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七夕・世代間ギャップ

毎年この時期になると、子ども達と出かける先々に飾られた笹の葉が設置してあり「自由に、短冊にお願いごとを書いて飾ってね」。見た目も涼しげ、日本の素晴らしい風習だ。

どこそこで見かけるたびに4歳の長女が書きたがるので、季節イベントとして有難く楽しませてもらっている。
今季は数枚、「キュアバタフライになりたいです」(長女・ひろがるスカイ!プリキュアより)、「キュアエールになりたいです」(次女・HUGっと!プリキュアより)と代筆。

先日、出先でハウスメーカーがイベントで出していた七夕飾りを見つけてしまった。娘たちにせがまれたので、営業のお兄さんに断りを入れ例の如く短冊にお願いを書く。

それを見たお兄さん、
「プリキュアって、色々いるんですねぇ」
冷やかし客の相手をしてくださることに申し訳なさを感じつつ
「えぇ80人くらいいますよ」と苦笑いで返す。

「えっそんなにいるんですか?!えっ!」
「20年くらいあのアニメやってますからねアハハ…」
「へぇ〜、キュアハニーとかいますよね、それは知ってます」
「えっキュアハニー?!そこですか?!いや、渋っ!」
「えっ!渋いですか?何か妻が話してて…」
「えぇキュアハニーはなかなか渋いですよ!それ出てくるかぁ、いやぁキュアハニーかぁ…」

訳が分からないよという表情のお兄さんと、妙に興奮状態のわたしであった。

自宅で作った短冊。キュアベリーに推し変していた長女。


そんな思い出も含め楽しんでいる七夕だが、個人的には、そこに下げられた「どっかの誰かの願い事」を見るのがすきだ。

上述の通り、幼女が七夕の星空に捧げるのは「プリキュアやプリンセスになる」という将来の展望だ。幼稚園や児童センターの短冊を見ても、男女でキャラクターの違いがあるだけで皆ほとんど同じ。「遙かなる夢、大いなる野望」の託された短冊は、幼児の特権である。

その隣に並ぶ、一緒にお母さんが書いたとおぼしきものは十中八九「家族の健康」を願うもの。なんと慎ましく健気なことよ。多くを望まぬその姿勢、胸を打たれる。かく言うわたしも御多分にもれず「家内安全・無病息災」。
まぁそもそも七夕飾りの願い事というのは対外的なもの、ひと様の目に晒される前提だしな。勿論家庭の平和が第一であろうが、もし何も気にせず個人的な願いを書けるなら、世のお母さん方は何を書きますか?

我が町の図書館は自習室完備で、学生たちの溜まり場でもある。ここに毎年設置される笹の葉に結ばれた短冊を見ると、これが見事に具体的かつ自己中心的。そりゃそうだ彼らの世界の中心は自分、目の前のことが全て。それでこそ若人、なんと素晴らしいじゃないか。
やれ「テストで良い点数がとりたい」だの、やれ「彼氏彼女がほしい」だの。大いに結構、振りかざせよ若さを。微笑ましく眺めていると、強烈な一枚を発見。
「Nちゃんともう一度付き合いたい…絶対…」

ところ変わって、老人福祉センター。人生の先輩方のための趣味と憩いの場だ。こちらの短冊は基本的にワールドワイド。「世界平和」の四文字の多いこと多いこと。えっ自分のことはどうでも良くなるの?それほんとに言ってる?何ならこれですべて含有してますパターン?
まったく変な内容じゃない…というか、これぞ「願いの最たる例」であるはずなのに、ここまで振り切られると愉快だし、達筆な「世界平和短冊」の並びはなぜか不気味でもある。
そんな中異彩を放つのが、某国某大統領を名指しで「許さない」の一枚、いや書く場所間違えてませんか。

「Nちゃんともう一度」短冊を公共の笹の葉に吊るせるような若者が、いずれこんな老人になるのかもしれんなぁ、なんて思いつつ、まぁ別に個人の自由なんですが。

何はともあれ、わたしは今年も短冊パトロールに余念無く、その「世代間ギャップ」を、大いに楽しませて頂いた次第。

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