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人は皆キャッツ。〜オヤジと主婦とオタク少女〜

夫がくれた一泊二日の「母の夏休み」、やりたい事としてまず浮かんだのは、ミュージカル鑑賞である。

まさに今、名古屋四季劇場で「キャッツ」が上演中だ。素晴らしいタイミング!実は、どうしてもこれを観に行きたかったわたしは、夫の休みにあわせてどうにか一人で行かせてもらえないものかと勝手に思案していたところだった。

即チケットを予約した。キャッツに限らず、座席は前であればあるほど価値があると思っているが(たとえ端の席でも)、今回は購入がギリギリだったので良席は叶わず。それでも充分、キャッツが観られるなんて!

言わずと知れたこの人気作、わたし個人的にもとても思い出深く、心から愛する演目のひとつだ。
叔父の趣味だった事がきっかけで、母はわたしが幼い頃から家族のイベントとして、熱心にミュージカルに連れて行ってくれた。初めての観劇は三歳の頃、以来三十年間、まさに三つ子の魂百まで、わたしはこよなくミュージカルを愛してきた。中でもキャッツは思い出の作品。鑑賞を楽しんだのは勿論、お出かけ車内のBGMはいつもキャッツ、幼い弟妹も含めみんなで歌っていた。言わずもがな名曲ぞろいで、わたし自身の結婚披露パーティーでのBGMではキャッツの楽曲を最多使用した。因みに会の中で使う曲は全てミュージカルしばりのこだわり。(知らんがな)

そんな愛に溢れる作品、生で観るのはおよそ十年ぶり、恐らく三回目。それはそれはもう楽しみで、いそいそと劇場入りした。夏休みの土日ということで家族連れも多い。きっと、夏の思い出のひとつとなるのだろう。

劇場に入った時点で、もうわたしの観劇は始まっている。キャスト表を確認、パンフの購入、お手洗い等の「ルーティン」を済ませ、座席に着く。こなれた風だが、子無し観劇は3年ぶりくらいだ。高揚感で胸をいっぱいにさせながら、パンフを読みつつ開演を待つ。

それにしても、キャッツのプロモーションも昔とはだいぶ変わったようだ。以前は、真っ黒な背景、妖しく光る猫の眼、躍動する影…と少し不気味でさえあった代名詞的フライヤーも、今はひょうきんな顔つきの(ともすると胡散臭くもある)コソ泥猫二匹が意味ありげに笑っているものに。なんとなくコミカルな印象。好き嫌いはさておき、確かにこれなら興味を持つ層も増えそうだ。

そしてキャッツは、劇場の装飾も見所のひとつ。ネコたちの集会場であるゴミ捨て場を模した舞台装飾が、客席側まで及んでいる。これを見て楽しむのも本作ならでは。なんと、自分の客席からであれば撮影OKとのこと(無論開演前)。時代も変わったもんだ。

変わったといえば、ミュージカルそのもののイメージもここ数年で大きく変化したような。有名俳優がバラエティ番組に出演したり、音楽番組では当たり前にミュージカルコーナーが放送されたり。お客さんの持つグッズや写真の撮り方を見ても「推し活」らしさが出てきている。うぅむ、時代も変わったもんだ…。

しかしさっきから、斜め前に座る中国人のオバ様が気になる。何故国籍が分かるかというと、彼女のスマホ画面が煌々と光っているからである。イヤでも目に入るその画面を見る限り、恐らくそっち方面の方。既に興奮状態のわたしからすれば「今スマホ見る必要あるーー??!」と興醒め甚だしいのだが、価値観はそれぞれ。隣の娘さん?とぺちゃくちゃ喋りながらスマホを見続ける女性とわたしとでは考え方が全く違うらしい。念のため断るが、もちろん国籍云々の話ではない。

いよいよ開演五分前というところで、わたしの左隣の席に慌ててオジサンが座った。自分の親くらいの歳に見える、お一人様。その姿にちょっとした予感を感じていると、開演を告げるアナウンス、少しずつ暗転していく劇場、まだスマホを見ているオババ!!うぉい!!!劇場が真っ暗になったところで、ようやく視界からその明かりが消えた。本当にあれは、良くない。

劇場に響くオーバーチュア。次々と現れる、妖しく光るネコの目。胸がいっぱいになり、思わず涙ぐむ。開始十秒でここまで昂ぶってるのはわたしくらいでは。

コロナ禍で、様々な場面において「実際に会う、その場で経験する」という機会が減った。直接会わなくても行かなくてもいいじゃん、という新たな価値観が広がった。それはそれで、ひとつの選択肢として良い事だと思う。ただやはり、実際に、生で、ステージから発せられるエネルギーを受け取る経験をしてしまうと、もう後戻りできない。凄まじいのだ。歌声、ダンス、表情、…劇場の空気。その全てに飲み込まれる経験。視覚や聴覚だけではない、五感というか、もはや全身で浴びるその圧倒的エネルギーに、わたしは毎回打ちのめされる。
しかし、決して受け身なだけではないのだ。見ている側も、空気に飲み込まれるだけでなく、どんどん前のめりになる。一瞬も見逃すまいとステージを隅々まで見渡す、聴く、そして共感したり涙を流したり、感情のままに手を叩いたり。共に空間を創り出すのだ。これこそが観劇の喜び。

わたしは目の前に広がるネコたちの世界、彼らの発する一音一音を噛み締め、心の中で共に歌い、二度と戻らないこの時間、全身で作品に没頭した。幸せだ!!
そして、隣に座るオジサンの気配を感じつつ思った、

このオヤジ、できる…!

