナの、0.1カラットのダイヤにしよう。
プラチナだったら、結婚指輪と合わせられる。
0.1カラットのダイヤだったら小さいって思われるかもしれない。
けれど、片手で収まる大きさでも、指先で事足りる大きさだとしても。
大切なものは、何よりも強く、光輝いていると思うから。
「……その中で半分も僕が占めているなんて、光栄だよ」
今度の定休日に買いに行こう。
もしかしたら、僕が買うよりも先に、都に結婚指輪を返して、子供にベビーリングを握ってもらうことになるかもしれないけれど。
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