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my world🌏🌺🤍💫 セクシャリティとスピリチュアリティの探求。 日々の氣付き。…

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my world🌏🌺🤍💫 セクシャリティとスピリチュアリティの探求。 日々の氣付き。 tao/縄文/shakti/植物/art

最近の記事

わたしという幻想からの目醒め

わたしという独立したように見える存在に、 わたしの魂を押し込めてた。 魂はもっと大らかで、流動的。 感知できるエネルギーは、 全部が繋がりあっている。 境界線は引くことも、溶かすことも、 超えることもできる。 超えた先に生まれた融合で、 思考と感情の奥にある無の境地には、 愛しかなかった。 社会の中で認知していた愛と、 それは異なるエネルギーで。 あぁこれが、愛というもならば、 わたしは愛に生きることができる。と思った。 愛と恐れ、なんて言うけれど、 もっと言

    • 境界線が溶けてゆく

      わたしとあなたの境界線。 わたしとパートナー、 わたしと家族、 わたしと社会、 わたしと、、、 そもそも、わたしって? 自我がわたしを「わたし」として存在させていて、 それは生きていく上での豊かさを創造している。 陰陽どちらも、豊かさそのもので、 どちらにも優劣もなければ、 排除すべきものなんて何ひとつない。 という世界線に到達するためには、 自我を手放して、真我に目醒めていくことは、 その道のひとつ。 自我というのは、幻想でしかなくて、 だから良いわけでも悪いわ

      • 呼吸とオーガズム

        呼吸は、生命=性にとってとても大切な行為。 意識しなくても、生きている限りは行われている、 日常の中にあるその行為は、 わたしの移ろいゆく「今」を的確に表し、 ときに大切なことを伝えてくれている。 そもそも、 呼吸の深さの程度にも、 そのほかのすべての物事と同様に、善悪はない。 オーガズムに至るときも、 浅い呼吸のときと、深い呼吸のときがある。 それぞれに、異なる領域にアクセスする、 その鍵を握るのは、 相手のテクニックやスペックではなくて、 自分自身の感度。 それ

        • 大地に宿る女性性のエネルギー

          奄美大島の旅で感じたこと。 そこは、女性性的なエネルギーを感じる島。 とにかく、自然のエネルギーが力強くて、 きっと太古の、縄文の時代は、 こんな風に、自然が語りかけてきていたんだと感じた。 海や風、植物や虫たちとの対話が、自然と生まれた。 普段から、実はわりと対話していたけれど、 信じきれていなかったことが、 すべて、あぁこれでよかったんだ、 もっと感じ取れることを信頼しようと思えた。 とても印象的だった海へ続く道があって、 その道の植物たちはわたしたちを歓迎して

        わたしという幻想からの目醒め

          喜ぶかどうかはわたしが決める

          相手の気持ちを考えるということが、 デフォルトのようになりすぎて、 「感じる」という根源的な悦びを享受することが 難しくなっている、 というのは日本人の気質的に多いと感じる。 空気を読めるというのは才能でもあり、 でも、だからこそ、の葛藤もある。 相手の気持ちを考えることも、 大切なことではあると思う。 でも、だからと言って 感じたことをなかったことにするのは、 自分との不一致につながっていく。 小さな不一致も、 積もり積もれば大きな溝を生む。 夫が、「喜ぶと思って

          喜ぶかどうかはわたしが決める

          与えることと、受け取ることは両立する

          前戯してもらったら、お返しする。 特別な癖や、目的がない限り、 セックスにはどこか、 ギブアンドテイク、みたいな感覚があった。 そういう体験も、 そこで得られる楽しさや喜びもある。 女性の身体は神秘そのもの、 なのだと思う。 母なる大地 Mother Earth などという言葉があるように、 女性性が持つエネルギーは、 すべての創造の源。 与えられたものを、 素直に受け取ることで、 直接的に与えるよりも、 深い悦びを、 相手に与えることもできる。 受け取ること

          与えることと、受け取ることは両立する

          結婚式で感じた忘れられない違和感

          結婚という概念においても、 捉え方は人それぞれ違うと思うけれど、 わたしは若い頃から結婚というものに憧れもなければ、 自分は結婚しない人だと思ってもいたし、 周りの大人たちからも、結婚しないかも、 とある種、心配の念を向けられていた。 そんなわたしに、 突然やってきた「結婚」の機会。 人生の岐路、みたいなタイミングで 突然与えられた選択肢だった。 彼への愛はあったけれど、 一生この人といたい、というよりも え、わたしが結婚?! 何それめっちゃおもろい! みたいなめち

          結婚式で感じた忘れられない違和感

          聖なる性の目醒め

          ずっと、性に関わることは、 どこか日常と切り離されていた。 そこでしか得られない体感があって、 そこでしか得られない解放感があった。 そこでだけ、「わたし」でいられた。 とも言えるのかもしれない。 わたし、セックスの時に、よく泣いていたんだよね。 悲しいわけでもなくて、 自分でもどうして泣いているのかわからなくて。 今になって感じるのは、 それだけ自分を抑圧して生きていたということ。 セックスのときにだけ起きる深い解放感が、 苦しみや悲しみなどの感情を溶かして

