A COURSE IN MIRACLES に出会うまで①
『A COURSE IN MIRACLES』はFoundation for Inner Peaceにより、1976年にアメリカで発行された書物だ。
ニューヨークのコロンビア大学の医療心理学教授であったHelen Schucmanが、キリストの声を受けそれらを文章に起こし、彼女の同僚で同学科の教授であったWilliam Thetfordが編集に関わっている。
(※参考『A COURSE IN MIRACLES』How It Came )
ここまで書いて、誰がそのことを信じるだろうか、と率直に思うのだが、この書物はそれぞれのパートのページ数を合わせて約1250項くらいあるから、実際にこの本を手元に置いてみれば、とりあえず冗談にしては長すぎるし、もし冗談にしてもかなりの労力がかかっているということだけは理解できる。
ところで、わたしがこの分厚い本をとりあえず手元に置いてみるまでに、重要な役割を果たした本がある。それは2003年に同じくアメリカで発売され、その後ベストセラーになる『The Disappearance of the Universe』Gary R .Renard著だ。この本は、わたしがリサイクル本屋さんに立ち寄ったときに、何となく手に取ったものだった。この本の背表紙に自然に手が伸びたとき、もうひとつの不穏な心の中からの声には、「なんて胡散臭い題名だろう!」というのがあった。わたしが手にとったのは河出書房新社から発売された日本語約版で、邦題が『神の使者』というものだった。(本文の訳は吉田利子さん)。しかしながら胡散臭いのはわたしのその時の心の声のほうで、この本がそれまでのわたしの常識からすればどれほどぶっ飛んでいて、しかも滞在的な意識の中でどれほど待ち望んでいたか、そしてそのときから今まで、そしておそらくこれからの人生をどれほど変えるものであるかを思い知らされながら日々を過ごすことになる、きっかけになるものだった。しかもこの本は、スピリチュアルとか何とかがそれほどピンと来ない人でも、読み物として楽しめるのではないかとわたしは思う。
まさにこの本がわたしにとっての『A COURSE IN MIRACLES』の哲学の入り口になったし、自分の人生に訳のわからないモヤがかかっているようで、憂鬱で、無気力感のある娘だったわたしに対し、あの難しそうな分厚い本の入り口になるくらいに読みやすいエンターテイメントだったと言える。そう、『神の使者』を読んだときの、あの笑いや、求めていたものにやっと出会えたという、底から沸き上がってくる喜びの感じは、恐怖や、この本の内容を訝しむ心の声よりも確かで、本物だったということだろう。
...続く