見出し画像

そんな謙遜はソンなのだ

こんにちは。きっかけアクセサリーのお店カナ・ノワール堂、店主の音海奏乃です。

今回は、ついやってしまう"損な謙遜"についてつづってみます。

謙遜なんてしないあなたも、謙遜しすぎてしまうあなたも、ぜひ、ご一読ください……。

あ、また言っちゃった

謙遜は、古くから日本にある慣習です。上下関係のはっきりしている場合に使うのはもちろん、相手への思いやりや配慮を込めての謙遜、という場合もあります。

私は、褒められたら謙遜しなさいと教わって育ってきました。すごいとか、偉いとか褒められても、「そんなことはございません」や「ほかにもできる人がいますよ」などと、絶対に正直によろこぶ素振りを見せるなと言われていました。

確かに、少し上の世代の方にはそのほうが可愛がってもらいやすかったのですが、どこかさみしい感じもしていました。お世辞なのに本気に受け取るなんて、と言われるのも嫌で、結局は謙遜を続けてしまい、いつしか習慣と化していました。日本の文化って、難しいですね。本音と建て前など、奥まで読まないといけないし、読みすぎてもいけないし……。

そんなわけで、謙遜することが習慣になっていた私は、とある人に出会ったときも、せっかく褒めていただいたのに「いえいえ当然ですから」と言ってしまったことがあります。その方は、本当に心から言ってくださったのに、つい反射で、謙遜してしまったのです。それでは、せっかく伝えてくださった相手に失礼だったな、と痛感しました

画像2

しかもそれだけでは終わりません。今度は、その方へお手紙を渡すタイミングがありました。手書きの字が汚いと言われて深く傷ついた経験から、何か言われたらどうしよう、と先に考えてしまいました。手紙を渡すと、その方は"手紙を渡してくれた"という行為によろこんでくださったのに、案の定、「いえ、大したことなど書いていませんので」と告げてしまいました。思い返せば、本当に失礼なことですね。「じゃあいらんわ」と言われてもおかしくありません。それでもその方は私の性質をわかっているので、何も言わずに会釈してくれました。思い出すと、心が痛いですが、この失敗で、謙遜のし過ぎは損なんだ、と気が付くことができました

素敵な謙遜ライフを送りたい!!

痛い失敗をして、改めて謙遜のし過ぎから脱却しようと決めた私は、いろいろな場所から情報を集めることにしました。

その中で知ったのは、"謙遜には種類がある"ということです。大きく分けると、素敵な謙遜と、普通の謙遜の2種類があるそう。きっと、長年の癖から謙遜をやめることは出来ないと思ったので、どうせなら素敵な謙遜ライフを送ろうと決めました

画像3

では、素敵な謙遜とは何か。それは"相手も自分もうれしい謙遜"です。先ほどの、大失敗したお手紙の例でみてみましょう。

手紙を渡すとき、「大したことは書いてないですので」といったのは、恥ずかしさと、ちょっとくらい間違っていても多めに見てね、といった個人的な気持ちで謙遜しています。忙しい方なので、時間をとってもらうのは申し訳ない気がする、という一番伝えたい部分が埋もれてしまっています。それでは、自分の都合をわかってね、と言っているようなものなので、言われる側の気持ちになると嬉しくありませんね。私だったらその手紙をきっと読まないでしょう。そう思われても仕方ありません。

もし、これが素敵な謙遜ならどうなっていたでしょう。

渡しながら「お読みいただければ嬉しいのですが」と伝えたら。同じような意味でも、後味が違ってきます。字が汚くて、文章も変かもしれない。そんな手紙ですが、あなたのために書いたので、読んでもらえたらうれしいです。これを短くした言葉が、先ほどの言葉ですね。

その言葉が発生した根本の気持ちは同じでも、「あなたのために一生懸命書いてみたんです」というニュアンスが加わることで、「私のために書いてくれたのね」という気持ちになり「まぁ読んでやらないこともない」ぐらいの気持ちになります。そして、忙しい相手の時間を気にするという配慮も、うっすらと感じてもらうことができますよね。

そういう風に、同じような謙遜でもちょっといいかえれば、相手もうれしい気持ちになる素敵な謙遜に変わるのです。お土産を渡すときも「お口に合うかわかりませんが」というよりは「おいしいと評判でしたのでぜひ」と言われるほうが、なんだかほっこりとしませんか?

え? しない?? ……それだけ、謙遜も奥が深いということですね。

適度に、そして適切に

というわけで、ここまで最近気が付いた謙遜のお話をしてきましたが、やはり肝心なのは適度な謙遜具合と適切な謙遜具合ですね。

謙遜、というものを知ってから、私はとにかく"相手が偉い、自分は下だ"と思い込んでいました。そのため、少しでも失礼がないように、自分をとことん下げて、ふるまってきたのです。けれどそれは、本来の謙遜とは違っていました

画像4

意味としては、へりくだること、卑下すること、といった言葉が並んでいますが、"自分を最低の基準まで下げましょう"なんてことはどこにも書かれていません。1歩下がればいいものを、100歩も下がっては、相手もどうしていいかわからなくなってしまいますよね。

相手にそんなつもりはないのに、ものすごく謙遜されては、まるで相手が偉ぶっているように見えてしまいます。だからこそ、自分を下げすぎず、上げすぎない適度な匙加減を知る必要があります。それから、何でもかんでもひたすらに謙遜すればいい、を卒業します。ケースバイケース、素敵な表現を考えたり、取り入れたりしながら、自分だけの謙遜辞典を作り上げましょう。そうすればもう、あなたの謙遜はあなただけのものです。

まだまだ学ぶことは多そうですが、自分も相手もWin-Winの関係になれる謙遜ライフを送っていきたいですね。

====================

ここまで、謙遜についてのお話をつづってみましたがいかがだったでしょう。人生はいつでも勉強、生きているだけで気づき、成長のチャンスがありますね。小さなチャンスから、よりよい人生を目指して、日々成長していきましょう。

きっかけアクセサリーのお店カナ・ノワール堂

音海奏乃

お試しさん


サポートいただけると、励みになります♪ サポートいただいた思いは、ハンドメイド作品という形にして、皆様に幸せを届けます!