          聖なる性の目醒め

          対極の世界から、ホリスティックな世界へ

          あるとないは対極にあるようで、 それらはあるという宇宙の中に包括されている。 あるとないが、あるという世界。 あるとないが、分裂する前の、 大いなる根源のエネルギー。 そこを体感することは、 深い安心感と、安らぎを知ること。 どっちでもいいんだよ、本当に。 苦しみなんかなくなればいいと思うけれど、 苦しみがなければ、 喜びを深く感じることはきっと難しい。 苦しみは喜びのためのエッセンス。 そう、全ては悦びのためにある。

          対極の世界から、ホリスティックな世界へ

          性エネルギーは限りない豊かさの根源。

          内側ににある豊かさに気づくために、 わたしが見つけた鍵は、 子宮の奥に眠っていた性エネルギー。 「性」というと、 なんだか触れてはいけないもののような、 いやらしくて、ざわッとするような、 そんな感覚が湧き出てくるという人も 割と多いんじゃないかな、と思う。 受けてきた教育や、 環境、これまでの経験などから、 そうなっても仕方ないよなぁと思う。 でも、 わたしが経験したことから、 今感じていることは、 性エネルギーって、 もっと生きることそのものに 繋がっているもので

          性エネルギーは限りない豊かさの根源。

          豊かさのエッセンス

          なんだかもっと話したい気分になって、 Instagramのストーリーで、 わたしに聞いてみたいことを聞いてみたの。 食・健康 子育て パートナーシップ 仕事・働き方 4つのトピックすべてに、満遍なく票を頂いた。 結局は全て繋がっていて、 トピックにわけて書こうとすると、 とても上っ面の見え方にフォーカスしたような イメージになってしまって、なかなか進まないの。 きっとわたしの中で、 深みのあるひとでありたい、という想いがあったり、 曝け出すことに抵抗があったりもするの

          豊かさのエッセンス

          四季の移ろいと豊かさ

          わたしが年単位で住んだことがある国は、 日本、バングラデシュ、シンガポールの三国。 どの国もそれぞれ魅力があるけれど、 日本人の感性の繊細さは、四季があるこの国の風土から 自然と育まれてもいるんだな、と春の訪れとともに感じてる。 季節を感じて、お洋服の色味やメイクを変えたくなったり、 食べたいと感じるものも変化する。 それって当たり前のことではなくて、 本当に美しい感性があるからこそ、の産物なのだと思う。 常夏の国も、わたしは大好きだけど、 四季があるということは本当

          四季の移ろいと豊かさ

          求めない

          生きているということは、 欲があるからできること。 「求めない」なんて、 いくら悟りを開いたってできそうにもない。 だけどね。 求めすぎてない? もうすでに十分持っているのに、 これ以上何が必要だと言うのだろう。 完璧になんてならないと わかっても尚、 ないものを求めて、 もっともっと、と欲を出す。 本当に必要なものなんて、 きっとそんなにたくさんないはず。 本当の豊かさってなんだろう。 答えはわたしの、みんなのハートの中に。

          求めない

          見えるものに宿る、見えないもの。

          昔から何故か惹かれるのは、 縄文のカルチャーや、ヒッピーカルチャー。 愛と平和をベースとした、調和した世界に、 何故かとても惹かれるの。 そんなものあるのかどうか、 本当のところはわからないけれど、 もし、生まれ変わりがあるのだとしたら、 わたしはそういう世界を多く経験してきたのだろう。 娘が、バレンタインだからなのか、 男の子に金色の折り紙で作った指輪をもらってきたの。 割とドライな娘は、 なんだかクールにその指輪を見せてくれたのだけど。 手に触れた瞬間、 その男

          見えるものに宿る、見えないもの。

          理想を追い求めない生き方

          理想を追い求めない生き方。 なりたい自分になる。 ありのままの自分を探す。 使命に生きる。 そのような世界観に触れて、理想を追い求めてきた。 でもね、なんだか目が覚めてきた。 そもそも、わたしはなにを追い求めていたんだろう。 もうすでに、ここに与えられていたことにも氣付かずに。 理想とは? →考えうるもっとも完全なもの。 「完全」になることなんて、 少なくともこの地球ではありえない。 もし、そう見える「瞬間」があったとしても それは移ろいゆき、また、追い求める

          理想を追い求めない生き方

          真の自由とは

          22歳のわたしが触れた文化の中にあった 「Inshaallah」 という言葉。 これは、イスラム教徒が未来の出来事について 言及する際に使用するよう命じられている言葉で、「神の思し召があれば」という意味なのだけれど。 もちろんいかなる宗教を信じていようがなかろうが、いろんな人がいるけれど、 当時のわたしが見た世界には、その言葉の意味を真に理解しているように思える人もいれば、そうでない人もいた。 きっと後者の人がわたしの目には多く映ったからいわゆるネガティブなイメージを

          真の自由とは