至極個人的な意見として、「拍手」は、ミュージカルへの愛情の現れだと思っている。タイミング、叩き方、手の位置、そして引き際(これが案外難しい)など、絶妙なものがある。そして唯一、観客ができる意思表示なのだ。だからこそ、どんな拍手をするかでその人の「ミュージカル熱」が測れるのだ(、と勝手に思っている)。

わたしは自分の感情を昂らせつつ、左隣のオヤジを気にしていた。どんな熱量でここに座っているのか、と。「還暦くらいの男性・おひとりさま」となると、ミュージカル好きに違いない、と。その推理は間違っていなかった。彼は、然るべきタイミングでその場にふさわしい拍手を…そう、わたしにも分かる、「心のこもった拍手」をしていた。

あなたも、今この瞬間を楽しんでいるんですね?!良かった!同志よ!!

同じくおひとりさまで、感動を分かち合う仲間を(勝手に)求めていたわたしは、このオヤジを今回の観劇仲間だと(勝手に)みなし、共に感動を分かち合うことにした(勝手過ぎる)。

ステージではどんどん話が進む。ネコたちそれぞれの個性は、人間社会を風刺していて面白い!大人になったからこそ分かる「あるある」も感じる。妖艶なタントミールのパフォーマンスは異次元の美しさ、長老オールデュトロノミー、誰もがその存在を尊び崇拝する老猫の姿は、カルト宗教の教祖のたぐいに見えてきて笑えた。笑うとこじゃないのに。

休憩時間、ロビーで改めてキャスト表を確認し、スタイル抜群で見栄えの良いラムタムタガーとスキンブルシャンクス両名が西洋ルーツのキャストだと知る。ビジュアル最強な理由はそこにもあるな。太刀打ちできない何かを感じた。角界で外国人力士ばかりが活躍するのを憂う心に近いのかもしれない(そうなの?)。

すると、同じくキャスト表を見ている、小三、四年生くらいの女の子とそのお母さんの会話が耳に入ってきた。

あ、こないだと違う人だねぇ。

何度か観に来ているのだな、と微笑ましい気持ちで座席に戻った。そしてパンフに顔を埋めるように、隅々まで読み込んでいると、例のオヤジが隣で小さく声を上げた。

あっ、きたきた。

パッと顔を上げると、客席の通路をゆっくりのっそり歩き、手を振るオールデュトロノミーの姿。俗に言うファンサだ。まさか、このオヤジ、パンフに夢中のわたしに教えてくれた…のか…?!

「わたしが子どもの頃は、休憩時間にデュトロノミーが舞台上でパンフにサインしてくれたんですよ」

と、オヤジに話しかけたいのをグッと堪え、心の中で「教えてくれてありがとう」と伝えた。

二幕も素晴らしかった。

落ちぶれた娼婦猫グリザベラ、この作品のヒロインだが、改めてその姿を見ると正気を失った顔つきにゾッとして、ここには書けないような言葉が浮かんできた。堕ちるところまで堕ちた「オンナ」。リアリティーに満ちたその姿で歌い上げる、名曲メモリー。
涙が溢れてきた。美しさを極め欲望の世界を生きた彼女、輝かしさも束の間、堕落し蔑まれ、その果てに我を失い、遂には純真を極めた心…。
(余談だが、たまたま読んだ本で知った知識、かつてイギリスでは、娼婦を堕落した存在としてその哀れさを美化する風潮もあったそうな)

その哀れな姿に、止まらない涙を拭い、鼻をずびずびさせていると、隣からも鼻をずびずびさせる音が聞こえてきた。あの瞬間、わたしとオヤジの心は共鳴していた…ずびずび…ずずっ…ずびずび…。

カーテンコールはスタンディングオベーション、わたしもオヤジも手が痛くなるまで拍手をし、大きく手を振り、ネコ達に別れを告げた。おとな二人、きっと良い顔をしていたはずだ。そして、オヤジは去っていった。ありがとうな。

終演後の劇場も素敵だ。人々の笑顔と高揚感に満ちている。

前を歩く家族が、休憩時間にキャスト表を見ていた彼女らだと気づいた。
お母さんが聞く、
「なんだっけ、あのマジックするネコ…」

ミストフェリーズ。

すかさず女の子が答える。お父さんは黙っている。
あぁきっと、わたしもこんな少女だったんだろうな。この作品を通し人生を振り返りながら、これからは娘たちと新たな思い出を刻んでいきたい、そう心に決めた。またひとつ、夢が増えた。

改めて感じた。「猫以上に、猫」という謳い文句のあるこの作品だが、ネコ以上にネコであり、またヒトであるのだ。それぞれの個性を持ち、健気に生きる人間を賛美し、愛する作品なのだ。だからこそ、時代も世代も超え愛され続けている。オヤジも主婦も少女もみんなが夢中、心を掴んで離さない。それがキャッツ。
劇中歌「ジェリクルソング」では、ネコ達が声高らかに歌い上げる。
「人は皆キャッツ!」
まさにその通り!

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